第16話 全てを飲み込む白

 時刻は午後六時を回った頃。永士と麟太郎は、麟太郎が運転する車で相巣山スキー場ロッジへと向かっていた。辺りは真っ暗だが、遠目にはすでにゲレンデの明かりが見えている。闇夜の中、いつ寒凍霊や氷鬼の襲撃が起きるかという緊張感が常につきまとっているが、幸いにも天候は落ち着いており、異常事態であることを除けば穏やかな冬の夜だ。


「勢能さんが村の出身じゃないと聞いて驚いたよ」

「俺もだ。俺らが子供の頃にはもう、スキー場のスタッフだったからな」

「説明しても信じてもらえないかもしれないね」

「……ああ。早速、韮沢部長やムネさんの立場を追体験する羽目になりそうだよ。安全のためには是が非でも説得しないとな」


 出発前に二人は、勢能オーナーの経歴を韮沢から聞かされていた。勢能オーナーは現在五十八歳で韮沢たちと同世代だ。本来であれば五十年前の災厄を体験している世代だが、勢能は県外の出身であり、元々は別のスキーリゾート施設に勤務していたそうだ。勤務先の倒産に伴い、知人だった当時の相巣村スキー場のオーナーからのスカウトを受け、二十三年前に妻と二人で相巣村に移住してきたのだという。


 十九年前には離婚をしたが、相巣村での生活が気に入っていた勢能は村に残り、妻は子供を連れて村を去った。十七年前には先代からスキー場のオーナーの職を引き継ぎ、現在へと至る。


 勢能が村に移住してきた頃、永士や麟太郎は四、五歳。昔から勢能は村にとって、当たり前に存在する人だったので、大人となった今日まで、彼は村生まれ村育ちだと勝手に思い込んでいた。


 そのため勢能には、寒凍霊や五十年前に惨劇に関する知識はない。これまでにも勢能にも事情を打ち明けるべきだという意見は何度か出されていたが、勢能自身の合理的、現実主義的を性格を考慮すると説明は困難を極めると判断され、そのまま今日という日を迎えてしまった。


 そういった経緯から、寒凍霊や氷鬼が出現して以降も、ロッジから村に観光客を避難させるなどの対応は取られていない。通信障害が発生していなければ、大雪への備えなど適当な理由をつけて村への避難を促すことも出来たが、ここに来て通信障害が悪影響を与えている。


「そういえば麟太郎。スキー場は今日、特別込み合ったりしていたかい?」

「週末だし平日よりは利用客が多いが、特別って程ではないな。それがどうかしたか?」

「麟太郎と会う直前、スキー場のバンが大学生たちを迎えに来てて、運転手が勢能さんだったから珍しいなって。スキー場が忙しくて人手が足りないのかなと思ってたんだけど」

「変だな。午前中に別の利用客が到着した時は、送迎車は鶴木さんの運転だったはずだが。たまたま手が離せなかったんだろうか」


 久々に地元に戻ってきた永士だけではなく、村役場の立地的から、普段からスキー客の送迎を目にする機会の多い麟太郎から見ても、オーナーの勢能がバンの運転手というのは珍しかった。もちろん時と場合によっては、オーナー自らということもあるだろうが。


「勢能さんもそうだが、大学生たちの方は説得出来るのか?」

「どこまで事情を語るかはともかく、面識のある僕と、役場の職員の麟太郎が避難を呼びかければ素直に応じてくれると思うよ。寒凍霊や氷鬼はともかく、雪崩や通信障害が発生していることは周知の事実だからね」


 日帰りの予定が雪崩で帰宅困難となったスキー客については、すでに万年雪旅館で受け入れている。現在ロッジに滞在しているのは宿泊予定だった大学生グループとオーナーの勢能、スタッフの鶴木が残っているだけだと思われる。スキー場の車両と麟太郎の車があれば、一度に全員を避難させることは可能だ。いつ襲撃が起こらないとも限らないので、ロッジの人々の回収は手短に済ませたい。


「見たところ異常は無さそうだな」

「実際に安否を確認するまでは何も言えないよ」


 何事もなくスキー場まで到着し、ロッジから十数メートル離れた駐車場へと車を入れる。標高が高く平地よりは積雪があるとはいえ、道路状態などは問題なく、冬芽神社の時のような顕著な積雪は見受けられない。ロッジには明かりも灯っており、目に見えた異常は発生していないようだ。


「地震か?」


 麟太郎が車を駐車場に停めてエンジンを切った瞬間。地響きのような音と振動を体に感じた。感覚としては微細なものだ。エンジンがかかった状態では気づかなかったかもしれない。


「待て麟太郎」


 普段あまり地震が発生するような地域ではないし、地響きのような音は持続している上にどんどん大きくなっている。雪国の出身として、最悪の可能性を想像した。


「これは雪崩だ……」


 次の瞬間、ゲレンデを猛スピードで駈け下りてきた雪崩が、二人の視線の先のロッジを直撃。木造のロッジに大量の雪がめり込むように侵入すると、内部の明かりがスパークした末に暗転。圧力に負けたロッジはついに全体が崩壊し、雪崩に混じった大小さまざまな木片へと姿を変える。ロッジへの直撃と平地に差し掛かったことで雪崩の勢いは弱まり、原型を留めぬロッジを飲み込んだまま、十メートル先でその流動を止めた。ロッジから離れていた二人の車は幸い直撃を免れたが、大量の雪煙がフロントガラスを覆い、視界を完全に失っていた。


「雪崩が……ロッジを飲み込んだのか?」


 地響きと雪煙が落ち着いた後、ワイパーと車のライトで確保された視界に、直前まで存在していたロッジの姿が失われたことに麟太郎は絶句した。


「本来ならあり得ないだろ、こんなこと」


 スキー場では雪崩の発生を予防するため、スキーパトロール要員によって、雪庇や雪面に切れ目を入れて、あらかじめ人工的に雪を崩しておくスキーカット等、適切にアバランチコントロールが行われている。また、スキー場は開設時から、万が一雪崩が発生した場合でも、その勢いが森林によって減少するような計算が成されており、一部では雪崩対策の植林も行われている。実際、相巣村スキー場は開業以来六十二年に渡り、管理区域内では大きな事故は発生していない。


 管理区域外であるバックカントリーでの出来事ならばともかく、管理が行き届いているスキー場内で雪崩が発生する可能性は限りなく低い。ましてやそれが、ゲレンデを駈け下り、ロッジを粉砕するだけの威力を持っているなど、通常ならば考えられない状況だ。


「……分かってるじゃないか、麟太郎。常識を引き合いに出すフェーズはもうとっくに超えている」


 冬芽神社が内部や宮司まで丸ごと凍り付いたのだ。本来起こり得ない場所で雪崩が発生しても不思議ではない。村を陸の孤島にした村道での雪崩も、恐らく類似の現象だろう。あの場所で道路を寸断する程の雪崩が発生した事例は、過去には確認されていない。

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