追憶の楽譜、継がれる想い(三)

 ソファ席に全員揃って座った。薫子はいつもの無料珈琲を出してから座る。


「改めて、よろしくお願いします。川上瑞夫(みずお)といいます」

「黒田誠一です」

「調査員の桐島薫子です。こちらは助っ人の寅助さんと小泉さんです」

「俺は客だ。坊も客だ」

「またまた~」


 何だかんだ言って寅助は付き合ってくれる。この辺りのことに詳しい寅助がいてくれるだけで心強かった。


(それに意外と常識人だから程よくマスターの手綱を引いてくれるのよね。小泉さんの反面教師にしてる感じはあるけど)


 誠一は悪い人物ではないがこの生き方はそうそうできない。少なくとも破産は覚悟した方が良いだろう。


(そういや店長の謎は相変わらず解けないな。絶対他に収入あるわよね)


 誠一が何も語らないので追及したことは無いがやはり不思議だ。それでもお悩み相談は絶対にやめないし、赤字を改善しようとする姿勢も無い。

 赤字を乗り越えたい薫子は気になってしかたが無いが今は調査依頼の時間だ。

 誠一はどこか楽しそうに目を輝かせて川上の楽譜に目を通している。


「何か目星は付いてるんですか? 誰かがお持ちだとか」

「分かりません。何しろ亡くなってるから全然分からないんです。祖父とは疎遠だったもので」

「なるほど。では情報収集からですね」


 誠一は川上が持ってきた三枚の楽譜をずらりと並べた。どれも古くて、黄ばんで端々がぼろぼろになっている。

 薫子は楽譜を見たところで何も分からないが、誠一なら何かに気付くに違いない。

 そんな期待を持って誠一を見ると、一枚目の楽譜を裏返して右下の隅を指差した。

 鉛筆で縦に文字が二つ書いてあったようで、文字の左側がちょこっとだけ残っている。一文字目は縦に棒が一本で、二文字目は漢字の『牙』が書いてあるが妙にほっそりしている。


「お名前でしょうか。おじい様のお名前は?」

「川上雄一郎です。これは違う気がします」

「二文字ですしね。上は『川』のように見えなくもないですけど下は『牙』だし」

「『牙』にしては妙に細くないですか?」

「ええ。これは『牙』じゃなくて偏かもしれない。『雅(みやび)』とか。なら上の縦棒も漢字の一部でしょう」

「ああ、そんな感じですね。縦棒一本かあ……」


 何か分かりそうな気がしたけれど、これではまったく分からないも同然だ。単語なのか固有名詞かも分からない。

 全員で頭を捻ったけれど、小泉青年だけがじっと楽譜を見つめている。


「この楽譜、どこかで見たような気がします。それも最近。何だったかな」

「へえ。小泉さん音楽のことも詳しいんですか?」

「いいえ、まったく。僕は絵しか描いてな――……あ!」


 小泉青年は何かに気付いたのか、楽譜を手に取り食い入るように見た。何度も何度も見返すと、誠一に楽譜を見せる。


「艶子さんです! 艶子さんですよ!」

「艶子さんというとあの艶子さんですか? 何か関係あるんですか?」

「この楽譜を艶子さんの展示で見ました。もっと綺麗な紙だったので複製でしょうけど。それで、ほら。艶子さんのお父様がおっしゃってたじゃないですか。風雅っていう劇団の看板を艶子さん描かせてくれたって!」

「あー。そういえばそんな話を聞いたような……展示にあった、ような……?」


 薫子ははっきりとは思い出せなかったが、小泉青年は確信を持っているようだ。

 誠一も思い出したのか、うんうんと大きく頷いている。


「風雅ですか。確かにこの二文字は『風雅』と読めますね」

「艶子さんのお父さんが何かご存じかもしれませんね! 行ってみましょう!」


 薫子は艶子の展示を思い出せなかった罪悪感を誤魔化すため、勢いよく立ち上がりその場を煽るように声を上げた。

 すると寅助はけけっと面白そうに笑う。


「なんでえ。嬢ちゃんやる気になってんじゃねえかい」

「私はいつでもやる気ですよ」

「へえへえ。じゃあ鍵預かるよ。ああ、坊は一緒に行け。縁が広がるかもしれねえ。偉いっぽい奴にあったら挨拶しとくんだぞ。自然にな」

「はい。頑張ります」


 寅助はすっかり小泉青年の教育係りのようだった。

 そうして薫子たちは川上と共に久宝艶子の個展へと向かった。

 個展へ行き物販を覗くとやはり無人で、ベルを押すと艶子の父さんがやって来る。


「いらっしゃい。今日はまた団体様ですね。どうしたんです」

「実はうかがいたいことがあるんです。風雅という劇団をご存じですよね」

「ええ。あの子が描かせてもらった劇団です」

「では劇団の関係者に連絡を取ることはできませんか。大事な楽譜を探してるんですが、そこにあるかもしれないんです」

「いいですよ。ちょっとお待ちを」


 艶子の父は奥の部屋へ入るとどこかへ電話を掛けているようだった。

 そのまましばらく待つと戻ってきて、にこりと微笑んでくれる。


「連絡取れましたよ。劇団を作った一瀬いちのせ憲二けんじという、手広くやって方々顔が利く人です」


 艶子の父は声を詰まらせ少しだけ寂しそうに笑い、なんとか誠一と目を合わせた。


「艶子の『四季折々』を評価してしまった人です。今も時々見に来てくれてます」

「そう、でしたか」


 評価してしまったという言い方に、いつも穏やかに微笑む誠一も顔を曇らせた。

 その言葉はまるで『彼が評価しなければ娘は死ななかったのに』と言っているように聞こえたからだろう。

 だが艶子の父はそれでも笑顔を作ってくれる。


「明日にここを見に来てくれるそうなんで、よければその時にどうぞ」

「分かりました。有難うございます」

「小泉君も来てくれよ。一瀬さんと縁を持っていて損はない」

「は、はい。有難うございます。ぜひご挨拶させてください」


 寅助と同じようなその言葉はきっと艶子の遺志を汲んでいるのだろう。

 それは艶子が亡くなる直前まで挑んだ若手育成の情熱が生きているようだった。

 小泉青年は嬉しそうに微笑むと深く頭を下げ、薫子たちは一旦帰ることとなった。

 黒田彩菓茶房に戻り営業が終わると、薫子はいつも使っている『明日は臨時休業となります』のお知らせ用紙を会計台に置いた。


「休みにするほどでは無いですよ。少し挨拶して終わるでしょう」

「そんなこと言って、平日の外出調査で休みにならなかったこと一度もないですよ」

「そ、そうでしたか? そう、かもしれないですね……」

「そうです。それに終わったら盛り上がって貸し切り状態になるじゃないですか。あれ驚くお客様も多いし、いっそ休業にした方がちゃんとした提供ができます」

「さすが薫子さん。きっちり管理してくれて助かります」


 誠一は嬉しそうににこにこと微笑み友情八重桜クッキーを手に取った。


「義援祭、出てみようかと思います。小泉さんにはお世話になってますし、これを機にお土産用に良い商品を作ってみましょう」

「そうですか。なら目立つ物が良いですよね。色味が綺麗とか立体とか」

「でも外に置く以上は日持ちして封ができないといけませんからね」

「それなら時間限定でケーキを出すのはどうですか? 午前中に告知しておいて、お昼がちょっとすぎた頃に一時間だけとか」

「それはいいですね。食べ歩きになりますからぱくりと食べられる物にしましょう」

「フルーツタルトはどうですか? マスターのお菓子なら絶対果物です」

「では艶子さんのお父様にも何か出さないか聞いてみましょうか。そうすれば焼き菓子に虹だけ添えても良いですし」

「ならジャムクッキーにしましょうよ。果物繋がり。虹も弧じゃなくて蝶結びのようにすればきっと可愛いですよ」

「蝶結びですか! それは素敵ですね。さすが女性は華やかな発想に長けている」

「そうですか? そんな大げさなことでもないですけど」

「いいえ。虹の蝶結びはとても素敵です。次の新作はそれを取り入れましょう」


 うんうんとマスターは何度も頷き、にこりと微笑んでくれた。


「素晴らしいです。また思いつくものがあればぜひ教えて下さい」

「は、はいっ!」


 自分にもできることがあるのだと思うと、薫子の胸はじわりと暖かくなった。


(そうよね。マスターと同じことができないならマスターのできないことをやれればいい。お金の管理だってマスターが苦手だから任せて貰えたことだもの)


 ふいに実家の桐島駄菓子店を思い出した。

 仕入れた商品を並べるだけしかしていなかったけれど、もしかすればできたこともあったのかもしれない。

 気が付けば薫子はぐっとこぶしを握り締めていた。

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