椿繚乱、流れ往く時(一)

 寅助に誠一が再現したカステラケーキを出すと、立ち上がり飛び付いた。


「お~! これこれ! 婆さんが作ってたのとそっくりだ! いいじゃねえか!」

「大事なのは味だよ。食べてみてくれるかい」


 誠一が勧める必要も無く、話途中で寅助は奪うようにフォークを握るとばくりばくりと食べ始める。

 初めに手を付けたのは菜の花だったが、寅助は食用花を全て避けてカステラだけを食べてしまう。


「寅助さん! 何でお花全部避けちゃうんですか!」

「嫌いなんだよ。婆さんだって見た目で楽しきゃ食わなくていいって言ってたよ。こういうのは普通ちょいと添えるだけじゃねえか。ほうれん草ならともかくよ」

「……まあそうですね。砂糖漬けならともかく」

「だからよ、お前さんのバタークリームの花を見た時ゃ嬉しかったね。婆さんは誰でも抵抗無く食べられる甘い花が欲しいって言ってたからよ。ありゃあまさにだ」


 黒田彩菓茶房には誠一のバタークリームの花を見るためにやって来る客も多い。

 食べたいケーキにバタークリームの花が乗っていない時は、特別に付けてくれないかと注文を受けることも多い。


「時を超えてお祖母様の想いを孫のマスターが形にしたんですね。だからここには時を超えてやって来るものが多いんだわ。時を超えた絵葉書、時を超えた楽譜」

「じゃあこいつは時を超えたマスターだな。うまいこと言うじゃねえか嬢ちゃん」

「それ自画自賛ですよね。時を超えた、って寅助さんの命名じゃないですか」

「おっとそうだった。俺ゃ時を超えてセンスが良いんだよ。店は古いがな」


 寅助はけけっと軽い調子で笑ったが、誠一の表情は幸せだと叫んでいるかと思えるほど嬉しそうに微笑んでいる。

 花を避けながらカステラを食べる寅助の手は止まらず、並行して無くなっていく珈琲を誠一は注いでいく。懐かしいカステラケーキを食べながらいつもの珈琲を飲んでくれる姿は、それだけでとてつもない幸せを感じさせてくれた。

 寅助は最後の一欠けらまで食べきると、満足げに笑みを浮かべてソファの背にゆったりと身を預ける。


「ん。いいんじゃねえかな。うまい」

「そっくりになってるかい? 何か足りない気がするとか、甘すぎるとか」

「婆さんは作るたび味違ってたから分かんねえな。大事なのは客が必要としてるモノを与える気持ちで、その気持ちが彩菓で想い出になる。味はそれなりでいいのさ」

「味の確認って言ってたの寅助さんじゃないですか。やっぱり食べたいだけでしょ」

「へへっ。俺は甘いもん食うために生きてんだってんだ」


 寅助はひらひらと手を振り、目線は既に桃色の花々が飾られたカステラケーキへと移っている。

 薫子は誠一と目を見合わせて、注文に備えカウンターへ入ろうとしたが、その時、にゅうっと後ろから何者かの顔が突き出て来た。


「いいね。僕にも一つくれないかい。好物なんだよ、カステラ」

「げっ! いつの間に!」

「うんうん。素晴らしい歓迎の言葉を有難う」


 突如現れたのは壱流だ。

 寅助は、おお、と驚きつつも笑い、誠一は露骨に嫌な顔をした。

 誠一の顔を見た寅助は、眉間にしわを寄せて呆れ顔をする。


「まだ喧嘩してんのかい、お前らは。いい加減仲直りしろや。婆さんが泣いてるぞ」

「寅助さん。無責任なこと言わないでください。喧嘩なんてものじゃないでしょう」

「血ぃ繋がってる子供が仲違いしてんのは喧嘩って言うんだよ。このカステラケーキの花だって俺に聞くより壱流の方がよっぽど詳しいだろ。なあ」

「うん。生け花は徹底的に叩き込まれたからね」


 壱流はにこりと微笑み、誠一はぎろりと睨み返した。

 薫子は当然誠一と並んで睨みつけるが、壱流の言葉が引っ掛かった。


(叩き込まれた? 壱流さんは九条家で育ったのよね。どうして黒田の人に?)


 壱流は『ある日失踪した長男』だ。失踪ということはそれまでは家にいたということになる。ならば庶子の親族、それも直接の親ではない祖母に師事するというのもおかしな話だ。

 やはり九条家と黒田家には深い関りがるように感じられた。

 それを証明するかのように、壱流は桃色の菊を摘まんで抜いて少し横へ指し直し、敷き詰められた花もちょいちょいと舞い落ちた場所を変えていく。


「桜はもう少し前に出した方が良い。儚さとは控えめに隠せばいいわけじゃない。主張しても密やかに見えるから儚いんだ」


 壱流はあっという間に桃色の花々を生まれ変わらせ、その形は村上が見せてくれた写真のケーキそのものだった。

 壱流も寅助も何も言わないが、壱流が手直ししたカステラケーキの美しさは誠一では力不足だと言っているように思えた。

 けれど壱流は肩をすくめ、客である寅助の横に腰かける。


「僕はお菓子作りが苦手なんだ。だから珈琲を淹れるくらいしかやってなかった」

「こいつの仕事は客寄せだよ。外に立たせときゃ女が寄って来るからな」


 壱流は腕を組んでうんうんと大きく頷いた。確かにこの美貌ならば間違いないだろうが、薫子は全く魅力的に思えなかった。


「顔だけなんて意味無いわ。心から好きになってもらえなきゃすぐ別のお店に逃げられちゃうもの。うちのお客様はマスターが大好きだから何度も来てくれます!」

「君は何でそうも僕を敵視するんだい。何もしてないじゃないか」

「マスターに嫌がらせする奴は漏れなく敵です。用が無いならお帰り下さい」

「用ならあるよ。誠一に教えておかないといけないことがあるんだ」


 ふふ、と壱流は小さく笑った。テーブルに肘を付いて両手の指を交差させると、顎を乗せて上目遣いに誠一を見る。


「椿家の次期当主候補に大志君が名を連ねたよ」


 最初にぎょっとしたのは寅助で、動けなくなっているのは誠一だ。

 薫子には何のことか分からず首を傾げるしかできない。 


(椿家って毎度おなじみ華族の椿家よね。当主候補ってことは息子?)


 事情が呑み込めていない事を察したのか、壱流は指をほどいて肘をついた左手の掌に頬を乗せて薫子を見た。

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