守る刻、辿る足音(五)

「どうりで一緒にいられるわけだ。君は誠一のことを何も知らないんだね」


 壱流の言葉に震えたのは誠一だった。薫子が誠一を見ると、一瞬だけ目が合ったけれど誠一はふいっと目をそらした。

 何か隠したいことがあるのは明らかで、薫子はぐっと拳を握って一歩前に出た。

「知ってますよ! 名前は黒田誠一! 黒田彩菓茶を赤字で経営中! 黒田彩菓茶房はお客様の物語を、人の気持ちを大切にする店よ。だから皆マスターが大好きで、お客さんは何度も来てくれる」


 薫子はとても許せなかった。誠一はいつでも客を大切にして、時には自分が大損をしても負債額が客が幸福を得た証だと喜んでいる。

 たとえ兄でも、人々を思い遣る誠一の顔を歪ませる壱流は許せない。


「人の気持ちを土足で踏み荒らすあなたはこの店に相応しくないわ! 帰って!」


 薫子は全力で壱流を否定した。誠一も寅助も驚いたが、壱流はぷっと吹き出し大声で笑い始める。


「あはははは! 良いね。凄く良いよ。良い子を見つけたね、誠一も」


 壱流は笑っていたが、薫子は壱流の言葉がふと気になった。


(誠一『も』? 他にも同じ状況の誰かがいたの?)


 話が全く掴めないけれど、やはり誠一は不愉快そうな顔をしている。けれど壱流はその意を汲むことは無く、ただ楽しそうに笑うばかりだ。

 苛立たずにはいられない壱流の振る舞いに、薫子も誠一と一緒に壱流を睨んだ。


「あのね、別に喧嘩しに来たわけじゃないんだ。ただこういう性格なんだよ」

「最悪ですね。嫌いです。敵作るだけですよそういう態度」

「僕は君のこと嫌いじゃないよ。僕の大切な女性も君のように強気で元気なんだ」


 ぴくりと誠一の指先が揺れた。薫子も壱流の言葉は気にかかる。


(さっきの話からするに、この人は九条家を出てるのよね。それで女の人と一緒にいるってこと? そんなことしていいの?)


 華族というのは歴史とそれに見合うだけの礼儀を重んじる。跡継ぎは血統が何よりも大切で、この子が駄目なら別の子供、また別の子――などと軽いものではない。

 これだけでも壱流と誠一が難しい状況にいることは庶民の薫子にも察せられた。

 壱流は態度を変えない誠一に口を尖らせ、諦めたのかようやく立ち上がる。


「今日は帰るよ。警察に知られるのは困るからね。ただその時計を警察に持ち込むのは止めた方が良い。必要としてる人がいるんだ。九条家に渡れば取り戻せないよ」


 壱流はショーケースの上に並べてある持ち帰り用に梱包されたワッフルを手に取ると、開封して食べながら扉から外へ出る。


「変わらず美味しいね、ここのお菓子は。次は珈琲を飲みながら冷静に話をしよう」


 壱流はあっさりと店を出て、そのまま裏路地の方へ向って歩くと姿を消した。

 荒らすだけ荒らして消える無責任さと安堵を覚え、薫子はほっと力のこもっていた肩をおろした。

 誠一はぽかんとしていた田村に頭を下げ、懐中時計をかちゃりと揺らす。


「この時計はうちで処分しましょうか。華族絡みは話が大きすぎるでしょう」

「いいんですか? お願いできれば嬉しいです。正直早いうちに捨てとけばよかったと後悔していたところで」

「お察しします。田村さんが棄てた物を私が拾ったことにしましょう。何もなかったと忘れてしまってください」

「何だか押し付けるようで申し訳ないですね。よろしくお願いします」


 田村も安堵して微笑むと、ぺこぺこと頭を下げて店を出て行った。

 店は再び静寂に包まれ、薫子は誠一に何を言えば良いか分からなくなっている。

 助けを求めて寅助を見たが、寅助が何を言い出す前に誠一は薫子に頭を下げた。


「黙っていてすみません。本名は九条誠一といいます。黒田は母の旧姓で」

「待って下さい! マスターが話したくないなら無理に明かさなくて良いですよ。ここで働くために知っておかなきゃいけないならともかく」


 薫子は慌てて誠一に頭を挙げるよう肩を握った。

 誠一は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにいつものように柔らかく微笑む。


「ではまたいずれにさせてください。見苦しい所を見せて本当にすみませんでした。あの人とは昔から折り合いが悪いんです」

「じゃあ私たちだけで調査しましょう。警察でもいいですけど、こっちもある程度は理解して決着つけておかないと田村さんが心配です」


 壱流は誰かの持ち物のように言ったが、それが真実ではない可能性もある。

 仮に犯罪に関わる品だった場合、もう捨てたと主張しても、じゃあ何故捨てたのだと勘繰られるかもしれない。

 誠一は薫子の言葉に大きく頷き、懐中時計をぎゅっと強く握る。


「そうですね。ええ。田村さんの安全が第一です。急いで調べましょう」

「終わったか? ケーキ食いたいんだがよ。今日はチーズのやつの気分だ」

「おや、珍しいね。可愛くないから気が乗らないといつも言っているのに」

「そうなんだよ。もうちょい可愛くしてくれよ。華やかにぱあっとさあ。得意だろ」

「じゃあ盛り付けを考えてみるよ。珈琲も淹れるから座って待ってておくれ」


 誠一は寅助をソファ席へ案内するとチョコレートケーキを取り出した。

 華やかなケーキ作りを好む誠一にしては珍しく飾り気のない上品な仕上がりだ。

 いつもと同じようでいて、けれど店の空気はどこか鋭いままだった。


(またあの人が来てもマスターに近づけないようにしよう)


 薫子は自分に何ができるのかはまだ分からない。けれど誠一にあんな顔をさせたくないのは確かだった。

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