守る刻、辿る足音(三)

 薫子は老人男性の前に珈琲を出した。老人男性は妙におどおどしていて、周りを確かめるように視線をあちらこちらへ飛ばしている。


「どうかなさいましたか? あ、何か召し上がりますか?」

「いえ、大丈夫です。すいませんね。久しぶりだね誠一君。元気そうでよかった」

「お久しぶりです。田村さんもお元気そうで何よりです」


 薫子はてっきり誠一がお悩み相談を引きずり込んだのかと思っていたが、どうも知り合いのような会話だった。

 思わず誠一が田村と呼んだ老人男性をじっと見つめてしまうと、田村がはっと気づいたように薫子に会釈をした。


「田村賢三です。時計技師をしとるんですが、坊ちゃんにはお世話になりました」

「とんでもありません。お世話になっているのはこちらの方ですよ。祖母の時計が今も動くのは田村さんのおかげです」


 誠一は壁にかかっている古い時計を見上げた。

 黒田彩菓茶房の内装や家具は誠一が用意した新しい物もあるが、およそ祖母の代から使っている物がほとんどだという。

 薫子は誠一の祖母がどんな人物でどうしていたかは知らないが、今もやった来てくれるというのは一従業員の薫子でも嬉しく思えた。


「それで、問題はその懐中時計でしたか」


 誠一は田村の手を見つめた。

 田村は両手で何かを包むように握っていて、ゆっくりと手を開くと中には懐中時計がある。蓋を開閉する形式で、表面には黄金の装飾が施され宝石が埋まっている。

 見るだけで高級品であることは分かり、凄まじい存在感に薫子は後ずさった。


「こんな高級な時計も取り扱ってらっしゃるなんて凄いですね」

「修理は何でもやりますよ。これはお客様からの預かり物で、壊れて開かないから開けて欲しいと頼まれたんです。でもこれが全く開かない」


 田村は懐中時計の頭に付いているボタンを押すがうんともすんともいわない。

 薫子も懐中時計をのぞき込んでみるが、他に変わったところは無いように見える。


「蓋と本体の間に何か差し込んでみます? それでごりっとこじ開けるとか」

「とんでもない! 文字盤に傷でもついたら大ごとです! 弁償できません!」

「あ、そうですよね。失礼しました」

「まあ、無理だとお断りしたんです。そうしたら捨ててくれと言う。これをですよ! 困ると返したんですが、受け取らずあっという間に立ち去ってしまった」

「捨ててくれとは随分と無責任ですね。相当な高級品でしょうに」

「……試しに古物商に見て貰ったら買取価格で五百円を超えると言われました」

「五百円⁉ 見ず知らずの人にあげる額じゃないですよ。自分で売ればいいのに」

「私もそう思います。だから怖くなってね。何だか身を隠してこっそりと処分したいように思えて、その……」

「犯罪の証拠品で、田村さんを犯人に仕立て上げようとしてる――とか」


 誠一は淡々と言い、田村はびくりと震えた。


(ちょっと飛躍しすぎな気はするけど、無くはない……かな……)


 けれどそう茶化すことはできないほど田村の顔は真剣で、誠一も真剣な顔をしているので薫子は口を閉じた。


「それで僕のところにいらしたんですね。表沙汰になったら逆恨みされるかもしれない。でも僕は警察でも私立探偵でもありませんから足も付かない」

「……迷惑は承知です。でもこういう時はいつも黒田さんと坊ちゃんが何とかしてくれたからつい」

「そう言っていただければ本望ですよ。確かに万全を期した方が良さそうです。持って来たお客様のお名前は分かるんですか?」

「分かりません。名を聞く暇も無くぱっと来てぱっと帰ってしまったので」

「では容姿はどうですか。年齢や服装、何でも構いません」

「若い女の人でしたね。帽子を目深にかぶってたので顔はよく覚えてませんが、青いワンピースで栗色の長い髪を後ろで一つに結っていました」

「いっぱいいそうですね。他に特徴はありませんでしたか? 持ち物とか」

「良いところのお嬢さんなんじゃないかなという気がしましたね。身なりもですが、言葉遣いや所作が美しかったんですよ」


 やはり個人を特定する情報ではなく、薫子は眉をひそめて首を傾げた。

 秩父では身なりの良いお嬢さんはそういなかった。だが東京は西洋文化に溢れていて、洋装の人は多い。それだけでは絞り込めそうになく、誠一も小さく唸っている。

 するとその時、こんこん、と店の扉をたたく音がした。

 帰って来てそのままの状態で田村を招き入れたから準備中の札がかかっているはずだ。誰が来る予定も無いけれど、薫子は立ち上がって扉へ向かい、鍵を開けて少しだけ開いた。


「申し訳ありません。本日は閉店でして――……」


 顔を出して目の前を見ると、うわ、と薫子は心の中で叫び声をあげた。

 扉を叩いていたのはとても整った顔立ちをした線の細い男性だった。艶やかな栗色の髪は誠一の作るチョコレートケーキの色によく似ていて目を引く。

 誠一も綺麗な顔立ちをしているが、全く系統が違う美しさだ。

 服は白いシャツに黒いズボンと簡素な洋服だが、本人の纏う空気は華やかだ。


(厳かというか風格があるというか。凛としてるってこういう人を言うんだろうな)


 薫子は身動きできなくなるほどに見惚れていると、青年はうっすらと微笑んだ。微笑みはあまりにも美しく、薫子はまた見入ってしまう。


「客じゃ無いよ。僕は九条壱流。弟に会いに来たんだ」

「九条、ですか? うちは黒田です。お人違いじゃないですか?」


 見当違いの名を呼ばれ、ようやく薫子は現実に引き戻された。

 しかし九条という名は覚えがある。


(九条って確か華族よね。え、じゃあこの人華族? どうりで品があるわけだわ)


 青年は指を動かすだけでも優雅だった。一般庶民ですと言われても到底納得できないくらいに美しく、田村に時計を渡した女性もこんな雰囲気なのかもしれない。

 そんなことを考えていると、青年はずいっと薫子の顔を覗き込んできた。


「うちって、きみ奥さんかい? 女性が一緒とは聞いてたけど、こんな若い子を?」


 青年は物色するように薫子のあちこちをじろじろと見た。

 いくら美しい容貌の男性でも、こんな扱われ方は失礼というものだ。


「失礼ですがどちら様でしょう。当店に九条という者はいません」

「聞いて無いんだね。ここは黒田の家だけど住んでるのは九条の子なんだよ」

「いえ、ですから九条という人はいないんです。ここのマスターは黒田です」


 全く話がかみ合わず、薫子は億劫なのを隠さずにため息を吐いた。

 呆れ果て無理矢理扉を閉めてやろうかと思ったが、しかしその時だった。

 店内からぐいっと力いっぱい腕を引っ張られ、よろけて転びそうになったところを抱きとめられる。腕を引き抱きとめてくれたのは誠一だった。

 だがその顔はいつもの穏やかで優しい誠一の表情とは全く違うものだった。


壱流いつる兄さん……!」

「やあ、誠一。久しぶりだね」


 誠一は白い顔をしていた。唇を噛んで苦しそうな顔をしている。

 薫子の頭に壱流という男の言葉が思い出された。


(マスターのお兄さん? マスターは黒田じゃないの? 九条って華族でしょ?)


 情報が薫子の脳内を駆け巡ったが、震えて睨みつける誠一の尋常じゃない様子に何をしたら良いの分からず、ただ立ち尽くしていた。

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