僕、とっても嬉しいな
圭太が春奈と連れ立って書店に到着するとそこにはいつもの空気が流れていた。平日の夕暮れ時らしい、賑やかなのに賑やかでないような、そんな雰囲気。
しかし、圭太の側にはいつもいるわけではない春奈がいる。その事実が嬉しくてどこかむずがゆい。
春奈も最初は緊張している様子だったが、ここに来るまでの間に会話を重ねた結果、今ではかなり自然な感じになっている。圭太もそれは同じだ。
入り口のところで圭太が春奈に尋ねる。
「目当ての商品ってラノベなんだよね?」
「うん」
「じゃああっちだな」
先陣を切ってライトノベルのコーナーに向かうと、春奈がとことこと後ろからついてくる。
春奈が早足にならないよう歩幅を調整しつつも、圭太はこの何とも言えない感じに心の中で足をバタバタさせていた。
ライトノベル文庫サイズ棚横の面陳スペースには今日発売の新刊を中心に、最近発売のものやアニメ化の注目タイトルなどが創意工夫を込めて並べられている。
二人で横並びになってそこを眺めていると、春奈が「本日発売!」というカードの添えられたタイトルのうち一つを指差して言った。
「あっ、これこれ。今日買いにきたやつ」
タイトルは「精霊術師の成り上がり」というらしい。
表紙には柔らかい印象の見た目をした青年女性が、精霊らしき動物たちと触れ合っている様子が描かれている。
内容は知らないが、ほんわかとした、春奈が好きそうな作品だと圭太は思った。
今日はこのタイトルの特典として付いてくる、何種類かデザインの存在するしおりのうち二種類を手に入れるため、圭太に手伝って欲しいとのことだった。一人で二冊同じ本を買うのは少し恥ずかしいらしい。
圭太としてはその気持ちはわからないでもないが、ともかく、この特典を付けてくれた出版社か本屋にただただ感謝した。
本は透明なビニールで包装されていて、表紙側に「特典付き」というラベルが貼られている。裏側にはその特典であるしおりが挟まっているので、どのデザインかは選べるようになっていた。
圭太がなるほどなー、と思いつつその本を手に取って眺めていると、春奈が一点を見つめたまま固まっていることに気付く。
視線を追うと、件の作品が並べられている場所の傍らに大きなぬいぐるみがあった。しかも良くみればそれは「精霊術師の成り上がり」の表紙に描かれている精霊のうち一匹と同じ姿形をしている。
某アニメーション製作会社のキャラクターにいそうなデザインだ。身体が小さい割に目が大きく、モンスターのような雰囲気もあるが決して怖い感じはしない。
「クルちゃん……!?」
まるで生き別れの兄弟を街で偶然見かけたかのような表情と声色だ。
春奈は躊躇なくそのぬいぐるみを手に取ると、ふにふにと感触を確かめ、背中はどうなっているのかなどをチェックし始めた。
「えっと、杉崎さん?」
すると、春奈はそこでようやく圭太の存在を思い出したかのように我に返り、顔を赤らめながら慌ててぬいぐるみを元の位置に戻した。
「あっ、ご、ごめん! これは『精霊術師~』に出てくるクルちゃんって呼ばれてるキャラなんだけど、ぬいぐるみがあるの知らなかったからつい」
その時、圭太たちの近くにある小説コーナーの辺りからがつん、と大きな音がした。
まるで棚の下の収納スペースに何かを強くぶつけたような音だったが、特に大きな問題はないようだ。圭太は意識を会話に戻す。
「大丈夫だよ。見たかったらじっくり見てもらっても」
「いいよ。恥ずかしいし」
「何で?」
「高校生にもなってぬいぐるみとか……」
「そうかな。好きな漫画やアニメのグッズって考えたら普通じゃない?」
「う~ん」
春奈は今いち納得できないようだ。
圭太は、少なくとも自分はあなたの趣味を恥ずかしく思ってはいないと、自分の前では遠慮しないで欲しいと、そういう気持ちを伝えるために行動に出る。
一度は戻されたクルちゃんとやらのぬいぐるみを手に取って、春奈の前まで持ってきてから、こう言った。
「ほら、クルちゃんも杉崎さんに会えて喜んでるよ」
春奈は思わず顔を綻ばせて、口元に手を当てながら返す。
「ええー何それ。近藤君可愛い」
「いや、俺じゃなくてクルちゃんがね?」
可愛いと言われて逆に自分が恥ずかしくなってきた圭太だが、めげない。
今度は横の小説コーナーからどさどさっと本が落ちる音を聞きながら、春奈にぬいぐるみを押しつける。
「じゃあ、遠慮なく」
春奈はクルちゃんを受け取ると、もう一度素材や感触を確かめてから、ディティールまでこだわって作られているかなどを確認していく。
その作業の最中、春奈は視点はぬいぐるみに向けたまま、圭太に語りかけた。
「このクルちゃんはね、本当は主人公の女の子を守る騎士で、クルセイダーっていう名前なの」
「可愛い見た目なのにかっこいいね」
「うん。可愛くてかっこよくて、嬉しい時も悲しい時もいつでも側にいて、主人公をずっと支えてる、大好きなキャラなんだ」
「もしかして、今日の特典も?」
春奈は小さくうなずいた。
「主人公の女の子と、クルちゃんのしおりが欲しくて」
「なるほどね」
圭太は返事をしつつ、本を手に取った。裏返してしおりを確認し、自分はクルちゃんのものを保持し、春奈には主人公のものを手渡す。
「はい」
「ありがとう」
春奈はぬいぐるみを元に戻してそれを受け取った。
「お金は自分で出すから」
「え、何で!? だめだよ」
今日出かける前に、春奈は二冊分のお金は自分で出すと言い、圭太は抗議をしたのだが受け入れてもらえなかった。
しかし今の話を聞いた圭太としては、自分の好きな人がそこまで入れ込む作品がどんなものなのか興味が湧いたので、改めてのチャレンジだ。
それにこの本を読めば共通の話題も出来る。バイトもしていない圭太にとって約六百円というのは決して安い金額ではないが、諸々を込みで考えればお得だろう。
「俺もこの作品を読んでみたくなったからさ」
「本当に?」
半信半疑の春奈。圭太がまた気を使っていると思っているようだ。
「クルちゃんが実際にどんな活躍をするのか見てみたいし、それに」
「それに?」
「クルちゃんのことを話してくれた時の杉崎さん、本当に『精霊術師』が好きって顔してたから」
それを聞いた春奈は頬をわずかに朱に染める。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「うん。そうして欲しい」
微妙に照れ臭い雰囲気になってしまい、誤魔化すために圭太が「行こうか」と言ってレジを親指で差し、歩き出した。
だが、背後から春奈の声がかかり、足を止める。
「近藤君」
「ん?」
振り向けば、春奈がクルちゃん人形で顔を隠していた。
「ありがとう。僕も、とっても嬉しいな」
「えっ」
クルちゃんが喋っているという設定らしく、声は子供向けアニメに出てくる動物キャラクターっぽくしている。
突然ファンシーな行動に出た春奈に、圭太は動揺を隠せない。
反応出来ずにいると、春奈がクルちゃんの脇からちらっと顔を覗かせた。色んな意味で「可愛い」とか言えない圭太がどうしたものかと悩んでいると、小説コーナーから、今度は人が棚にある商品を巻き込みながら倒れたような音がした。
「お客様、大丈夫ですか!?」
側に店員がいたらしく、すかさず声をかけられている。
「ええ、大丈夫よ」
「血も出てますし、すぐに救急車を呼びますね」
「その必要はないわ。いつもの事だから」
「いつもの事なんですか!?」
ぼそぼそと喋っているので聞き取りづらいが、店員ではない方の声は女性で、しかもどこか聞き覚えがあるような気がする。
小説コーナーにちらっと顔を出してみた。
屈んで片付けをしているので顔は良く見えないが、知人ではなさそうだ。あんなにスタイルのいい妙齢の女性など知り合いにはいない。
あまりじろじろ見ても悪いなと身体を棚の影に戻すと、今度はぬいぐるみを持ったままの春奈が野次馬をしにきた。圭太越しに小説コーナーに顔を出す。
「わっ、すごい美人さん」
距離が近いし何だかいい匂いもする。圭太にとっては天国と見せかけて地獄という見方も出来る、複雑な状況だ。
「でもあれって……」
春奈は何かに気付いたように女性を凝視している。だが、「違うよね」と言って首を横に振りながら身体を引っ込めた。
身体が少し離れてほっと一安心な圭太は、その事について尋ねる。
「何かあったの?」
「ううん、何でもない」
気にはなるが、春奈がそう言っている以上は追及するわけにもいかない。
「じゃあ行こうか」
「うん」
圭太が先んじて歩き出し、二人でレジヘ向かう。
圭太はブックカバーを着けてもらう派、春奈は着けてもらわない派だった。会計を済ませると、本に挟まれた特典のしおりを取り出して春奈に渡す。
「はい」
「本当にありがとう。今度お礼するからね」
「いやいや、要らないって」
苦笑しながら、圭太はちらりと、今は離れた場所にあるクルちゃん人形を見た。
彼は元に戻された時のまま真っすぐ前を見つめていて、圭太のことは最早視界に入っているはずもない。
出入り口から出ようとすると、自動扉の手前で春奈がこちらを振り返り、いわゆる敬礼の動作をした。
実際に敬礼がどんなものなのかよくわかっていないらしく、伸ばした右手の指先が額に当てられている。
「改めて、本日はご協力、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ?」
良く分からない返答をしながら、圭太もその真似をする。
そのままお互いに微笑を交わし合ってからようやく退店したのだが、その際、再び背後から大きな音がした。
翌日。朝のホームルームで「この学校の生徒が貧血で病院に運ばれた」という連絡があった。体調管理には気を付けよう、と思う圭太であった。
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