古の彩菓、紡がれる記憶(三)
倉庫――ではなく誠一の自宅に入るとそこはやはり倉庫だった。
室内には仕切りが無い広い一部屋で、壁はコンクリートの打ちっぱなしで外から見た通り手が届く範囲には窓が無い。
小さな扉が一つあるので他にも部屋があるようだが、おそらく寝室ではない。
薫子の視界に誠一の物と思われる布団と棚、本棚が一つずつ置いてあり、僅かに生活感があるからだ。
それでも家具らしい家具は無い。広いだけの空間は倉庫以外の何物でもなかった。
「何もないじゃないですか! 冬場どうするんですかこれ! 死にますよ!」
「さすがに暖房器具を入れますよ。風呂と便所と台所はあの扉の向こうにあります」
「あれば良いってもんじゃ無いです! 駄目ですよ! お店で生活しましょうよ!」
「それが駄目なんです。これは僕が九条家から離れて生活するための条件なんです」
九条家と言われて、薫子の体は固まった。
華族が家を離れるのがどれほどの意味を持ち大問題になるのかなんて、薫子には想像できても実際どういうことかは分からない。きっと想像以上に大変なのだろう。
それでもこんな場所で生活させるのはおかしいことくらい分かる。
(囚人扱いじゃない! だから壱流さんもマスターが何をしてるか分かったんだわ)
華族は立場相応の責任があるはずというのは分かるが、それを裏切ったら苦を強いるのが当然だとは思えなかった。
薫子は黒田彩菓茶房で客と幸せそうに笑っている誠一を知っている。
あの笑顔と温かい店内を思い出すと、こんな生活をさせる九条家が憎い。
けれど誠一は表情を変えず倉庫の中を歩いた。躊躇せず歩く姿は、この倉庫で暮らすことが当然と受け入れているように感じられた。
「壱流兄さんの一件で過敏になってるんですよ。綾子さんは今も軟禁状態です。それを思えばまだ自由だと思います」
「私には分かりません。華族ってそこまでしないといけないんですか」
「いけないということはないですよ。ただ色々と歴史を持つのは確かです。それに九条家は問題が多い。血筋は皇族に近いんですが、経営能力が無くて財が少ない。先代で潰えるはずでしたが、椿家が仕事を与えてくれて生き延びたんです」
「椿緑櫻庭園みたいなことですか? 矢野さんも九条家の縁者なんでしたよね」
「ええ。けどこれは椿家現ご当主の好意。そのご当主が病気で長く無いそうです。何としても九条家は次期当主に取り入り援助を続けて貰わないといけない。例えば僕を当主にして家名は残し、綾子さんを次期当主に嫁がせ椿家と縁を深めるとか」
「だからスターをここに縛り付けてる、と……うーん……」
誠一は必死に微笑もうとしているようだったが、無理だったのか俯いてしまった。
しかし薫子は誠一がここに居続けることを不思議に感じた。
「素朴な疑問なんですが、ここで生活しろという指示は従う必要あるんですか?」
「それは当然、九条家がそう定めた以上はそうなります」
「けど九条家なんてどうでもいいんでしょう? なら言うことを聞いてあげる必要はない気がするんですけど」
聞く限りで誠一は九条家に恩に報いて尽くしたいという想いはないように感じた。
そもそも華族の地位に執着しているのなら家を出たりしないだろう。
「放っておいて欲しいなら九条家が嫌がることをしたらどうですか? 好き勝手する庶子って嫌でしょう。壱流さんなんて直系なのに勝手し放題じゃないですか」
誠一は大きく目を見開き丸くした。目から鱗とはこういう表情を指すのだろう。
ぽかんと口を開けていた誠一は、操り人形の糸が切れたように首をかしげた。
「……そう言われると確かにそうですね」
「それに監視したいなら九条家が勝手にやればいいじゃないですか。こっちは頼んでないんですから。まあ店に来たら無関係な私が不審者として通法しますけどね」
はんっと薫子は鼻で笑って肩をすくめた。
生粋の庶民である薫子に華族の責任なんてものは分からないけれど、長男という重責にあった壱流が好き勝手にしている。
養子という手段があるのだから、誠一がいなくともどうにでもなるはずだ。
「マスターが壱流さんの尻拭いをしちゃうのは見捨てておけない優しい性格だからでしょう。それに胡坐かいてるんですよ。こっちから捨ててやればいいんだわ」
「そう、ですね……そうだ……僕がここにいる必要は無いんだ……」
「無いです無いです。だからお店で生活しましょうよ。ここを使えというなら貸倉庫とか貸会場にしたらどうっですか? 収入になりますよ」
「薫子さんは本当に明晰ですね。それはとても良い考えです」
「そうでしょう。じゃあついでに引っ越し準備もしちゃいましょう! おー!」
「おー!」
薫子が気合を入れて拳を振り上げると、誠一も一緒に軽い調子で拳を振り上げた。
いつも穏やかで子供のようにはしゃぐ誠一にしては珍しい。薫子は少しだけ驚いたが、明るく笑う無邪気な表情は何かから解放された証拠に思えた。
「片っ端から見ていきましょう。違う人が見れば新たな発見があるかもしれない」
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