時を越える葉書、隠された絆(二)

「すごいですよ、あのお客さん。早口すぎて聞き取れませんでした」

「藤夲紗英子さんはたくさんフアンがいたようですからね。芸術家もお菓子屋も、知ってもらえれば求められるけれど知ってもらえなければ気付かれません」

「……知ってても求められるわけじゃないですしね」

「そうですね。でも世の中『良い商品が売れる』わけじゃありません。『良い売り方をした商品が売れる』んです。例えば僕のお菓子。僕は自分の技術にはそれなりの自信を持ってます。でもお客さんはミスミさんよりずっと少ない」

「知れば皆好きになります! マスターのお菓子はただのお菓子じゃないもの!」

「ではどうやって知ってもらえば良いでしょう。ミスミさんは雑誌に載りましたが、それも簡単じゃない」

「それはそうですけど、でもどうにかしないとお客さんは来てくれないんです」

「こういうのは焦らない方が良いですよ。一年あるんでしょう? ならゆっくり周りを見て必要なものを見つけていきましょう。僕もお手伝いします」

「……はい。有難うございます」


 誠一はぽんっと薫子の背を叩いた。いつも穏やかに笑っている誠一だが、その眼はいつも色々なものを見て覚えている。


(マスターが支持される理由はこの人柄よね。お菓子はきっかけにすぎないわ)


 そんなことを考えていると、小泉青年と男性客が連れ立ってこちらへやって来た。

 いつの間に合流したのか、寅助まで一行に加わっている。


「マスター。ちょっといいですか。うかがいたいことがあるんです」

「何でしょう。僕でお力になれるなら何なりと」

「有難うございます。この景色に見覚えありませんか? この近辺らしいんです」


 小泉青年は絵葉書を二枚持っていた。どちらも桜並木が咲き誇り、池に映る月や滝の流れが絵画のような美しさを醸し出す風景が描かれている。

 一枚はとても美しく売り物になりそうな仕上がりだったが、もう一枚は鉛筆の下書きが強く残っていて汚い。


「小泉さんの絵ですか? それにしては古い絵葉書のようですが」

「僕ではないんです。こちらの方のお祖父様が描かれたんですが、この場所を探してるそうなんです」

「ご存じないですかね。祖父が若い頃なのでもう無い場所かもしれないんですが」

「ううん。僕は新参者なので昔のことには詳しくないんですよね」

「あ、そうなんですか? でもこの店って結構古い建物ですよね」

「建物自体は昔からあるんですよ。僕は五年ほど前に越して来たんです」

「いや~、あんときゃ驚いたね! 黒田の婆さん生き返ったのかと思ったよ!」

「婆さん? マスターのお祖母さんですか?」

「そうそう。前のマスターだな。こいつは二代目なんだよ」


 寅助は自慢げに笑った。小泉青年と男性客は特に何も無いように頷いているが、薫子はふと不思議に感じて誠一をちらりと見た。


(そういやマスターのこと全然知らないのよね。そんな大事な建物なら何でここに住まないんだろう。赤字も気にしないのに従業員募集するのも妙といえば妙だし)


 深く聞いてみたい気はしたけれど、誠一が話さないことを聞きだすようなことはしたくなかった。隠したい事情の一つや二つ、人にはある。


(今はこうしていられるならそれで十分よね。うん。気にしないでおこう)


 薫子はそれ以上は追及せず、皆と一緒に絵葉書をのぞき込んだ。


「この辺のことなら寅助さんの方が詳しいですよ。どうだい?」

「どうだかなあ。桜並木っていやあ美墨央庭園だろうが、池と滝はねえな」

「美墨? 美墨って洋菓子店のミスミですかい?」


「そうそう。美墨ってのがここらの地主なんだよ。あちこちに美墨って店がある」


 げ、と薫子は心の中で恨みの声を吐き捨てた。


(ただの金持ちじゃなかったのね。え? じゃあまさか秩父も地主なの? うち借地よね。うわ、結構不利なんじゃないのこれ)


 突然の情報に薫子の頭は重くなったが、誠一にぽんぽんと背を軽く叩かれる。

 何も言わないけれどいつも通りに微笑んでいて、落ち着いて、と言っているのだろうことは薫子にも察せられた。

 薫子は小さく頷き、再び絵葉書の話題に思考を戻す。 


「うーん。やっぱり違う土地なのかなあ。桜なんてどこにでもありますしねえ」

「他にも情報が無いと難しそうですね。これは特別な場所なんですか?」

「いえね、祖父の遺品整理をしてたんですよ。これはそれで見つけたんですが、そしたらほら、ここ」


 男性客はつんつんと絵葉書の一か所を突いた。そこには流れるような美しい文字が綴られいる。


『櫻区の庭園でまた会おう』


 それは再会の約束だった。誠一は急にぐいっとのめり込む。


(あ~、これはもう調べに行く流れだろうな。マスターが放っておけるわけない)


 好きな案件と言ったら不謹慎だが、誠一は既に絵葉書に飲み込まれている。

 薫子の脳内に閉店の札がかかる黒田彩菓茶房の扉が思い浮かんだ。


「祖父を待ってる人がいるなら届けたいんですよ。けど住所が滲んでしまっている」

「お祖父様はこの辺りにお住まいだったんですか?」

「関東大震災の後に少しだけ。建築会社で働いてたんですが、震災の復興であっちこっちであれこれやらされて過労でぽっくりですよ。祖父の建てた家で震災の被害者がぬくぬくと住んでるんだからやりきれないもんです」


 男性客は口を尖らせ、かかとをがつがつと強く鳴らした。

 その怒りは分かりやすく伝わってきて、誠一と寅助は何とも言い難い笑みを浮かべていて、薫子と小泉青年も息を飲んだ。

 男性客もそれにすぐ気づいたのでにへらと笑って誤魔化した。


「すいませんね、変な話して。けど同じような心持ちで待ってる人がいるなら一言挨拶をしたいんですよ。それで趣味を兼ねて思いつく場所を回ってるってわけです」

「そうでしたか。それは気になりますね」


 誠一はぐっと拳を握り締め、ぴんと来た薫子は寅助と目を合わせた。寅助も分かってるのだろう、にやにやと笑みを浮かべている。

 二人でじっと誠一を見ると、誠一から出た言葉は当然――


「その捜索、僕にもお手伝いをさせてください!」


 薫子はうんうんと大きく頷き、寅助は笑いをこらえるようにくつくつと小さく喉を鳴らしている。


「本当ですか⁉ いいんですか⁉」

「ええ。その代わり、見付けられたらこの物語をお菓子にさせてください。きっと素晴らしい物語になる予感がします」

「それは嬉しい。ぜひお願いします。ああ、挨拶が遅れました。私は矢野哲郎です」

「黒田誠一です。こっちは」

「助手の桐島薫子と助っ人の寅助さんです。よろしくお願いします」

「助っ人? いつの間に俺も頭数になってんだい」

「寅助さんはとっくに黒田調査隊の隊員ですよ」

「なんだいそりゃ」

「私命名です。黒田彩菓茶房の裏の顔。いいでしょう」

「裏か。違いねえな」


 寅助はけたけたと笑い、誠一は悪びれもせずにこにこと笑っている。

 矢野はそんな様子が面白かったのか、嬉しそうに誠一と握手を交わした。


「有難うございます! よろしくお願いします!」

「はい。こちらこそ」


 こうして今日もまた黒田彩菓茶房の謎解きが始まった。

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