古の彩菓、紡がれる記憶(一)

 懐中時計の一件が、何はともあれ終着したので田村へ報告をすることにした。

 田村の店へ行こうかと思ったが、気になっていたようで田村は翌日にまた黒田彩菓茶房へやって来た。

 誠一はいつも通りの笑顔で迎え入れ、田村はカウンター席に座って誠一が淹れた珈琲を飲んだ。


「では時計の持ち主は本当に要らないだけだったんですか」

「ええ。良い思い出じゃないので後腐れなく手放したかったそうです」

「はあ。あんな高級品をですか。華族ってのはよく分からないもんですね。じゃああのお嬢さんも華族の被害者なんですね。大変なことだ」


 お嬢さん、という田村の言葉に薫子はふと違和感を覚えた。

 田村は修理を頼んできた客を『栗色の髪で良いところの若い女性に見えた』と言っていた。


(おかしい。菜穂子さんは黒髪だわ。お嬢さんていう年じゃないし、お世辞にも身なりが良いとはいえない)


 これが『優しそう』のような内面を想像した説明だったなら『感じ方が違うんだ』というだけのことだが、物理的な容姿の描写にしてはあまりにもかけ離れている。


「そういや時計は開いたんですか? 何か特別な物でも入ってたんですか?」

「あ、そういえば何だったんでしょう。確かめるのを忘れてしまいました」

「謎は闇の中ですか。気になりますね。お宝の地図が入ってたら、なんて面白いことがないかちょっと期待してましたよ」


 薫子はまた違和感を覚えて首を傾げた。


(開けたいどころか拒絶してたわ。持ち帰る前提の修理依頼なんてしない気がする。田村さんへ依頼した人と菜穂子さんは別人のよう……)


 菜穂子の激情に気おされ忘れていたが、そもそも修理をしたいほど大切な物だ。

 一つ妙だと感じたら、あの流れで壱流がやって来たことも妙に思えた。懐中時計の出所は元を辿れば壱流だ。


(懐中時計が無ければ壱流さんと行動を共にする事はなかった。あ、違うか。田村さんが関わってなければ相手にしなかったわ。まるで田村さんを利用してマスターと壱流さんを合わせる画策がされたみたいじゃない?)


 薫子は探るようにちらりと田村を見た。

 田村は昔から黒田彩菓茶房を知っていた。世話になったとも言っていた。誠一だけでなく、誠一の祖母のことも知っているようだった。


(そうか。田村さんは仲介役に選抜されたんだ。寅助さんより関係が遠くて絶妙だ)


 もう少し修理依頼をしてきた女性のことを田村へ聞いてみようと身を乗り出すと、すっと誠一が手を伸ばし薫子の動きを制止した。


(マスターも気付いたんだ。ううん、きっと最初から気付いてたんだわ)


 細かなことにも気付く誠一が失念しているわけがない。修理を依頼した女性の容姿が面識ある人物と一致していたのなら、田村から話を聞いた時点で気付いただろう。

 誠一は田村に笑顔を向けて、あまっていた材料で作ったワッフルに苺ジャムをかけてカウンターに置いた。


「最近ワッフルが人気なんです。よければどうぞ。僕からの解決祝いです」

「こりゃあ嬉しい。実はずっと気になってたんですよ。でも女性ばかりが頼んでるじゃないですか。何となく注文しにくくて」


 田村は初めて来た時とは真逆の幸せそうな笑顔を見せた。

 犯罪に巻き込まれたらどうしようと怯えていたのが嘘のようだ。


(そうよね。これ以上は田村さんを不安にするだけだわ。閉店してから相談しよう)


 薫子は軽く深呼吸をして心を落ち着かせる。

 すると店の扉が開き、黒いシャツに黒いズボンという洋装の青年が一人で入って来た。薫子は田村に会釈すると、入って来たばかりの客の所へ向かった。


「いらっしゃいませ。一名様ですか?」

「はい。テーブルの席をお願いしても良いですか。一人で二人席は駄目ですか」

「いいえ。構いませんよ。ご案内します」


 客は大きな荷物を持っていた。雑誌や新聞のようだが、カウンター席では落ち着かないだろう。それに誠一は混んでいなければ席選びに制限は設けない主義だ。

 薫子は客の希望通りにテーブル席へ案内し、メニューと水を置いた。

 客はメニューを手にしたが、やけにちらちらと店内を気にしている。一体何が気になるのかと視線を追ったが、その先にいるのは誠一だ。


(ああ、マスターと話したいんだ。お悩み相談かしら。事件じゃないといいけど)


 薫子はささっとカウンターに入り誠一の隣に立つ。


「マスター。あちらのお客様がお話したそうなんです。注文お願いできますか」

「ああ、はい。分かりました。それじゃあ田村さん、ごゆっくり」


 誠一は田村に挨拶をすると、薫子には『何も言わないように』という意図だろう、口元に人差し指を立てて黙るように示唆した。

 薫子は頷いて誠一を見送り、田村には珈琲のお代わりを淹れて笑顔を交わした。

 それからしばらく田村は珈琲を味わい、ワッフルに満足すると安心に満ちた笑顔で帰って行った。

 けれど薫子は終わっていない。不安になったが、誠一にとんと肩を叩かれる。


「薫子さん。ちょっとあちらに来ていただけますか。お客様からお話があって」

「私ですか? はあ。構いませんが……」


 話があるというのは先ほど案内した、誠一と話しをしたそうにしていた客だ。

 無事思うような話ができたのか、青年はにかっと無邪気な笑顔で薫子を見ている。

 特に呼び出される覚えはなく、つい先日に壱流という不審人物に遭遇したおかげで身構えてしまう。

 しかし誠一は何も問題無いというかのように青年の席へ行く。薫子も追って席へ行くと、青年は上半身が床と平行になりそうなほど深く頭を下げた。


「どうも! 村上といいます! 私出版社で撮影と取材をやってまして、今回はお二人を取材させて頂きたく!」

「二人って私もですか? お店とマスターだけじゃなくて?」

「ええ! 評判ですよ。心優しいマスターと明朗快活なウェイトレスの謎解き!」

「……はい?」

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