椿繚乱、流れ往く時(二)

「椿家は華族の中でも革新的な家なんだ。子供は四人。長男の雄太さんに次男の優二郎さん、長女の一華、末子で庶子の大志君」


 壱流は人差し指から順に四人分の指を立て、人差し指を前後に揺らす。


「雄太さんは自分で事業をやってるから跡取りを辞退して相続権も放棄。跡取り第一候補になった優二郎さんは椿家保有の《帝都修道学園》を中心に一族ごと教育事業へ転身させるらしい。二人は当主源之助氏の古い生き方を否定してるんだ」

「はあ。凄そうですけど、華族はそういうの好まない印象がありますよ」

「その通り。内部から反発があって、反対派が大志君を次期当主候補に掲げた。優秀で人徳もあり、何より源之助氏が一番可愛がってる。大志君の母親は源之助氏が政略結婚前から交際してた女性の子供なんだ」

「へえ……何か大変そうですね……」


 重くなった空気の中で、寅助は深刻そうな顔をして誠一は恐ろしい物を見たような顔で俯いている。


(何で椿家の事情をマスターに教えておかなきゃいけないのかしら)


 薫子は椿家と九条家は、身内か仲の良い友人の間柄なのだろう、くらいの認識しかない。それを追求しなかったのは、両家がどういう関係性だったとしても誠一に影響があると思っていなかったからだ。


(この表情、マスターにも影響あるのよね。大志さんは四男で庶子。庶子繋がり? でも家が違うんだし――……あ! そうか! 立場が上の椿家当主が庶子なら九条家が庶子を当主にする正当な理由ができる! 椿家に倣ったように見えるもの!)


 薫子は勢いよく壱流を振り返り、目が合うと壱流は不愉快そうな顔をしていた。


「雄太さんと優二郎さんは一本気だから分かりやすい。でも大志君は難しい子だ」


 壱流は指先で重苦しい音を立ててテーブルを突いた。ついさっき桃色の花を開花させた指とは思えない。


「源之助氏の在り方を望むのは椿家の歴史を支持する人。いわば重鎮勢だ。その全てを彼は味方に付けた。庶子なんて椿家が嫌う存在を旗印と認めたのは凄いことだよ」


 壱流は疲れたようにソファの背に寄り掛かった。

 美しい顔は歪んでいるが、それが怒りなのかただ不愉快なのかは分からない。


「あの子が大人しく椿家に従うとは思えない。当主になるなら何かしら目的があるだろう。ならないならならないで目的がある」

「どっちみちあるんじゃないですか」

「そう。無駄なことは一切しない子だよ。その大志君が帝都修道学園へ入学した。優二郎さんが支配するはずの帝都修道学園へ」


 薫子を除く全員が苦々しい表情をしている。

 だが薫子が気になったのは全く別のことだった。


(身を隠してるくせに随分な情報通じゃない。椿家の人から聞かないと分からない情報じゃないの、これ)


 最初から壱流は都合よく現れる男だった。

 田村の懐中時計も今も、ここぞという時に都合よく登場するのはそれができるだけの情報を握っているからではないのか。

 やはり信用できなくて薫子は壱流を睨み、壱流は微笑んで薫子の圧を受け流す。


「質問があるならどうぞ。今なら割とそこそこ答えてあげるよ」


 聞きたいことが無いと言ったら嘘になる。だが事情を知っておきたいと思うのは九条家と椿家のためじゃない。

 薫子が守りたいのは誠一と、誠一が黒田彩菓茶房で過ごす日常だ。

 薫子は壱流が活け直したカステラケーキを寅助に差し出した。

 これは試作品だ。まだまだ改良を重ね、村上が求めるカステラケーキを作る。


「ここは黒田彩菓茶房です。お客様のためのケーキを作る店です。営業妨害はとっととお帰り下さい! お出口はあちら!」


 薫子は勢いよく扉を指差し、場はしんと静まり返った。

 しかし壱流はほおを緩めて笑い出す。


「あはは! 良いね! 誠一この子に婿入りしなよ。頑張ってくれそうじゃないか」

「あんたまたそういう」


 言い返してやろうと薫子は身を乗り出したが、その一歩前に誠一が立ちはだかる。


「僕はもう九条家の指示はききません。僕がどう生きるかは自分で決める。薫子さんの家へ婿に行くのは僕がそうすると決めた時です」

「はい⁉」


 突如断言した誠一の言葉に薫子は思わず声を上げて振り返る。

 買い言葉に売り言葉かもしれないが、誠一の表情はとても真剣だった。


(確かに婿探しするつもりだったけど! でも別にマスターにそんなことさせようと思って働いてるわけじゃないですって!)


 心の中で慌てて叫んだけれど、どうしてか言葉にはならなかった。

 だがそれを代わりに茶化し始めたのは寅助だ。


「俺ぁ時間の問題だと思ってるぞ。今一緒に暮らしてんだよここで」

「あ、秒読み段階だったんだね。何だ。それはよかった」


 壱流は言うだけ言って満足したのか、ひょいと立ち上がると軽い足取りで扉へ向かいノブに手をかけた。

 さっさと帰れと薫子は心の中で毒づいてぎりぎりと睨んだが、再び壱流は振り返って誠一を見た。


「菜の花は全て檸檬だよ。食紅で薄く色付けて橙色にするのがお祖母様流だ」


 それだけ言うと、壱流は笑顔で店を出て行った。

 窓から見える限り手を振っていて、見えなくなると薫子は寅助に詰め寄った。


「寅助さん! 何なんですかあいつは! いつもいつも腹立たしい!」

「さあな。壱流なりに考えることがあるんだろ。んなことより次のケーキ作れよ」


 寅助はもういつも通りだった。壱流が活け直した花を引き抜き全ての花を避け、カステラだけを食べていく。視線はショーケースへ移り次のケーキを物色している。

 けれどまだ誠一の表情は重く、逃げるようにカウンターの中へ入って行った。

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