時を越える葉書、隠された絆(五)

 櫻花亭はひっそりとしていて、当然のように客はいない。

 こんなに閑散としてる中で営業する意味があるのかは分からないが、入ってすぐの受付に赤い無地の着物を着た女性が座っていた。

 女性は眠そうにしていて、薫子たちが入ってきたことに驚き慌てて立ち上がった。


「いらっしゃいまし。何名様ですか」

「ちょっとうかがいたいんですが、ここに矢野さんという人が来たことはないでしょうか。開園当初の頃だと思います」


 突然の問に不信感を覚えたのか、女性は眉をひそめて黒田を睨むように見つめた。


「申し訳ございませんが、お客様の個人情報はお教えできません」

「ああ、すみません。こちらは九条家所縁、矢野家のご子息なんです」

「えっ」


 言われて驚いたのは矢野だ。誠一がぐいぐいっと矢野を前に押し出すと、女性は目を丸くしておろおろとしている。


「どうしても確認したいことがあるんです。責任者に繋いではいただけませんか」

「あ、ちょ、ちょっとお待ちを!」


 微笑む誠一に促され、女性はばたばたと足音を立てて奥へ走って行った。

 相当な慌てぶりだが、少しすると女性よりもはるかに焦って走る音が聞こえた。

 やって来たのは老齢の男性だった。先程の女性は後ろに控えていて、あの方です、と誠一に目をやった。すると老齢の男性は勢いよく誠一に飛びついた。


「お待たせしました! 矢野の坊ちゃんがいらしたって!」

「坊ちゃんは僕ではなくこちらです」

「あ、こちら! こりゃ失礼を! 坊ちゃん、坊ちゃんですか! 私です! 徳田、徳田達也です!」

「矢野哲郎です。祖父のことを調べてまして。矢野利一郎をご存知無いですか」

「利一郎様のお孫様ですか! そうですよね! 哲司様にしちゃあお若い!」

「父を知ってるんですか?」

「もちろんですとも! ああ、こりゃいかん。おい! お座敷へお通ししなさい! さあさあどうぞ!」

「ど、どうも」


 徳田は興奮冷めやらぬようで、こちらにこちらに、と振り返りながらちょこちょこと進んでいく。

 その顔はとても嬉しそうだが、当の矢野はすっかり困ったような顔をしている。


(そうよね。感激されても矢野さん本人は知らないわけだし)


 しかしこの興奮に水を差すのは気が引ける。大人しくそのまま付いていくと、十人で宴会をしてもまだ余るであろう広い部屋へ案内された。


「すぐに戻りますんでお待ちを! お待ち下さいね!」

「はあ」


 全員まだ立っていたけれど徳田はぴゅうっと何処かへ走って行ってしまう。

 嵐のような勢いに、薫子は呆然とした。


「すごい嬉しそうですね。矢野さんのお祖父様は相当ご高名な方だったんですね」

「いやあ、聞いたことないですけどねえ。人違いだったらどうしようかな」

「けどよ、震災の復興をやったんだろう? 各地に呼ばれる建築家ともなれば、そりゃあ国から依頼受けるとかそんなじゃねえのかい?」

「確かにそうですね。普通はご自身の営業領域内を手掛ける程度でしょう。でも椿家の庭園を任されるほどの方ならあり得ない話ではない」

「……なんか大きい話になってきましたね」

「九条家は大きな家ですから。でも絵葉書の物語はそう大きい話ではないでしょう」

「それはどういう」


 矢野が黒田の言葉に首を傾げると、再びばたばたと激しい足音がした。

 あっという間にそれはこの部屋へ辿り着き、飛び込んできたのはどこかへ行っていた徳田だ。


「お待たせしました! これですね! 大事にとっておりましたよ!」

「え? これ何でしょう。祖父の物ですか?」

「へえ? これを取りにいらしたんじゃないんですか?」

「いいえ。遺品から絵葉書が出て来て、祖父を待ってる人がいるなら挨拶したいと思っただけで」


 矢野は絵葉書を見せると、徳田は一瞬驚いたような顔をした。矢野の顔と絵葉書はきょろきょろと見比べると、一呼吸ついて微笑んだ。


「そうでしたか。利一郎様はこの櫻花亭の建築をなさったんですよ。九条家からとても信頼の厚い方でしてね」

「へえ。そんなのは聞いたこと無かったですね」

「私は利一郎様のお手伝いをさせて頂いてたんですが、庶民の私にも良くして下さいました。ここの店主を任せて頂けたのも利一郎様の口添えのおかげです。現場を支えた徳田が誰よりもここを守ってくれるだろうと。あれは嬉しかった」

「は~。じゃあこの絵葉書で約束したのは徳田さんですかね」

「いいえ。特別なお約束をしたことはないですよ。そんな身分じゃございません。ああ、でも」


 徳田がふと何か思い出したような顔をすると、ふいに襖の外から失礼致します、と上品で涼やかだがよく通る声が聞こえた。

 するりと襖が開かれそこには平伏している白髪交じりの女性がいる。


「お茶をお持ちいたしました」

「ああ、いいとこにきた。ちょっと座りなさい」


 徳田に手招きされ、女性はしずしずと歩を進めると流れるような所作でお茶を出してくれる。ぺこりと小さく頭を下げると、ようやく徳田の隣に座った。


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