守る刻、辿る足音(一)
義援祭が終わり、黒田彩菓茶房は大変なことになっていた。
「時を超えた楽譜タルトの未来セットをお一つですね。お作り致しますのであちらでお掛けになって少々お待ちください」
「はい。あ、あと楽譜クッキーを全部二個ずつください。絵葉書も一枚」
「時を超えた楽譜クッキーを全種類二個ずつと時を超えた楽譜絵葉書を一枚ですね。少々お待ちください」
義援祭で販売した時を超えた楽譜のタルトは果物の在庫処分ができることと、クッキーは薫子が手伝えるので量産しやすいという理由で定番商品入りをした。
するとこれが凄まじい勢いで広まった。義援祭で出したタルトは時間も個数も限定だったため買えなかった客も多く、常連の希望で店頭でも期間限定で提供した。
小泉青年が絵葉書にして販売を始めるとこれも好評――ここまでは想定内で、問題はここからだ。
「おお、今日も大盛況じゃないか。小泉君の絵葉書はまだあるのかな」
「一瀬様! 来て下さったんですか――……っと、また大人数ですね」
「私の絵画サロンで話したらぜひとも見たいと言うんでね。ほら、これが小泉君の作品だ。美しいだろう」
大人数名を引き連れてやって来たのは、艶子の支援をしていた一瀬だ。
若手の育成に力を入れいてるとかで、芸術を愛する友人知人を連れてやって来てくれる。目当ては小泉青年の絵葉書だが、それにつられて一般の客も増えた。
(よく知らないけど有名な方なのね、一瀬様って。一瀬様が出入りする店だって知って来るお客様も増えた)
薫子は一瀬がどういう人物かよく分かっていないが、特別親しかったわけでも無い艶子の支援をできるだけの財力はある人物だ。連れている人も上品な洋服で、いかにも上流階級だ。
一瀬に気付いた誠一も出迎えにやって来て挨拶に頭を下げる。
「いらっしゃいませ。でも残念です。今日は小泉さんは来ていないんです」
「何だ、そうなのか。じゃあ寅助という方のお店の方かな」
「いいえ。つい先日から絵画教室を始めてるそうなんです。公園で子供を集めて。僕も題材になるケーキを提供させていただいています」
絵葉書や義援祭のびら、他にも寅助が紹介した根強い営業活動が実を結んだのか、子供たちに絵を教えて欲しいという要望が出始めた。
小泉青年は快く引き受け、週に一度公園で絵画教室を始めているそうだ。
「若手の育成か! それは素晴らしい。油絵かい? ボールペイントペン?」
「道具が揃わないので余り紙に鉛筆だそうです。お祭りのびらのおかげでこ近所のちょっとした有名人になりました」
「何だ! 道具くらいいくらでも揃えてやろうじゃないか。その公園というのは?」
「義援祭をやっていた場所ですよ。あれから随分活気付いたようです」
「そうだったのか。よし、それは見に行かなくては。おい、行くぞ」
おお、と一瀬とその連れの全員が目を輝かせ黒田彩菓茶房を出ると公園へと向かっていった。
まるで嵐のようで、店内は急に静まり返る。けれどぽつりと重い声がした。
「道具くらい、か。育成というか上流階級の気まぐれじゃねえか」
「寅助さん。いつの間に来てたんですか」
「入ろうとしたら奴らに先をこされたんだよ。なんだかなあ。俺は好きになれねえ」
「私もです。艶子さんと同じことになりそうな気がして怖い」
寅助同様、薫子はあまり良い印象を持っていない。艶子の父から聞いた流れによく似ているからだ。彼等が気まぐれに認め、その実相応しい実力が無ければ没落する。
「自分の腕で成したものでないのなら『儲けもの』くらいに思って忘れる方が良い。利用するのは良いが利用されちゃあ絶対に駄目だ」
寅助は不愉快そうに口を尖らせた。
小泉青年にもこういった苦言を呈し、だから今も黒田彩菓茶房へ絵葉書を納品してお客様とも交流を続けている。地道な営業は忘れるな――という寅助の教えを守っているようだった。
「小泉さんならきっと大丈夫ですよ。それより今日はどうしますか?」
「そりゃあ決まってる。新しい物語があったんだろう? それをくれ。物は何だ」
「時を超えた楽譜タルトと楽譜クッキーですね。ではお好きな席へどうぞ」
小泉青年の活躍が増えるのは嬉しい反面心配もあり、誠一も苦笑いをしている。
「今度差し入れを持って絵画教室を見に行きましょうか。六日後なら定休日ですし」
「そうですね。余った材料で小分けのお菓子を作りましょう」
それから閉店後、薫子は自分の練習がてら毎日小さなワッフルを作った。
参加者全員にいきわたるよう量を多めに、一つずつ梱包していった。
そして六日後、よく晴れている昼過ぎに薫子と誠一は公園へ向かった。
しかしそこはがらんとしていて人は全くいない。
「生徒どころか小泉さんもいませんね。どうしたんだろう」
「場所を変えたのかもしれませんね。他の公園か、それとも場所を借りたのか」
「そこの絵画教室なら久宝艶子展のホールに移ったよ。ようやく静かになった」
後ろから声をかけてきたのはくたびれた着物姿の男性だ。
教えてくれたのは有難いが、鬱陶しそうにため息を吐いて腹立たしいとばかりにどすどすと足音を立てて去って行く。
「好意的じゃない人も、そりゃいますよね……」
「仕方が無いですね。でも艶子さんの個展というのは素敵です。行ってみましょう」
薫子はほんの少し悲しそうな顔をした誠一と並んで艶子の個展へ向かった。
庭の隅でも使っているのかと思ったが、そこは全く想定外の状況になっていた。
「いらっしゃいませ。久宝艶子の個展へご入場ですか。小泉正人の絵画教室のご見学でしょうか」
個展の入り口には受付が設けられ、薄い黄色の着物を着た女性が座っている。
受付台には案内札が立っていて、入って右は『久宝艶子展』となっているが左へ向かう案内板には『小泉正人絵画教室』と書かれている。
薫子は面食らい立ち尽くしたが、誠一は受付女性に近づいた。
「小泉さんの題材にケーキを作らせていただいた黒田といいます。今見学しても大丈夫ですか」
「黒田さん。ああ、黒田彩菓茶房の。もちろんです。入って右手にホールがありますので、そちらにお入りください」
「有難うございます。薫子さん、行きましょう」
未だ呆然としていた薫子は誠一の声で我に返り、先を歩く誠一の後を追った。
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