託されたペン、広がる未来(三)

 寅助の言う『今日のおすすめデザート』の正式名称は『マスターの気まぐれデザートセット』というメニューで、薫子が考案したメニューだった。

 その名の通り誠一の気分で決まるが、ようは『その人に必用なお菓子を作る』という行動を明文化しただけだ。けれど誠一はとても気に入ってくれている。


「きまぐれセットはとても良かったですね。お客様と話しやすくなりました」

「マスターと話したいって言い出せない人も多いですからね」


 西洋文化が流行しているせいで洋菓子店に思われがちだが、黒田彩菓茶房最大の魅力は誠一の人柄から生まれる彩菓だ。

 どうしてもショーケースに並ぶケーキの注文が多い。それ自体は構わないけれど、誠一の目的であるお客様へ寄り添う目的の弊害になっていた。

 ならば注文内容はどうあれ誠一と会話が必要なメニューを作ろうと考えたのだ。

 しかしこのメニューは経理という目線から見ても利益のある販売手法だ。


「棄てる材料を売上にできて一石二鳥です。これなら粗利はトントンになりますよ」

「販促費というのになるんでしたか。考えたことも無かったです」

「数字管理をしたいだけなら気にする必要も無いですしね。それに無料でマスターの時間を奪うことに抵抗ある方の支えが無くなって良かったですよ」

「僕は気軽に声をかけてくれて良いんですけど、そういうこともあるんですね」

「そりゃあお店ですから。これ書いて良かったですね」


 薫子はつんっとメニューを指さした。メニューには『マスターが直接ご要望をうかがいます』と書いてある。

 店側はマスターが話すと分かっているけれどお客様は知らない。だがこれを書くことでマスターとのお喋り料になると察してくれる。

 そのかいあってか、きまぐれセットは大人気になっている。


「どうしましょうか。苺が余ってますよ。ジャムにすれば保存できますけど」

「使ってしまいましょう。ワッフルサンドにして盛り付ければ可愛くなります」

「寅助さんはいかつい見た目に反して可愛いデザートが大好きですからね。それにしてもワッフルは想像以上の人気ですね。女性は特に」

「持ち帰れるのも良かったですね。梱包したお土産用を作ると良いかもしれません」


 ワッフルは先週から始めたメニューだ。誠一が専用の四角いでこぼこになるプレートを入手したとかで、試しにきまぐれセットで出し始めた。

 するとこれが大好評で、定番商品にしても良いのではというほどの人気だ。


「薫子さんに手伝ってもらえるのも助かります。時間が短縮できて良い」

「大したことはできませんけど、作り方が簡単ですからね」


 ワッフルは複雑な見た目に反して材料に珍しい物は無く、混ぜて焼いて完成だ。

 焼くまでを薫子が調理できれば誠一は盛り付けに専念すれば良いだけで、お客様と話す時間も増えるというわけだ。

 しかし今はまだ修行中だ。今は誠一が調理する様子を隣で見て補佐をする。


「では下準備から。まずは薄力粉とベーキングパウダーを振っておいて、卵と牛乳も混ぜておきます。この間にプレートを温めてバターを溶かしてください」


 薫子は指示された通り、ワッフル用のプレートを温め始めた。

 料理人としては未熟な薫子は、電源を入れるだけのような誰がやっても同じ結果になる作業しかできない。

 それでも誠一のお菓子作りに参加できるのは嬉しかった。どこにでもあるバターすら誠一の手に触れたら宝石の原石に見えて来る。


「次は粉と卵たちを混ぜましょう。滑らかになったらバニラエッセンスを加えて種の完成です。これを型に入れて焼けば出来上がり。どうです、簡単でしょう」

「見てる限りでは、はい。でも混ぜ方とか混ぜる時間でも変わってくるんですよね」

「そうですね。これは繰り返しやるしかないでしょう。幸いうちの材料は余るのでたくさん練習してください」


 誠一はからりと笑った。黒田彩菓茶房は全てが誠一の気分次第だ。仕入れる材料の種類も量も全てが感覚で行われる。

 帳簿を付け始めた当初は愕然としたが、ぎりぎりの仕入れでお客様に提供できなくなるよりも余らせて配った方が良いというのが誠一の方針だ。

 だから材料はたくさん余ってしまい、それを薫子に使わせてくれている。


「少しはマスターの手を空けられるようにならなくちゃ。この後は苺ですよね」

「はい。寅助さんはブルーベリーもお好きなので使いましょう。生クリームは寅助さん用のがまだありましたよね。硬めでしっかり甘さを付いている」

「あります。寅助さんは可愛く甘くお腹いっぱいですもんね」


 誠一の作るワッフルは手のひらより少し大きいくらいのを二枚。それで苺やブルーベリー、生クリームをたっぷり挟んでいるので量は多い。

 薫子はブルーベリーも誠一の手元に置くと、いよいよ盛り付けの始まりだ。

 誠一はワッフルを大きな皿に乗せた。苺とブルーベリー、寅助のために作られた生クリームをじっと見つめて一瞬だけ考え込むと、すらりと長い指を苺に伸ばした。

 誠一は苺を大小様々な形に切ると、ワッフルの周りから皿の円周をぐるりと苺で飾っていく。白い断面と赤い表面を交互に並べると、冷蔵庫からバタークリームを取り出した。


「マスター、バタークリームのお花作るんですか?」

「寅助さんはこれがないといけません。今日は紅白の薔薇にしましょう」

「贅沢ですね。他のお客様が羨ましがりますよ。マスターのお菓子の中でも特に人気が高いもの」


 薫子は誠一に絞り袋を渡した。食用着色料を練り込んだバタークリームを絞り袋に入れ、土台に乗せてくるくると回しながら作るのだが、これがとても繊細だ。

 まず花の中心になる芯を作る。蕾がある場合は丸っとした物を作り、向日葵のように中心が開き種があるような場合はまた違う素材と組み合わせる。

 とても難しそうな作業なのに、誠一は迷うことなくくるくると蕾を膨らませ花開かせていく。薔薇がワッフルの上で咲き乱れる様子は夢の国に来たようだった。


「さあ完成です。デザートにしてはちょっと盛りすぎましたかね」

「大喜びですよ! 新しいお客様もいらっしゃいますし、きっと驚きます」

「気に留めていただけると嬉しいですね。では寅助さんにお出ししてください」

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