守る刻、辿る足音(七)

「懐中時計の持ち主は美墨栄一。美墨家は椿家の傍系でこの一帯の地主だ」

「ミスミ洋菓子店の美墨さんですか? そういや美墨さんも華族なんでしたっけ」

「そうだよ。栄一さんは僕の八つ年上で、美墨家の長男だ。よく遊んでもらってたけど突然いなくなったんだ。婚約者との結婚を翌月に控えていた時にね」


 壱流の言葉を聞いて薫子は既視感を覚えた。

 華族の長男で跡取りなのに迷惑を顧みず消えた男。それは目の前の壱流と同じだ。

 それは少し気になるが、壱流さんもそうですね、とは無関係の薫子には言い難い。

 その代わりに思わず壱流を見つめてしまったが、薫子の視線と込められた意図に気付いたのか壱流はわずかに口角を上げて怪しげな笑みを見せた。


「栄一さんには恋人がいたんだ。相手は庶民で、美墨家はそれを許さなかった」


 やっぱりか、と薫子は心の中で呟いた。誠一は少しだけ眉を揺らして何か言いたげだった。けれど何も言わず、ただ唇を強く噛んでいる。


「駆け落ちしたんだよ。栄一さんは家より愛する女性を選んだんだ」

「じゃあ跡取りはいなくなったんですね。それって美墨家はどうなるんですか?」

「現当主で途絶える。美墨家には栄一さんしか子供がいないからね。ミスミ洋菓子店が拡大に尽力してるのはそのせいだよ。今の生活を保つための地盤固めだね」

「分かりませんよ。養子を迎えるかもしれませんし、ご親族が立つかもしれません」

「そこまでして縋るほどの家名かどうかという問題だね。誠一だって九条の名は必要ないだろう? そういうことだよ」

「それで秩父なんて辺鄙なとこにも店を出しに来たんですかね。贅沢な理由だわ」


 秩父を良い場所だと思うのは薫子が生まれ育った土地だからだろう。東京は華やかで煌びやかな街並みは心が躍る、最先端の都市と言って良い。

 わざわざ交通の便が悪い山間部の秩父へ行きたいと考えるなんて到底思えない。

 ミスミ洋菓子店の動向を理解したが、それならば潰れてあげようとはならない。

 上品に立ち退きを迫って来た男の顔を思い返すと腹が立つ。しかし誠一はそれ以上掘り下げず、壱流を睨むことで話を進めた。


「美墨家の事情なんてどうでも良いです。栄一さんはどこにいるんですか」

「知りたいかい? どうしようかなあ。誠一が優しくしてくれたら考えても」

「薫子さん警察へ行きましょう。この人の居場所を教えてやれば大層感謝されます」

「はーいはいはい。分かったよ。案内してあげるから警察は止めてくれ」


 誠一がソファを立ち上がろうとしたのを壱流は手を広げて制止する。

 壱流と誠一はそれ以上は何も言葉を交わさなかった。壱流もさすがに諦めたのか、店を出ると黙って何処かに向かって歩き始めた。

 一体どこに向かうのかと思ったが、辿る道のりは薫子にも覚えのある道だった。


(この道ってあそこよね。全然関係ない気がするんだけど。それとも他に何か?)


 ちらりと誠一を見ると、誠一も不思議に思っているようで首をかしげている。

 それでも無言のまま歩き続けると、辿り着いたのはやはり薫子が想像した通りの場所だった。


「ここ艶子さんの個展ですよね。何でここなんですか? 住居じゃないでしょう」

「ここにいるからさ。さて、どこにいるだろうね」


 壱流は迷わず敷地に足を踏み入れた。すたすたと歩く様子は勝手知ったるといった風で、壱流の行動を疑問に思いながらも後を付いていく。

 すると建物の中から小泉青年が出てきた。絵画教室をやっている時間だったのか、手にたくさんの画用紙を持っている。

 小泉青年は薫子と誠一を見つけると笑顔で駆け寄って来た。


「どうしたんです、お二人とも。それに壱流先生まで。どうしてご一緒に?」

「先生? この人は先生と呼ばれるような人ではありませんよ。何の先生です?」

「劇団風雅の演技指導をなさっているそうですよ。絵もお描きになるそうで、艶子さんと共同制作もなさってるんですよ。マスターの作ったお菓子の油絵。あれですよ」


 壱流は眉をひそめて目を丸くした。艶子が黒田彩菓茶房を訪れたのも、誠一がケーキを作ったのも偶然だったはずだ。だがそれを壱流は知っていたということになる。

 誠一は睨んでいた目をさらに鋭くして壱流を刺すような目線できつく睨みつけた。


「ずっと僕を見張ってたということですか。いつからです。まさか最初からですか」

「人聞き悪いな。心配してたんだよ。お前を犠牲にした罪の意識はあるからね」


 誠一は悔しさのあまりか、ぎりぎりと歯軋りをして拳を震わせている。

 空気の悪さに小泉青年も気が付いたのか困ったような顔をしていて、薫子は慌てて話を本題に戻した。


「ここに栄一さんがいるんですか? 艶子さんのお父さんとか言わないでしょうね」

「違うよ。裏庭へ行こう。小泉君。一瀬さんが来たら奥で待ってもらってね」

「分かりました。後程お茶をお持ちします」


 いつもの誠一なら小泉青年に謝り笑顔を返すだろう。だが小泉青年がいることすら見えていないのか、ずっと壱流を睨み続けていた。

 薫子は何か聞きたそうな顔をしている小泉青年に会釈すると、誠一の背をとんと軽く叩いて壱流の後を追った。

 壱流が向かった先はまさに裏で、建物の隙間を縫って奥へ奥へと進んでいく。


「何ですかここ。随分鬱蒼としてますね。庭どころか林じゃないですか」

「わざと鬱蒼とさせてるんだよ。ここは元々一瀬さんの敷地で、僕は九条家にいた頃から彼と交流があるんだ。人気が無いから大切なものが隠させてもらってる」


 しばらく歩くと、急に開けた空間に出た。開けたと言っても他よりわずかにというだけで、悠々自適に見晴らしが良いわけではない。三人並んで立てばめいっぱいだ。

 壱流はそこで足を止め、身体をほとんど揺らさずするりとしゃがんで手を伸ばす。

 手を伸ばして触れた物は楕円形の大きな石だった。表面には何も書いていない。


「ただの石ですか? わざわざ立てたみたいだわ。まさか落下して突き刺さったわけではないでしょうし」

「これはお墓だよ。君らが探し求める美墨栄一のね」

「え⁉ 栄一さんて亡くなってるんですか⁉」

「去年の暮だった。栄一さんを見たと聞いて探した。でも見つけた時はもう病気で、けど美墨本家には行けない。だからここに匿ってもらったんだ。一瀬さんが隠れ蓑になってくれるし、藤夲さんは行き場の無い若者に同情的だから」


 それはおそらく、艶子への罪悪感があるからだろう。その気持ちは察せられるが、娘を想う父の心を利用するような壱流の言い方はひどく不愉快だった

 薫子はぎりっと壱流を睨んだが、壱流はやはり受け流して微笑んでいる。


「栄一さんはもういないけど、栄一さんの大切な物が残ってるんだよ。あれをご覧」


 壱流が目を向けた先にいたのは以前受付にいた女性だ。今日は箒を持って落ち葉を掃いている。


「彼女は鎌田菜穂子。栄一さんの奥さんだよ。入籍はできなかったけど実質妻だ」

「あの人が⁉ じゃあそれを知って藤夲さんは雇ってくれたんですね」

「元は一瀬さんが雇ってたはずだよ。けどあの人も奔放で忙しい人だから落ち着くには向いてない。その点ここなら程よく活気がありそれなりに静かで良い」


 従業員を雇うほどの場所でも無いのに現れた従業員は少しばかり疑問だった。

 隠された事情があるのは納得できたが、では何と声をかければよいのだろうか。


(華族の跡取りと駆け落ちって相当問題よね。私とは次元が違いすぎる)


 規模が大きすぎて、理解はしても心境を共有できるわけではない。

 重すぎる話に薫子は動けなくなったが、壱流は躊躇せず菜穂子へ向かって行く。


「え、ちょっと壱流さん! 何をするつもりですか! ちょっと待って!」

「どうして君らは僕が何かすると思うんだい。話だよ。話をしに来たのだからね」


 それは分かっているが壱流の行動は『はいそうですか』と真っすぐに受け入れて良いのか悩ましい。

 薫子と誠一は顔を見合わせ、手綱を引くため壱流に付いて菜穂子の元へ向かった。

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