時を越える葉書、隠された絆(六)
「家内の幸子です。これも九条家に縁があって利一郎様とお会いしたことがあるんですよ。お前。利一郎様を覚えてるかい。よくあそこで絵を描いていた」
「もちろんですとも。私はよくお手紙の配達をいたしましたからね」
「それだ! これ! この絵葉書に覚えはありませんか! 祖父と約束をした誰かがいるはずなんです!」
矢野は半立ちになり、絵葉書を幸子へ突き付けた。幸子は絵葉書をのぞき込むと嬉しそうに微笑んだ。
「懐かしい。これは三恵子様宛てですね。いつもそこで描いてらっしゃいました」
「えっ。三恵子、ですか?」
「へえ。利一郎様がお描きになっていたのは全て三恵子様宛です」
「三恵子……」
「知ってるんですか?」
「……祖母です。僕の祖母。じゃあこればあちゃん宛て?」
「ええ。これ覚えてます。三恵子様へ送った絵葉書が送り返されて来た、嫌われたんだろうか、って落ち込んでらして。だから言って差し上げたんですよ。それ住所不明って書いてあるじゃないですかって。三恵子様がお引越しなさって、連絡が行き違っちゃったんですよ。ねえあなた」
「あったな。利一郎様は三恵子様にべた惚れだったんです。でもなかなか声を掛けられなくて、それで幸子が仲介したんです。三恵子様も九条家所縁の方なんですよ」
「よくここで会ってらっしゃったんですよ。三恵子様はお元気ですか」
「いえ、一昨年亡くなってるんです」
「……そうでしたか。ではもうこれをお返しすることもできないんですね」
幸子が重厚感ある桐箱から取り出したのはいくつかの葉書だった。その中には筆と絵の具もいくつか入っている。
「それは?」
「三恵子様が出せなかった葉書です。利一郎様を真似して描いたものの、下手くそだからとても見せられないって。唯一うまくいった物をお出しになったんです。残りは捨てておいてくれと言われたんですが、何だか捨てられなくて」
矢野は三恵子が描いたという絵葉書を手に取った。それはひどく稚拙で、とてもじゃないが絵心があるとは言い難い。
だがふと小泉青年が何かに気づき、とんっと矢野を突いた。
「この画風、もしかしてもう一枚の葉書じゃないですか? 失敗作だと言っていたもう一枚がありましたよね。似てますよ、画風が」
「え? あ! そういやあそうですね!」
矢野は慌てて懐から絵葉書を取り出した。
絵葉書は二枚あった。売り物のように美しい一枚と、それに比べればどうみても失敗と言わざるを得ない酷いもう一枚だ。
それを見せると、幸子は膝立ちになりぱあっと嬉しそうに微笑んだ。
「そうそう、それですよ! ああ懐かしい!」
「これは失敗作ではなくお祖母様の遺品で、お祖父様はそれを取っていたんですね」
「それが今哲郎様の手に、ですか。何と素晴らしいことだ」
「へーえ。時を超えて届いた葉書たぁ浪漫だね」
「おや。いつになく詩人だね、寅助さん」
「俺はいつだって浪漫溢れてるんだよ」
寅助はへへんと自慢げに笑った。徳田夫妻もくすくすと笑うと、そっと桐箱に蓋をして矢野へ差し出した。
「どうぞお持ちになって下さい。利一郎様と三恵子様、お二人の元へ置いて差し上げて下さいませ」
「いいえ。できればここに置いてやってください。お二人がいたから祖父と祖母の約束はいつでも果たされたのでしょう。これはその証です」
矢野は桐箱を改めて徳田夫妻へ向け、深々と頭を下げた。
「祖父と祖母を待っていてくれて有難うございました」
矢野が頭を下げると、徳田夫妻は驚いたようなな顔をした。
二人は自分たちを庶民と言った。それが様付けをして呼ぶ相手の孫に頭を下げられるというのはとてつもないことなのだろう。
幸子の目にはじわりと涙が浮かび、そっと矢野の肩に手を添えた。
「またいらして下さい。生きてるうちはずうっと取っておきますから」
「はい。有難うございます。必ずまた来ます」
そうして、矢野は祖父母の話を交わし合った。一時間経ち二時間経ち、一向に話は終わらなくて気が付けば日が暮れていた。
暗くなってきたことにようやく気付いて、薫子たちは園を後にした。
時間も時間だったので黒田彩菓茶房には寄らずに各自自宅へと帰って行った。
薫子の自宅は黒田彩菓茶房なので店へ戻り、誠一も明日の準備をすると言って一緒に戻ってきた。
「さて、新しいお菓子を作らないといけませんね」
「今回も素敵な物語でしたね。タイトルは『時を超えて届いた葉書』でどうです?」
「寅助さんの言葉ですね。良いですね。それにしましょう」
誠一は帳面を取り出し図面を描き始めた。大抵は頭の中で考えてぱっぱっと作ってしまうが、複雑な物を作る時は絵に描いてから作り出す。
(小泉さんみたいにチョコレートペンかしら。バタークリームの花は使いそうね)
何を作るかは分からないけれど、きっと今日は遅くまで作り続けるのだろう。
薫子は誠一が使いそうな材料を準備しながら過ごした。
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