時を越える葉書、隠された絆(四)

 そして翌日になり、黒田彩菓茶房に全員が集まった。

 路面電車を乗り継ぎしばし歩き、一時間ばかりで椿緑櫻庭園に辿り着いたが入園入り口で全員の足がぴたりと止まる。


「入園料一人一円って高くないですか……ただの庭園ですよね……」

「ただのではないですね。ここは華族椿家の元別邸を一般公開した場所なんです。一年ほど前なのでわりと最近」

「どんな理由でも一円は高いですよ! お散歩に一円かけるなんてあり得ませんて!」


 全員が呆然として入り口の値段表を見ていたが、お構いなしに誠一は受付で入場料を支払っていパンフレットまで買っている。


「本当に良いんでしょうか。一円って想像以上なんですが」

「マスターの経費だから良いんですよ。これは黒田調査隊のお仕事です」

「あいつはいつもこうなんだ。血筋だから治らん。乗っかってりゃいいんだ」


 矢野と小泉は大慌てだが寅助はけらけらと笑っている。

 薫子はすっかり慣れて、待ちきれずに庭園へ入ってしまった誠一の後を追った。

 矢野は祖父の絵葉書を持って辺りを見回したが表情は曇ってしまう。


「閑散としてますね。椿に桜にって、もっと華やかなもんを想像しちまいました」

「桜は散ってしまいましたからね」


 今はもう四月中旬。桜の花は既に散っている。

 他にはこれといって目を引く植物が無いせいか、園内には全く人がいなかった。

 自然を楽しむどころか散歩程度に歩いている人もいない。


「しょぼいなあ。一円でこれはねえよ。せめて割り引けよってなもんだ」

「この庭園一番の見どころは椿家の名の通り多種多様な椿です。まだ咲いているので後で見に行きましょう」


 誠一は受付で貰っていたパンフレットを広げた。

 園内見取り図が描いてあり、東には椿の文様が、西には桜の文様が描かれていた。

 これだけでも美しい一つの絵画のようで、小泉は魅入っている。


「櫻区で有人の休憩所は櫻花亭だけですね。行ってみましょう」


 誠一はあっさりとパンフレットを閉じてすたすたと歩き始めた。

 園内はうねうねと複雑な通路が縦横無尽に走っている。けれど誠一はまるで知っている土地のように迷わず進んでいく。


「お前さんまさかパンフレットちょいと見ただけで道覚えたとか言わないだろうな」

「え⁉ 覚えたんですか⁉ マスター本当に記憶力良いですね」

「あはは。喫茶店は向こうですよ」


 三人が唖然としているのを尻目に、誠一は迷うことなく進んで行った。

 数分歩くと、大きくはないが趣があり上品な雰囲気が漂う小屋が見えてきた。

 赤い大きな傘とその下に椅子。絵葉書に描いてあったあの小屋だ。


「あれ! あれですね! 絵絵葉書そのまんまですよ! 間違いない!」


 矢野は目を輝かせて駆け出し、黒田たちもそれを追った。

 小屋の手前には大きな木製の看板が立てられていて、そこには《櫻花亭》と刻まれている。角には桜が刻まれているが他に変わったところはない。

 しかし矢野は何か気になったのか、刻まれていた桜をじっと見つめている。


「どうかしましたか?」

「ああ、いえ。何でも。角度的にもう少しあっちですね」


 矢野はにへらと笑うと、絵葉書を掲げて足早に歩いていった。

 櫻花亭が小さくなるくらいまで離れてうろうろすると、薫子たちは絵葉書と角度が一致する場所を探した。四人でちょこちょこと立ち位置を調整していくと、ようやくそれらしい場所を発見する。


「お! ここだ! ここでしょう!」

「若干木の様子は変わってますが間違いなさそうですね」

「ここですか……」


 矢野は嬉しそうに喜び飛び上がったが、小泉は不思議そうに首をかしげている。


「どうかしましたか、小泉さん。何か気になることがありますか?」

「ああ、いえ。何故ここなのかと思いまして」

「私は綺麗な場所だと思いますけど。絵描きとしては妙なんですか?」

「妙というか、俺ならこの場所は選びません。だって椿にしろ桜にしろ、見所があるんですか。ビルを除外して目線が下に行く椿が最適です。滝は後ろが桜並木だからその方向で描けばいい。ここである必要は無い気がします」


 饒舌に語りだした小泉青年に矢野は気圧されたようで、矢野は目を丸くした。

 寅助は興味無さそうに小さく唸って滝の辺りをぼうっと見つめていて、明らかに興味のないその姿を隠すように誠一は小泉青年の前に立った。


「小泉さんほど学がないだけではないですか? 僕はそんな悪いとは思いませんよ」

「いいえ。この方の技術は高いです。水彩の濃淡や筆の種類も、複雑ながら見事に使いこなしている。きちんと芸術を学んだ方のように思えます。ここを見てください」


 小泉青年は絵葉書と風景に乗せるようにして掲げた。薫子たちは全員小泉青年の後ろに回り視界を重ねる。


「手前の小さい橋が描かれてません。これは滝を少し桜に寄せて、景色が整うよう調整してるんですよ」

「本当だ。切り取ってくっつけたようですねえ。こりゃあ何ででしょうね」

「きっとビルが嫌だったんですよ。しっかりとビルが入りますから。けど調整するほど嫌いならこの場所は選びません。自然しか視界に無い場所の方が多いんですから」

「ではあえてここを選んだと?」

「僕はそう感じます。椿以外の見どころを全て押し込もうとしてるような」


 矢野は目をぱちくりさせた。低く唸って何か考えていて、誠一も少し考え込むと、じっと矢野を見つめた。


「矢野さん。おじい様は椿家か九条家に縁があったのではないですか?」

「へ? ああ、遠縁に九条とかいうのがいますよ。どうしてご存知なんです?」

「その前に九条家って何ですか? 特別な家ですか?」

「華族ですよ。ここは椿家が身内で集まるために造った園なんですが、九条家は椿家と近しい家柄なんです」


 誠一はパンフレットをぱらりと広げた。

 びっしりと書き込まれている小さな文字の中から一か所を指差すと、そこには庭園が造られた経緯などが書かれている。九条家という名前もその中に登場した。

 誠一の話しに興味を惹かれたのか、寅助もにやにやと笑いながら寄って来る。


「開園当初に入れたのは椿家のみでしたが、九条家だけは入園が許されていました。この庭園は九条家の出資で作られているんです」


 誠一はパンフレットの文字を指差したが、その場所は先程よりは数段下の隅だ。


「何でこんな小さい隅っこのことまで。いつ読み込んだんですか、マスター」

「先程ちらりと。お祖父様は年齢からして入場は一般公開前。確実に椿家か九条家の縁者です。櫻花亭で何か気になったようでしたが、心当たりがあるのでは?」

「……角に植物や文様を刻むのは祖父が好んだ技法で、特別な家の庭を作ったと言ってました。一般家屋しか携わってなかったのに何故だろうと不思議に思ったんです」

「それなら構図を無視して庭園全体を入れたのも分かりますね。ご自分の作品を描きたかったんですよ。華族椿家に選ばれたなんて人生の誇りだ」

「あ! それなら櫻花亭にお祖父様を覚えてる人がいるかもしれませんよ!」

「そうですね。聞いてみましょう」


 薫子たちは顔を見合わせて頷くと、よし行こうと櫻花亭へと折り返した。

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