追憶の楽譜、継がれる想い(一)
今日の黒田彩菓茶房は満員御礼だ。それもそのはず。事前告知がされていた新商品が発売されるのだ。
(お客様の物語スイーツは日ごとに数量限定で期間を逃せば食べられない。物語の再現率重視だから製作時間がかかるのよね。でも今回は別)
今日の物語は矢野さんの物語だ。訳あって定番化することになった。
さっそく注文が入り誠一が客へと運んでいく。
「お待たせしました。時を超えた絵葉書・ア・ラ・モードです」
「これがア・ラ・モード? ア・ラ・モードってどういう意味ですか?」
「本当はプリン・ア・ラ・モードというプリンに果物やほかのお菓子を合わせて盛りつけた物ですが、これはある男女の物語なんです。桜の見える喫茶店で逢瀬を重ね、二人の縁を繋げた男女も夫婦となった。それが彼らの孫に伝わったんです」
矢野さんの物語はとても素敵だった。
お祖父様とお祖母様の出会いと、結ばれるまでの日々が残された絵葉書。結ばれてからの日々は孫の矢野さんの胸の中にある。
その失われた時を繋いでくれた徳田夫妻と、形をそのまま残していた椿緑櫻庭園。
「素敵じゃないですか! それでたくさん盛りつけができるア・ラ・モード?」
「はい。庭園は人工の滝が潤していた。美しい水は硝子の器になりました。チョコレートプリンは二人が逢瀬を重ねた喫茶店です。二つの苺は二人を見守った男女です」
プリンの横には少し背の高い円柱状のスポンジが鎮座していて、そこには滝のように生クリームが縦に筋を作って流れている。周囲にはバタークリームの桜が敷き詰められ、まるで満開の桜並木を見ているようだった。
仕上げにたっぷりの生クリームと季節のフルーツを盛り付けるが、このア・ラ・モードはまだ終わりじゃない。
誠一はポケットから絵葉書を取り出すと、客にすっと差し出した。
「この物語が秘められた絵葉書をあなたにも」
差し出した絵葉書は小泉青年が再現した矢野の祖父が描いたあの絵葉書だ。
「えー⁉ これもらえるんですか⁉ 売り物じゃなくて⁉」
「非売品です。時を超えた絵葉書・ア・ラ・モードご注文の先着で限定です」
「やったあ! すごーい!」
これは小泉青年が提案してくれたことだった。
自分も何か協力させてほしいと言ってくれて、この絵葉書が付くことになった。
浪漫溢れるア・ラ・モードに女性客は目を輝かせ、小泉青年の絵葉書にうっとりと見惚れている。
そんなこんなでて『時を超えた絵葉書・ア・ラ・モード』は飛ぶように売れた。
恋に恋する若い女性や家の都合で想う相手と結ばれなかった人、自分もこんな素敵な物語を作りたいと憧れる人たちが次々に注文してくれた。
小泉青年の絵葉書目当てもいて、昼を過ぎる頃には完売だ。
そして夕飯の時間が見えてくるとお客さんもいなくなり、そんな頃になってようやく寅助がやって来たのだが――
「もう無い⁉ 何だそりゃ! 俺は手伝ってやったんだぞ! 黒田調査隊!」
「分かってるよ。明日は取っておくから良い時に来ておくれ」
「絶対だぞ! これくらいの時間に来るからな!」
「寅助さん本当好きですね」
「ったりめーだ。俺ゃ甘いもん食うために生きてんだよ。チョコレートケーキくれ」
「はーい。疲労回復チョコケーキ入りまーす」
「その商品名どうかと思うぞ俺ゃ」
チョコレートケーキはおばあちゃんが勉強に疲れた孫へ贈ったという物語がある。
目的が疲労回復だったので『疲労回復のチョコレートケーキ』になったらしい。
(センス無いのは確かね。マスターのお菓子はお洒落だけどタイトルがどれも残念)
薫子がチョコレートケーキをショーケースから取り出すと、キイっと扉の開く音がした。扉を見ると見覚えのある袴姿の男性がやって来た。
「あ、小泉さんだ。いらっしゃい」
「こんばんは。ア・ラ・モードはどうですか?」
「大人気ですよ! 絵葉書だけ別売りしてくれないか~って人もいっぱい」
「あはは。それはさすがに駄目ですね。でも嬉しいです」
「お! 坊来たな! こっち座れ! 来い来い!」
カウンターで話し込んでいると、後ろから寅助の呼ぶ声がした。嬉しそうな顔をしてぶんぶんと手を振っている。
「すっかり気に入られましたね。何か食べますか?」
「寅助さんはチョコレートケーキですか。じゃあ僕もチョコレートケーキにします」
「かしこまりました。座って待ってて下さい」
小泉青年はぺこりと頭を下げると寅助さんの元へと向かっていった。
薫子は二人にチョコレートケーキを出したけれど、当然のように客席に座っている誠一は何故か難しそうな顔をしていた。
「どうしたんですか?」
「ああ、いえ。これに小泉さんが出るそうなんですよ」
マスターが手に持っていたのは一枚のびらだった。それは来月に美墨公園で開催される義援祭りのお知らせだ。
「あ、これ小泉さんが描いたやつ!」
「はい。寅助さんが口利きしてくださって描かせていただきました」
「いやいや。俺ゃ頼まれたんだよ。坊を紹介してくれってさ」
「それも寅助さんが挨拶に連れて行ってくれたからです。本当に有難うございます」
寅助は小泉青年をとても可愛がっている。
年齢的には祖父と孫くらい年齢が違うこともあるだろうが、艶子のことを聞いた寅助はしばらく沈痛な面持ちでいた。
それで思うことがあったのか、自分の文房具店にボールペイントペンの絵を描いてもらって代金を払い、商店や知り合いの店に小泉青年を紹介して回ったそうだ。
その甲斐あってか、この近隣では小泉青年の絵は少しずつ広まっている。
実際お金になる仕事へ繋がったかどうかは分からないが、少なくとも黒田彩菓茶房で絵葉書が完売するくらいには求められている。
この義援行事のびらも、おそらく大した金にはならないだろう。それでもびらにはちゃんと『画 小泉正人』と書かれている。
これを一番喜んだのは小泉青年ではなく寅助だった。やいのやいのと賑やかで破天荒な寅助と真面目で品のある小泉青年の組み合わせはもはや名物だった。
「それでマスターは何でそんな顔してるんですか? 問題でもあったんですか?」
「いえ、俺に問題があるんです。実は運営の方に絵の出店を頼まれたんです。でも絵葉書は量産が大変なんです。似顔絵露店はできますが、まだやる気はなくて」
「就職活動もその勉強もありますもんね。断ればいいんじゃないんですか?」
「それがやるって言っちまったんだとさ」
「ありゃりゃ。最初はやる気だったんですか?」
「いいえ。『黒田彩菓茶房がいるんだからいいじゃないか』と言われて、マスターの出店に置けという意味だと思ったんです。だから引き受けてしまったんですが」
「うちは参加予定はないですねえ」
「騙されたってこったな。坊は善人すぎて心配だ。運営って浅沼の嬢ちゃんだろ?」
「はい。髪の短い活発な方です。お知り合いですか?」
「赤ん坊の頃から知ってる。そんなら黒田彩菓茶房で出店すりゃいいじゃねえか。お菓子と絵葉書、そこに並べてる分をそのまま持って行きゃいい。な?」
「僕は有難い限りですが、でもマスターは気乗りがしないんですよね」
人助けが生きがいのような誠一にしては珍しく腕組みをして考え込んでいた。
(珍しいな。こういうことには頼まれなくても突っ込んでいくのに)
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