第18話 ファーストコンタクト

「僕のファンなら、サインでも書こうか?」


 あえて挑発的に鍋島氷鬼へと問いかける。麟太郎を見逃したのは、自分をこの場に確実に繋ぎ止めるためではないかと永士は考えていた。片足が凍り付き、すでに身動きは取れる状況にはないが、そう考えれば鍋島氷鬼が永士と麟太郎の車との間で視線を迷子にさせていた理由にも説明がつく。


 もしかしたらこの氷の戒めは、鍋島氷鬼がこの場を離れたら効力を失うのかもしれない。だとしても、そうまでして自分を繋ぎ止める理由が永士には分からなかった。もちろんサインを求められたら快く応じる心づもりではあるが、拘束状態でそれを求めてくるのは、ファンの愛情表現として非常に過激だ。


「こんな状況でも冗談を言えるなんて、ずいぶんと冷静なのね。ますます気に入っちゃった」


 突然、愉悦を感じさせる女性の笑い声が静寂を裂いた。周囲にそれらしい姿は確認出来なかったが、状況に不釣り合いな不遜な態度から、その正体を察するのは難しくはなかった。


「君は、寒凍霊だね?」

「ご名答。やっぱり冷静ね。経緯を表して後でサインを貰おうかしら」

「それなら宛名を教えてもらわないとね。君の名前は?」

「宛名はけっこうよ。今はまだ正体を明かすつもりはないの」

「それは残念。気が変わったらいつでも応じるよ」


 話の流れで宿主の正体が誰なのか聞き出せないかと思ったが、相手もそう浅はかではないらしい。聞き覚えのある声なので、村で生まれた女性の誰かには間違いない。流石に幼馴染の六花や、少し前まで一緒に行動していた深雪でないことだけは分かるが、村を出て十年も経つので、声だけで個人を特定することは難しかった。


「その物怖じしない態度、ますます気に入っちゃった。ここで始末するのは惜しいな。ねえ、私の側につく気はない?」

「……断る。殺すならさっさとしてくれ」


 氷鬼として使役されれば、結果は同じなのかもしれない。それでも確かな己の感情として、生前に意志は示しておきたかった。


「殺すならか。面白いことを言うね」


 寒凍霊の声は相変わらず愉快そうだったが、鍋島氷鬼に即座に殺害を命じる様子はない。そもそも問答などせずに、さっさと殺してしまえばよいものを。寒凍霊にはまるで永士を殺す意志が無いかのようである。


「本当は違和感を覚えているんじゃない?」

「……何のことだ?」


 永士は無意識に、感覚を確かめるように両手の拳を握り、直ぐに開いた。その一瞬の仕草を寒凍霊は見逃さない。


「ようやく人間らしいところが見えた気がする。今は小さな違和感でも、賢いあなたのことだから、きっと直ぐに気がつくでしょうね」

「そこまで言うのなら、いっそ答えを教えてほしいんだけどな」

「ミステリー作家らしくもない。真相究明が犯人の自供頼みなんて、面白味に欠けるでしょう?」

「なるほど。確かに今のは僕の失言だった」


 軽快な語り口の中でも、決して自らの手の内は明かさない。やりづらい相手だというのが永士の率直な感想だった。寒凍霊の言うように犯人頼みの自供ではなく、自力で推理を組み立てて真相に迫る他ないようだ。そのチャンスが与えられればの話だが。


「ついつい話し込んでしまったわね。私はそろそろ行くわ」

「連れないな。僕はもう少し君とお話しがしたいのだけど」

「口説いても無駄よ。私には私の予定があるの」

「手厳しいな。お相手が僕では不服かい?」

「あなたは魅力的よ。お話は後でじっくりさせてもらうわ」


 スキー場を荒らした今、寒凍霊が目指す場所は相巣村しか残されていない。口述で少しでも時間稼ぎが出来ればと思ったが、そんな考えも見透かされているらしい。

 だが収穫もあった。約束を取り付けることが出来たなら、少なくともその時まで生かされるはずだ。無事な姿のままで、という保証はどこにもないが。


「彼がここを離れられないよう、しっかりと見張っていなさい」


 鍋島氷鬼が無言で頷いた。


「行きましょうか皆」

「あれは……」


 寒凍霊が手を打ち鳴らすと同時に、雪崩で崩壊したロッジから数名の人影が這い出して来るのが見えた。人数は四人、五人、暗くて正確な人数や姿を捉えることは困難だったが、スキー場の関係者や大学生たちが氷鬼として蘇ったのは間違いなかった。


「また会いましょう。斜森永士」


 瞬間、猛烈な地吹雪が巻き起こり、寒凍霊の声とロッジの氷鬼を飲み込む。止んだ時にはその姿は消え、スキー場には片足が凍った永士と、永士を見張る鍋島氷鬼のみが残された。


「念のため聞くけど、この氷を溶いて僕を解放するつもりはない?」


 返答はない。閑林氷鬼は聞き取りにくいながらも言葉を発していたが、どうやら彼と比べて鍋島氷鬼は無口なようだ。村の住人ではないので、永士とのコミュニケーションの取り方に苦慮している。などという理由だったら可愛げもあるが。


「喧嘩の経験はないのだけど、やはり衝突は避けられないか」


 故郷の危機を指を咥えて見ているつもりはない。覚悟を決めた永士は凍り付く右足に力を込め、戒めを振り解こうとする。鍋島氷鬼は嘲笑するように永士の悪あがきを見下ろしていたが。


「よし、抜けた!」


 三度目の足上げで、凍り付き雪面と同化していた永士の右足が雪面から剥離し、永士は再び両足の自由を取り戻した。裾と冬靴ごと足が凍りついていたにも関わらず、永士の右足には一切の不調は見受けられず、軽快な足取りを維持している。自分の体のことだ。いけると、感覚で理解していた。


「小さいけど、初めてリアクションしてくれたね」


 動揺するように鍋島氷鬼がほんの一瞬、身じろいだ。本来、氷の戒めは力技でどうにか出来るものではない。いずれは破られる可能性も考えていはいたが、永士がこんなにも早く順応するのは想定外だった。


「素直に送り出してはくれないよね」


 氷鬼にとって寒凍霊の命令は絶対だ。残るもう一本のストックを氷の槍へと変化させ、武器として装備した。寒凍霊は永士がここから離れないように見張れと命令した。氷で繋ぎ止めることが出来ないのなら、死なない程度に負傷させてこの場から動けなくするまでのことだ。


「村をやらせはしない。邪魔をするな氷鬼」


 勝算があるわけではないが、目の前の鍋島氷鬼を倒す以外に道はない。永士は拳を握り、臨戦態勢を取った。


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