第14話 策は実らず

「過去に何が起きたのかは理解しました。だとすれば今回も村の女性の誰かに寒凍霊が憑りついている可能性が?」

「そう考えて間違いないだろう。宿主を得なければ寒凍霊は現世の事象に介入できない。最初に起きた異変は雪崩だから、その前には寒凍霊が復活を遂げていた可能性が高い。奇妙な点もあるがな」

「奇妙というと?」

「この辺りの事情は、韮沢の方が詳しい」


 荒砥は解説を韮沢に引き継いだ。亡くなった冬芽純道と韮沢は一歳違いの幼馴染であると同時に、宮司と村役場の部長クラスとして、村の中核を担う存在でもある。今回の暖火の儀の向けて、以前から連携を行ってきた関係値がある。


「純道と先代宮司の賢勇さんは長年、暖火の儀とは別に、寒凍霊に対する対策を講じてきた。神社に残されていた過去の暖火の儀の記録を精査した結果、暖火の儀で燃え尽きた灰にも寒凍霊を遠ざける効果があることが分かり、賢勇さんは次代のために、前回の暖火の儀で生じた灰を保管していた。その意志を受け継いだ純道が暖火の儀の灰を込めたお守りを製作し、村の女性へと持たせる試みを始めた。お守りと共に成長した女性には寒凍霊に対する耐性が備わるという考え方だな。これで村の女性に寒凍霊が憑りつかなくなれば大成功だし、例え時間稼ぎにしかならなくとも、その間に暖火の儀が成功すれば全てが解決する。そういった二段構えの策だった」

「このお守りにそんな意味合いがあったなんて」


 六花は持参していた小物入れから、冬芽神社の紫色のお守りを取り出した。安全祈願だといって幼い頃からずっと持たされていたお守り。すでに体の一部のようになっている。過去に不手際で紛失したこともあったが、その時は神社に申し出たら、冬芽純道宮司が直ぐに新たなお守りを用意してくれた。思えばあの時からきたる災厄への備えは始まっていたのだ。


「だけど、寒凍霊は復活してしまった」

「……うむ。確かに時間稼ぎにしかならないという懸念はあったが、それにしてもあまりにも早すぎる。これは事前に対策を講じていなかった五十年前を上回る早さだ。記録に誤りがあり、灰の効果が想定よりも弱かったのか。あるいは寒凍霊側が力を強めているのか。いずれにせよこの試みは失敗だったことになるな」


 災害対策本部長として顔色こそ変えないが、友人だった冬芽純道の無念を思い、その声は微かに震えていた。試みが成功していれば、このような事態には陥らなかったはずだ。


 ――寒凍霊はすでに村の女性の誰かに憑りついている。油断禁物か。


 混乱を避けるため、永士は言葉には出さなかった。周りも考えていることは同じだろうが、言葉にするのとしないのとでは混乱は雲泥の差のはずだ。今は余計なことを言って不和を生むべきではない。


 そんな中でも、永士は隣に座る六花のことは信用していた。それは決して幼馴染だからという感情論だけではない。もしも六花が寒凍霊に憑りつかれているのなら、今この瞬間、災害対策本部の中核を担う韮沢や荒砥。氷鬼と対峙する上で重要な若い戦力が多く集うこの場を全滅させてしまえば、相当有利に事が進むはずだ。


 もちろん何らかの思惑があったり、例えばまだ真の力に目覚めていないという可能性も考えられるが、そこを疑い出したらキリがない。最後はやはり、感情論で六花のことは信じてあげたかった。祖母の辿った運命を考えれば、寒凍霊に憑りつかれることそのものが一種の死刑宣告でもある。もちろん誰にもそうなってほしくはないが、大切な幼馴染に対するその感情はより一層だ。


「これはあくまでも私見だが、寒凍霊は五十年前の経験に学び、成長しているような印象を受ける。舗装された道路を雪崩で塞ぎ、五十年前には存在していなかった携帯電話やインターネットを、通信手段だと理解した上で機能不全に追い込んでいる。自身の天敵ともいうべき暖火の儀を阻止するために、真っ先に冬芽神社を襲撃した点も経験に学んでいると言えるだろう。対抗手段を失ったうえに、寒凍霊にはかなりの知性が感じられる。数少ない安心材料としては、確認された氷鬼の数が少ないことぐらいだろうか」


 現状、確認された氷鬼は閑林道夫ただ一人。五十年前当時は少なくとも十人以上が氷鬼として蘇った。それを考えれば、氷鬼への対処は不可能ではないかもしれない。しかし、事態はそう都合よくは運ばなかった。


「会議中に失礼する。悪い知らせだ」


 ノックして会議室に姿を現したのは、整備部土木課長の角勝由だった。角も事情を把握している側の人間であり、韮沢の会議中も、新たな被害状況などの情報収集に務めていた。眉間に皺を寄せた険しい表情に、会議室の空気はまた一段と重くなる。


「たった今、消防団の石切くんが役場に駆け込んできた。彼の報告によると、基地局全体が完全に凍り付き、帰り道で氷鬼として蘇った森尾匡吉氏の襲撃を受けたそうだ」

「そうか。森尾さんも……これで氷鬼は二体目か」


 氷鬼は、その冬に雪害によって亡くなった人間の姿を模して出現する。森尾も確かにその候補ではあったが、自宅の雪下ろし中に亡くなった閑林道夫とは違い、森尾が亡くなったのは村の中ではなく村道を走行中の出来事だったので、氷鬼化の条件に当てはまるのか不確かな部分があった。ただし、周辺に民家や施設が無いというだけで、森尾が事故を起こした場所も、地域の区分としては相巣村の範囲内だ。実際に森尾は氷鬼として蘇ったし、過去には山の中で亡くなった者が氷鬼となった事例も存在する。寒凍霊の力が及ぶ範囲は居住区域としての相巣村だけではなく、もっと広く、地域全体を指すと考えて間違いなさそうだ。


「角。真柴も石切と一緒に行動していたはずだが彼は?」


 角から名前が挙がったのは石切高成だけだ。荒砥は消防団長として、仲間の一人である真柴喜代治のことが気がかりだった。


「襲撃時、氷鬼は生前の森尾さんが乗っていたのと同車種、同ナンバーの車両を操って襲ってきたそうだ。すでに負傷していた真柴さんは、氷鬼出現の報を村に伝えるべく石切くんだけを逃がし、自身は氷鬼を足止めするために、運転する車での体当たりを試みたようだ。石切君が目撃したのはそこまでで、以降の真柴さんの消息は不明だ……単騎かつ手負いで氷鬼と戦うのは困難だ。恐らくはもう」

「そうだな……石切には俺が責任を持って全て説明する。今は少し休ませてやってくれ」

「分かった。また何か分かれば報告する」


 重たい沈黙の中に、角が扉を閉める音が響いた。


「まさか氷鬼が車を操り始めるとは」


 沈痛な面持ちで、韮沢が沈黙を破った。今後は強力な冷気だけではなく、車の質量と加速力による物理的な攻撃にも警戒しなければいけない。


「確かに車というのは驚きだが、氷鬼が生前の装備を伴って蘇った事例は過去にもあるし、今更だろう。五十年前は確か、スノーモービルを駆る氷鬼がいたな。氷鬼は恐らく、死ぬ直前の状況の影響を強く受けるのだろう」


 当時は今よりもスノーモービルが珍しかったので、その時の様子を荒砥は鮮明に記憶している。氷鬼の正体は当時スキー場に勤務していた従業員で、スノーモービルの事故で亡くなっていた男性だった。

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