第17話 赤き刺客

 覚悟を決めた様子で息を深く吐き出すと、永士は扉を開けて車の外に出た。それを麟太郎が慌てて呼び止める。


「何をするつもりだ?」

「救助に決まっているだろう。放ってはおけない」

「……素人の俺達が、夜間にまともな装備もなく救助活動を行うのは不可能だ。二次災害に巻き込まれる可能性だってある」


 麟太郎だって見捨てるような真似はしたくはなかったが、原型を留めぬ程粉砕されたロッジの様子から、中にいた人々の生存は絶望的だ。仮に生存者がいたとしても、車がスタッグした時の備えとして積んであるスコップや牽引ロープだけでは、とても救助なんてままならない。救助を呼ぼうにも、村全体で寒凍霊や氷鬼の襲撃に備えている現状では、人海戦術で掘り起こすことも難しい。今の麟太郎に打つ手は残されていなかった。


「……せめて、呼びかけだけでも」


 村の顔見知りだった勢能や鶴木はもちろん、帰省の道中で知り合い談笑を交わした大学生たちもすでに、顔も知らない他人とはとても呼べない。生存が絶望的なことは頭では理解しているが、それでもせめて、返答を期待して呼び掛けぐらいはしてあげたかった。


「気をつけろよ」


 今度は麟太郎も止めなかった。雪崩が直撃したロッジに近づいていく永士を、麟太郎も車から降りて心配そうに見守る。


「勢能さん! 鶴木さん! 聞こえますか!」


 永士の声がスキー場に響き渡るが、返答はない。雪崩発生の轟音などなかったかのように、スキー場全体が静まり返っている。


「番井さん! 鳥海さん! 権藤さん! 瀧さん! 誰かいませんか!」


 続けて大学生グループの名前を一人一人呼び掛けたが、やはり返答はない。全員がロッジごと雪崩に埋まってしまったのか。残酷な運命を呪うように永士が目を伏せた瞬間、自然の中で研ぎ澄まされた聴覚が、静寂の中に一つの音を感じ取った。


 ――これは、スキー?

 

 一瞬身構えたが、幸いにも新たな雪崩の発生ではない。それは雪面をスキーが滑走する際の音によく似ていた。

 音のする方向へ視線を向けると、雪崩の軌道からギリギリ外れていた上級者向けコースをライトに照らされながら、一人のスキーヤーがスキーで駈け下りてくるのが見えた。真っ赤なスキーウェアを着て、黒いニットキャップとゴーグル、ネックウォーマーで顔は完全に隠れている。長身でガッチリした体つきの男性のようで、遠目だが190センチ近くはありそうだ。勢能や鶴木にそこまで大柄な印象はない。大学生グループの二人の男性、番井と権藤も少なくとも永士よりは低かったはずなので、ロッジに滞在しているはずの、どの男性の特徴とも一致していなかった。


「無事で良かった。あなたのお名前は?」


 把握していなかっただけで、大学生グループ以外にもロッジに滞在しているスキーヤーがいて、ナイタースキーを楽しんでいたため奇跡的に雪崩に巻き込まれずに済んだのだと永士は思った。こちらへと向かってくる赤いスキーウェアの男性に手を振ったが。


 永士に応えるように赤いスキーウェアの男が左手のストックを振り上げたかと思った次の瞬間、永士目掛けてやり投げのように投擲した。滑走しながら不安定な姿勢で投擲したにも関わらず、ストックはぶれずに真っ直ぐ永士へと飛来する。さらに、風を切り裂くストックの周辺に冷気が収束し、本体が凍り付く。先端は氷柱のように鋭利となり、ストックは完全な氷の槍と化した。


「危ない永士!」


 麟太郎が叫んだ瞬間には、永士も咄嗟に回避行動を取っていた。倒れ込むように右に跳ぶと、直前まで永士がいた雪面を抉るように、深々と氷の槍が貫いていた。直撃していたら風穴どころの騒ぎではない。


 赤いスキーウェアの男性は滑走を止めて、平坦な雪面に静止。回避に成功した永士を、静かにジッと見下ろしている。命中しなかったことを悔しがるでも、非力な姿を嘲笑うでもない。その姿からは一切の感情が感じられない。


「無事か永士」

「危うくモズの速贄だったけどね。それよりも麟太郎、あの男」

「氷の槍の投擲。あいつも氷鬼か」


 ストックを投げつけてくるならまだしも、それが氷の槍に変化させるなど人間技ではない。閑林、森尾とは明らかに体格が異なるので、新たに確認された三体目の氷鬼ということになる。


「何者だ? あんな大柄な人、村では見かけたことないけど」

「……村の住人じゃないから失念していたが、今期の冬に雪害で亡くなったのは閑林さんと森尾さんだけじゃない。あれは恐らく、バックカントリーを滑走中に亡くなった県外から着たスキー客だ。名前は鍋島なべしま伸作しんさく

「バスで魁人くんに聞いた覚えがある。原因は雪崩だったね」


 先月、バックカントリースキー中に雪崩に巻き込まれて死亡した県外からのスキー客、鍋島伸作。享年38歳。麟太郎は直接事故対応などに関わったわけではないが、県外からのスキー客が村内で亡くなった事例とあって、役場の人間として事故の詳細を把握していた。顔までは見えないが、190センチ近い長身とガッシリとした体格は、鍋島の特徴と一致する。遺体発見時の服装も、真っ赤なスキーウェアだった。


「……ここからどうする永士?」


 五十年前の経験から、氷の体を持つ氷鬼には熱や、剣先スコップやハンマーで衝撃を与えるのが有効とされている。剣先スコップなら車に一本積んであるが、こちらは二人だけということもあり装備としては心もとない。ましてやロッジが崩壊した今、自然に囲まれたスキー場は完全に相手のテリトリーだ。


「車で村まで戻ろう。車にさえ乗れば逃げ切れると思う」


 森尾氷鬼は車で移動する石切と真柴を、軽自動車で追跡してきた。このことから流石の氷鬼も、体一つでは車の速度には追いつけない可能性が考えられる。鍋島氷鬼もスキーで追跡してくる可能性があるが、村に近づくにつれて勾配は緩やかになるので、車なら引き離せるはずだ。


「そうと決まれば行くぞ、永士」


 何を考えているか分からないが、鍋島氷鬼が高みの見物を決めている今がチャンスだ。麟太郎の合図で二人同時に車に戻ろうとしたが。


「……なるほど。高みの見物を決めるわけだ」


 永士はその場から動くことが出来なかった。無事に車まで戻った麟太郎はそこで始めて、永士が追いついてこないことに気付いた。


「永士……そんな」


 麟太郎は我が目を疑った。雪面に突き刺さった氷の槍から、地面を這うように氷の根が永士の右足へと伸び、接触個所から永士の足が凍り付き、その場に繋ぎ止めている。永士は必死に足を引き抜こうとするが、氷の戒めはビクともしない。


「待ってろ! 今スコップで――」

「もう僕は動けない! 麟太郎だけでも逃げろ」


 救出を試みる麟太郎を永士が大声で制する。スコップ一本でどうにかなるものでないことは体感で理解していた。下手に近づけば麟太郎まで巻き込まれる。


「お前を置いていけるかよ!」

「大局を見るんだ。二人ともここで倒れるより、一人が情報を持ち帰った方が有意義だろう」

「だからって」


 牽制か本気か、鍋島氷鬼は高みから、麟太郎目掛けてもう一本のストックで投擲の構えを取っている。


「行け、麟太郎! 君は役場の職員だろ。村を救え!」


 親友からの喝に、麟太郎は断腸の思いで車へと戻った。エンジンをかける手は感情的で荒々しい。


「死ぬなよ、永士。助けに戻るまで、死に物狂いで生き残れ!」


 窓を開けて大声で永士に要求を突きつけると、麟太郎は車を発進させスキー場を後にした。鍋島氷鬼は一瞬、麟太郎の車を追いかけるかを迷うように、数度視線が車と永士の間を行き来したが、結局追跡はせずにその場に留まった。


「無茶を言ってくれるな」


 苦笑を浮かべながらも、永士は己の危機も忘れ、麟太郎が無事にこの場を離脱出来たことに安堵していた。幸いだった一方で、鍋島氷鬼には麟太郎を追跡できたにも関わらず、あえて見逃したような印象を受ける。最終的に村を壊滅させるのだからここで見逃すのは誤差程度に考えているのかもしれないが、氷鬼の立場からすれば、村の戦力となる若い男性を一人でも多く消しておくに越したことはないだろう。ましてや麟太郎は車の鍵を持つ運転手。標的としての優先順位は高そうに思える。

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