時を越える葉書、隠された絆(一)
小泉青年の絵を飾り始めて一か月ほどが経ったが、もう一つやり始めた物がある。
薫子はレジの横に数十枚の絵葉書を置いた。
「マスター。やっぱり平置きより立てた方が良いですよ。立てられる物ないかな」
「寅助さんが来たら聞いてみましょう。お店で商品を展示してるでしょうから」
黒田彩菓茶房では絵葉書の販売を始めた。小泉青年が描いた絵葉書だ。
小泉青年が望まない就職活動に挫けないよう、絵を売る仕事も並行することで心の支えになりたいという誠一の配慮だった。
小泉青年は売れることを期待してるわけではなかったようだったが嬉しそうで、数日ごとに描いた絵葉書を持って来てくれる。
薫子は売れ残ったら悲しませるからどうにかしたいと思っていたが、その予想は良い意味で大きく外れた。
「すみません。先月の『絵葉書ケーキ』の絵葉書ってまだありますか?」
「申し訳ございません。そちらは完売しておりまして、今は定番ケーキの絵葉書のみになります」
「えー! 数少なくないですか⁉ まだ一か月経ってないのに!」
「こんな早くに無くなると思っていなくて。次からは枚数を増やす予定です」
「絶対ですよ! あ、平日来れないから発売開始は休日にしてください! じゃなければ予約制にするとか!」
「ああ、そうですね。検討しておきます」
小泉青年の絵葉書は飛ぶように売れた。
特にマスターが特注でしか作らないお菓子の絵葉書は大好評で、どうせ売れないだろうと五枚しか描かなかったが発売当日に完売してしまった。慌てて五枚追加したけれどこれも出した翌日に完売してしまい、追加をねだられることも多い。
(凄い成果よね。それに引き換え私ができたことと言えば帳簿の書式整理だけ)
赤字削減ならできることもあると思っていたが、誠一にその気が無いならやったところで薫子の自己満足でしかない。結局薫子の仕事は接客だけだった。
あまりの無力さに薫子は俯いたが、ふいに誠一がぽんっと薫子の背を軽く叩いた。
「薫子さんも何か売ってみますか?」
「私は何の芸も無いですよ。駄菓子はこの店に必要ないですし。地元にも必要ないのかもしれませんけどね」
薫子は眉をしかめながら笑った。
店が潰れるというのは結局のところそういうことだ。売り上げが立たないのは買ってもらえないからで、買ってもらえないのは必要ないと思われたからだ。
薫子は項垂れたが、誠一はにこりと微笑むとケースからケーキを一つ取り出した。
季節のフルーツを使ったクリームたっぷりのケーキで、黒田彩菓茶房の定番商品の一つだ。艶子の物語から生まれた果物の虹が掛かっている。
「艶子さんは最後ここへいらした時に『私が死んでも誰も困らないんでしょうね』とおっしゃってたんです」
「……そう、なんですか。お父様は後悔してたみたいですけど」
「そうですね。でも僕が虹にした理由はその言葉を聞いたからです。虹は幻想的で美しいですが触れることはできません。無くても困りはしない」
誠一はそっと虹を撫でた。果物の皮でできているからふよっと歪む。
それでも触れることはできる。触れたことを後悔して作り直すこともできる。
「艶子さんの胸中は分かりません。でもここにいる時は幸せを感じてくれていたと、そう思いたい。それは僕にとって最高の報酬です」
誠一は幸せそうに微笑むと、薫子の掌に虹を置いた。小さいけれど美しい。
「芸なんて必要ありません。ここで何かを得てご実家の役に立ててもらえれば、それが僕にとっても報酬です」
誠一はするりと薫子の頬を撫でた。
慰めているのか子供と思ってあやしているのかは分からないけれど、父親以外の男性と触れ合ったことの無い薫子は胸が大きくはねて顔が熱くなる。
触れられた手をどうして良いか分からずにいたその時、店の入り口の扉が開いて男性客がやって来た。薫子は逃げるように誠一の手から逃げて客の元へ走った。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
「ええ! 絵葉書を買いに来たんです! 特別な絵葉書があると聞いたんです!」
男性は食いついてくるかのような勢いで前のめりに叫んできた。
あまりの勢いに店内の客も驚いているが、薫子も気迫に押されて思わず後ずさる。
「申し訳ございません。限定の絵葉書は売り切れておりまして」
「そんなあ! また入荷しますか。いつ入荷しますか。どうしても欲しいんです!」
「ええと、再入荷の予定はないんですけど」
激しすぎる勢いに押されていると、追うように一人の青年が店へ入ってきた。
嬉しそうに笑っている青年は話題の小泉青年だ。
「小泉さん! ちょうどよかった。こちらのお客様が絵葉書をご希望なんですけど」
「聞こえてました。作者の小泉です。数日お待ち頂ければお描きします。ご希望があればお好きな柄で」
「本当ですか! ぜひお願いします! いやあ、来たかいがあった! 絵葉書を集めてるんですけど、藤夲――じゃないや。久宝艶子さんの個展を見に行ったらお弟子さんがいるって言うじゃないですか! ならその作品を手に入れなくてはと!」
男性客は激しく興奮して語りだした。鞄の中から数冊の書籍を取り出して、薫子にに見せつけたそれは艶子の物販に並んでいた書籍だった。
小泉青年は一瞬驚いたようだったが、すぐにほっこりと嬉しそうに微笑んだ。
「艶子さんのフアンなんですね。では艶子さんに譲って頂いたペンで描きましょう」
「本当ですか! ああ、じゃあちょいとじっくり!」
「小泉さん。奥のソファ席使ってください。珈琲お持ちするんで」
「すみません。いつも有難うございます。ではあちらでお願いします」
薫子は二人をソファ席へ案内すると無料の珈琲を出した。
実は、同じように小泉青年へ直接依頼する客が時々いる。今も一人相談をしたいというお客さんがいて、今日はその打ち合わせのために来た。
(もはや喫茶店じゃなくて仲介業だけど、これもマスターのお悩み相談枠よね)
男性客は珈琲には目もくれず、小泉青年の向いではなく横に並んで座った。
「僕は藤夲紗英子がデビユーした時からフアンでしてね。殺人事件の推理小説だったんですが、まあなんとも華やかなんですよ。普通はおどろおどろしい現場を描きそうなものでしょう? でも風が吹き花が舞い、まるで花畑だった。これは小説家が美しい描写をする文体だからそれに合わせたというんです。推理小説としてはどうなんだと思いましたけどね。でも次に担当した小説は恋愛小説で、これはあの花畑に相応しい。さぞ美しい男女が描いてあるに違いないと思ったら、今度は恐怖を感じるほど恐ろしい絵でした。人間のどろどろした感情を表しているそうで、この画風の幅広さに胸を打たれましたね。亡くなってから油絵画家だったと知ってああなるほどと思いましたよ。もっと早くに知っていればなあ。悔しいですよ」
男性客は嵐のように語り始めた。小泉青年も気圧されていたけれど、薫子はそっとその場を離れて荒い物をする誠一の隣に戻った。
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