第31話 運命の悪戯

「会話はしたけど、こうして直接会うのは初めてね。斜森永士くん」

「寒凍霊の宿主が君だと気づいた時には驚いたよ。完全に選択肢の外だった」


 鳥海風花の姿をした存在は、自身が寒凍霊であることを否定しなかった。その正体は確定だ。


「彼女が寒凍霊? だけど、寒凍霊の宿主は村出身の女性のはずじゃ」


 麟太郎は困惑気味に永士に問い掛けた。鳥海風花は東京からスキー旅行に着た大学生で村の住人ではない。寒凍霊の宿主の条件に、鳥海風花は当てはまっていないはずだ。


「私もミステリー作家さんの推理を聞きたいわ。正体は明かしていなかったはずなのに、どうして私が鳥海風花の体を使っていると気づいたの?」


 寒凍霊は愉快そうに麟太郎の意見に便乗し、続きを促した。まさか寒凍霊に同意されるとは思わず、麟太郎もギョッとしている。永士を勧誘した時もそうだったが、寒凍霊には明確な自我がありそして饒舌だ。同時にそれは、氷鬼を支配する上位存在としての知性を持ち、感情一つで危害を加える危険な存在であることも意味している。


「僕はミステリー作家であって探偵ではないのだけど、貴重な機会と受け止め、その立場を享受することにしよう」


 様々なミステリー小説を書き上げてきた自分が、人生という物語のラストを探偵役として締めくくる。これもまた宿命かと、永士は妙に納得していた。


「きっかけは、バスが雪崩に巻き込まれた時の記憶を思い出したことだった。相巣村に入った途端に発生したあの雪崩が、今回起きた最初の異変だ。だとすれば寒凍霊はあの瞬間に能力を取り戻した。即ち宿主の体を乗っ取った可能性が高い。その時点で候補は一気に絞られる。乗客に女性は二人だけだからね」


「言いたいことは分かるし、実際に寒凍霊の宿主は鳥海風花だったわけだが、どうして村外の人間である彼女が宿主に? 伝承の方に誤りがあったのか?」


「伝承は正しい。そして恐らくは、冬芽宮司が講じた村の女性に暖火の儀の灰が入ったお守りを持たせ、寒凍霊への耐性を持たせるという対策も成功し、効果を発揮していたはずだ。寒凍霊はそもそも、村の女性に憑りつくことは出来なかったのだと思う」


「正解よ。先代に続き、当代の宮司も優秀だったわね。時間をかければお守りの耐性を突破することも出来たけど、その頃には暖火の儀は終了し、私は再び向こう五十年は封印されていたでしょうね。そんな私にとって、この娘は渡りに船だったわ。まさか宿主の条件を満たし、なおかつお守りによる耐性を会得していない娘が、五十年に一度のこの日に相巣村にやってくるなんてね」


「どういう意味だ?」

「麟太郎。風花さんは相巣村の生まれなんだよ。裏付けは出来ないけど、彼女は恐らく勢能さんの娘だ」

「何だって!」


 驚愕した麟太郎は隣の六花に知っていたかと目配せしたが、六花も初耳だったようで、驚いた様子で首を横に振っている。


「勢能さんが奥さんと一緒に村に移住したのが二十三年前。そして勢能さんは十九年前に離婚。その際、奥さんは子供を連れて村を出ている。勢能さん夫婦は村で子供を授かっているんだ。風花さんは二十歳で、年齢は合致する。夫婦は離婚しながらも、娘との交流は和やかに続いていたのだろう。そう考えれば、普段は従業員の鶴木さんに任せている利用客の送迎を勢能さんが行っていた理由にも説明がつく。早く娘に会いたくて、自ら迎えに来たんだよ。故郷をあまり悪く言いたくはないが、最盛期ならばまだしも、過疎った今の相巣村は観光地としてはマイナーだ。都会の大学生の冬休みの旅行としては渋い選択だが、娘である風花さんが勢能さんの招待を受けていたなら、相巣村を選ぶのは一気に自然な流れとなる。実際、今回の旅行の行き先を決めたのは彼女だったようだ」


 駅のバス乗り場で初めて大学生グループと出会った時、番井信彦が、風花が決めた旅先だと口にしていたことを永士は記憶していた。彼女が村の伝承に興味を示したのも、故郷でありながらあまり知らない土地への好奇心と考えれば合点がいく。


「……そういうことだったのか。村生まれでありながら、親の離婚で村外で育った。だからお守りによる耐性が備わっていない」


 そんな存在が五十年に一度の日に、村を訪れた。ここまで来ると今回の災厄は、どんなに対策しても避けようのない運命だったのではとさえ思えてくる。


「だけどそれだけなら、もう一人の候補である瀧美鈴が私の宿主であり、勢能聡の娘である可能性もあったでしょう。どうしてそれが鳥海風花だとまで特定出来たの?」


 鳥海風花の顔と声で、寒凍霊は永士に質問した。


「名前だよ。風花ふうかという名は風花かざはなと読むことも出来る。風花とは晴天にひらひらと舞う雪を指す言葉だ」

「もしかして、勢能さんが名付けたのか?」


「恐らくね。勢能さんは移住前もスキー場の仕事をしていたようだし、冬や雪そのものは好きなはずだ。迷信深くはなかったようだけど、生まれ月に関わらず村で生まれた女性に冬や雪に関連した名前をつける風習は悪くないと思ったのかもしれない。全ては推測でしかないけどね」


「ご明察よ。あなたの推理は寒凍霊としての私だけではなく、私の中の鳥海風花の記憶とも矛盾しないわ」


 寒凍霊は割れんばかりの拍手と賛辞の声を永士へと送ったが、永士の表情は未だ疑念に曇っている。


「釈然としない様子ね。名推理のご褒美に、質問があれば答えてあげるわよ」


 寒凍霊は元人間らしく、感情の機微にも目敏いらしい。指摘の通り、永士は推理しきれなかった謎を抱えている。


「お言葉に甘えて質問しよう。これまでに対峙してきた氷鬼と違い、村に到着した時の大学生たちやバスの運転手の様子はごく自然で、普通の人間と遜色なかった。少なくとも僕は自身の変化に気付くまで、彼らに疑いの目を向けることはなかったと思う。あの時、何が起きていたんだ?」


「私はあえて氷鬼である彼らに生前の記憶を残し、自らの死を自覚していない状態で村へと送り込んだ。結局はすでに死を迎えているから、この方法は長続きせず単なる氷の殺戮人形になってしまうけど、観光客として村に入り込み、数時間を過ごすだけなら十分なリアリティを発揮出来る。雪崩はすでに起きている。その状態で乗員乗客の様子がおかしなバスが到着すれば、誰だって疑いの目を向けるでしょう」


「なら、ロッジの雪崩はある種のカムフラージュか」


「正解。私を含め、大学生たちは生きてこの相巣村に到着していたことになっているから、誰かに目撃された上で死を演出する必要があった。おかげで私は動きやすくなり、あのタイミングで番井くんたちも完全に殺戮人形となった。運が良かったわね。芹沢麟太郎くん」

「……そういうことかよ」


 こちらを見つめる寒凍霊に麟太郎は身震いした。麟太郎はスキー場から逃げ延び、ロッジが雪崩で全滅したことを報告、災害対策本部の共通認識とした。どうやら麟太郎は目撃者として生かされただけ。生還出来たのは、寒凍霊の匙加減一つだったようだ。


「だけどやはり、急ごしらえの計画には綻びが生じるものね。バスに乗っていた氷鬼を生前の記憶を有した状態で村に送り込んだ結果。私の因子を宿していたあなたというイレギュラーが覚醒してしまったのだから」

「その表現で色々と腑に落ちたよ。あるいは僕は、君に対する抑止力なのかもしれない」


 永士が祖母、母から引き継いだ寒凍霊の因子によって、氷鬼となってからも自我を保てているのは間違いないが、寒凍霊がバスの乗客に生前の記憶を残さず、最初から強烈に支配していたなら、あるいは因子を持っている永士でも抗えなかったかもしれない。様々な巡り合いの元に現在の状況は生まれている。運命は寒凍霊と永士の二人が相対するように決められていたのかもしれない。


「抑止力を語るからには、私と一戦交える覚悟はあるのよね。因子を宿しているからといって、果たして大元である私に勝てるのかしら?」


 答え合わせの時間は終わりらしい。寒凍霊は怖気を催すような冷笑を永士へと向け、指を鳴らす仕草を取る。寒凍霊を封印する暖火の儀はもはや望めない。完全状態である今の寒凍霊がたった一度指を鳴らすだけで、万年雪旅館周辺は生命が生存出来ぬ氷河期に突入するだろう。

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