第15話 それぞれの戦いへ

「ここからは今後の対応について話し合うとしよう。氷鬼への対策も含め――」

「その前に一ついいですか」


 これまで沈黙を貫いてきた麟太郎が、眼光鋭く韮沢に問う。


「五十年前、そして今この村で何が起きているのかは理解しました。だけど、それをどうして俺達に秘密にしていたのか、その説明がまだされていない。何で事前に教えてくれなかったのか、正直俺は、韮沢部長たちに憤りを感じている。それについてはっきりさせない限りは、一枚岩になることは難しいです」


 麟太郎に追随し、役場の若手職員や消防団員が次々と頷く。上の世代だけで事が進み、自分達が蚊帳の外に置かれていたことは正直不愉快だ。


 永士は麟太郎の言葉をもっともだと思いながらも、同調はせずに冷静に成り行きを見守っている。祖父の代からの因縁や、久しぶりに村に戻ってきたことなど、麟太郎たちとはやや立場が異なる。六花は考えがまとまりきっていないのか、目に見えて困惑している。魁人も似たり寄ったりで、むしろ不穏な空気の方に緊張感を覚えている印象だ。


「そのことについては、大変申し訳なく思っている。このような事態を招いてしまった責任は我々にある……何を言っても言い訳にしかならないが、我々も難しい立場にあったのだ。もしも異常が発生していない状況でこれまでと同様の説明をされていたとして、君達はそれを信じることが出来たか?」


 麟太郎を始め、誰もが直ぐには反証を唱えることが出来なかった。今ですら半信半疑の者がいる中、平時にそれを信じることは確かに難しい。麟太郎も雪崩や通信障害が発生した時、伝承の寒凍霊の存在が脳裏を過りはしたが、まさか実在するとまでは思っていなかった。神社での襲撃が無ければ、今でも信じられなかったかもしれない。いわば予言と同じだ。まだ起きていない出来事を信じさせることは難しい。


「時代の変化もある。五十年前当時なら、相巣村のような小さな村では、まだ迷信深い話を信じてもらえるだけの土壌もあったが、情報社会の現代ではそれもなかなか難しい。何度も協議は行われたが、恐怖心の増加が寒凍霊の力を強めるという文献の記述もあり、情報共有は当時を知る世代と一部の関係者のみに留めた。暖火の儀の灰を込めたお守りを配布するのが精一杯だった」


「今回はお守りという新たな策も講じていたし、何事も起こらぬまま暖火の儀が成功し、全てが丸く収まればそれが一番だったんだが、結果はこの有様だ。あらゆる点で見込みが甘かったと言わざるを得ないな」


 難しい決断だったことは、韮沢と荒砥の沈痛な面持ちからひしひしと伝わってきた。決して二人だけで決めたことではないし、この決定にはさらに上の世代や村長の意向。さらにいうならば前回からの五十年間の功罪でもある。


「……事情は理解しました。確かに俺が二人の立場でも、何も知らない世代説明をすることは難しかったでしょう」


 韮沢や、おじでもある荒砥の本音を聞けたことで、麟太郎も少しだけ頭が冷えた。麟太郎だって役場の職員として日夜奮闘する社会人だ。例えば今自分が二人と同じ立場に立たされたとして、全ての事情を説明するという判断にはやはりならないかもしれない。それでも、どうしても割り切れない感情もある。


「……無茶は承知ですけど、それでもやっぱり俺は、事前に説明してもらいたかったです」

「すまなかった麟太郎」


 堪らず悔しそうに本音を吐露する麟太郎の肩に触れて荒砥が詫びる。今この瞬間だけは、二人の関係性は甥と甥に戻っていた。

 全てのわだかまりが解消したわけではないが、麟太郎が皆の疑念を代弁したことに、ある程度のガス抜きの効果はあった。新たに韮沢や荒砥に意見は出されず、不穏な空気感は一定の収束を見せた。


「重要なのはこれから起きる災厄にどう備えるか。そうですよね?」

「ああ。このまま手をこまねいているつもりはない。村の住民や取り残された観光客を守るために全力を尽くさなくてはいけない」


 永士の問い掛けに、韮沢には目には再び、災害対策本部長としての鋭い眼光が戻っていた。過去の出来事にイフを想像することに意味はない。今重要なのは今後の対策についてだ。


「寒凍霊や氷鬼の襲撃に備え、役場や会館といった公共施設に避難所を開設し、住民を保護すると同時に、防衛体制を整える方向で準備を進めている。熱源を確保するために反射式ストーブや薪ストーブを大量に用意し、氷鬼への対抗策として戦闘に使える備品の配備も進めている。また、伊予札医院にはすでに通達済みだが、医院には持病を持つ住民や、健康不安を抱える高齢者を受け入れるために、入院病棟の解放をお願いしている。宿泊施設である万年雪旅館は観光客の受け入れる避難所として活用したいと考えているが、六花さん頼めるかな?」


「分かりました。全室はもちろん、宴会場なども解放して一人でも多くの方を受け入れられるよう努めます」


 万年雪旅館は民間施設としては村内では最大級だ。観光客の保護と同時に、防衛拠点としても重大な役割を担うことになる。


「村から孤立しているスキー場は危険だ。ロッジの宿泊客や勢能オーナーにも万年雪旅館に移ってもらうべきだが、電話が通じないし人を送る必要があるな」

「それなら僕が向かいます。ロッジに宿泊予定の大学生グループとは少し縁があるので、僕が事情を説明した方が理解を得やすいと思います」

「それなら俺も同行する。移動には車が必要だし、役場の人間がいた方がより説得力があるだろう」


 麟太郎が同行を申し出た。単独行動は危険だし、役場の人間として観光客の安全を確保する責任がある。


「ロッジの件は斜森くんと芹沢に任せる。頼んだぞ二人とも」


 ロッジの人々の安全確保のため。避難所の開設と平行して、永士と麟太郎のロッジへの派遣が決まった。


 ※※※


「……ここは?」

「伊予札医院だよ。深雪ちゃん、気を失っちゃって」


 役場での会議を終えた魁人が伊予札医院に戻ると、病室のベッドで冬芽深雪が目を覚ました。父親の純道を喪ったショックは計り知れず、魁人が病院に運び込んだ途端、深雪は意識を失ってしまったので、病室で休息を取らせていた。


「あれからどうなったの?」

「役場で会議が行われて、避難所を開設しつつそこを防衛拠点として、寒凍霊や氷鬼の襲撃に備えることになった。永士さんと麟太郎さんは避難の呼び掛けのために、今はスキー場のロッジに向かってる」

「氷鬼……」

「……ごめん」


 状況を説明する上では外せないワードだったが、氷鬼の襲撃で父親を喪った深雪に対しては酷だと気づき、魁人は後悔する。


「謝らないで。状況を聞いたのは私だから。お父さんのことは心の整理がつかないけど、今はそんなことを言ってる場合じゃない。冬芽神社の人間として、お父さんの代わりに私が頑張らないと」


 冬芽の一族である深雪は若い世代の中でも、寒凍霊の実在や五十年前の出来事を伝え聞く数少ない例外だ。その責任感が今だけは、父の死の悲しみを和らげてくれていた。


「もしかして、深雪ちゃんが代わりに暖火の儀を?」

「それが出来れば一番いいんだけど、残念ながら私にはそれだけの力が足りない。今の時点で何か策あるわけじゃないけど、古い文献を調べれば何か寒凍霊と戦う手掛かりが見つかるかもしれない」


 そう言って、深雪はベッドから立ち上がり、側に掛けてあったダウンジャケットに袖を通した。


「僕も一緒に行くよ」

「カイちゃんはここにいて。神社で襲撃されたらひとたまりもない」

「尚更、深雪ちゃん一人では行かせられないよ。何があっても僕が深雪ちゃんを守る」


 ストレートな魁人の言葉に、深雪の頬が紅潮していく。それを見て初めて魁人も自分の発言を悟り、遅れて頬を紅潮させていく。


「い、医者の息子としても僕は深雪ちゃんに賛成だ。何か策を講じて、寒凍霊という原因を取り除かないと」


 照れ隠しに早口でまくしたてると、魁人は深雪の顔を見れずに先に病室を後にした。


「ずっと弟みたいに思って来たけど、すっかりたくましくなったね」


 感慨深げに微笑みを浮かべると、深雪は魁人の背中を追いかけた。目を覚ました時、目の前に魁人がいなければもしかしたら、父の死のショックで心が完全に折れてしまっていたかもしれない。

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