第19話 椿の簪

 深雪と魁人は寒凍霊への新たな対抗策を求めて、再び冬芽神社を訪れていた。少し前まで純道宮司の遺体の搬送や現場検証で複数名が行き来していたので、雪が踏み固められた境内は夕方よりも歩きやすくなっている。ただし、夕方の騒動で外灯がやられてしまったので、光量の多い懐中電灯は必須だった。


「さっきは気づかなった。どうしてここだけ?」


 過去の記録など保管されている中二階の古い蔵を訪れると、拝殿や社務所、隣接する自宅まで凍り付いているというのに、蔵だけは異常な凍結を免れ、本来の質感や堅牢さを維持している。周囲に積もった雪も明らかに他の建造物よりも少なく、恐らくは今朝から降った雪の自然な積雪量だ。すなわち、氷鬼が引き起こした異常の影響は一切受けていないことになる。


「カイちゃん。手元を照らして」

「了解」


 懐中電灯の明かりを頼りに、社務所から持ってきた鍵を錠前に差し込み鍵を開ける。扉も凍っていなかったので、二人で難無く開閉することが出来た。


「良かった。明かりも生きてる」


 蔵の入口のスイッチを押すと、天井の小さなライトが点灯し、ある程度の明るさが確保された。懐中電灯の明かりだけでは心もとなかったが、これで作業がしやすくなった。


「どの辺りを探せばいい?」

「一番奥が、寒凍霊や暖火の儀に関する記録。五十年に一度の事だから、記録してはあまり多くはないけど」


 暖火の儀の開催を控え、様々な勉強をしていたので、関連する書物は埃一つ被らずきっちりと整理整頓が成されていた。魁人が試しに一番上に置かれている書物を手に取ったが。


「……何て書いてあるのかさっぱりだ。暖火の儀や、寒凍霊という字は何となく理解出来るけど」


 年季が入って変色したその書物は、前々回の暖火の儀、大正13年(1924年)について、当時の宮司が直筆で記録した内容であった。達筆な字と当時の仮名遣いがもたらす情報量の多さに魁人は目を回す。


「大正期の記録だからまだ読みやすい方だよ。江戸時代の記録まで遡ると流石の私も目を回しちゃう」


 苦笑を浮かべながら、深雪は棚のさらに奥を探る。前回の昭和期、前々回の大正期は多数の死者を出しながらも、暖火の儀自体は無事に成功し、被害は最小限に留まっている。失礼な表現にはなるが、儀式が行えぬ今回は、成功例の記録は残念ながら参考にならない。もっと記録を遡り、過去の失敗や、不足の事態が起きた事例を調べなければいけないのだが。


「駄目……失敗例は見当たらない」


 最も古い江戸時代の記録まで遡ってみたが、判読出来る記録ではどれも暖火の儀そのものは成功している。記録を残さなかったのか、何らかの理由で紛失したのか。一切の記録が存在していない年や、劣化や汚損によって判読が不可能になっている記録もある。求めている情報がこれらの時代や記録に残されているのならお手上げだ。


「カイちゃん。どうかしたの?」


 少し前から魁人は何も言葉を発さず、身動きの気配もない。何をしているのだろうと後ろを振り返ると、魁人は中二階へと続く梯子状の階段をジッとを見上げていた。集中しているというよりも、心ここにあらずといった、どこか不安定な印象を受ける。


「何となく気になって。上には何あるの?」

「ほとんどが空きスペースだけど、古くからの収蔵品が幾つか保管されてるよ」

「調べてみてもいい?」

「いいけど、そこには資料になりそうな物はないと思うよ」


 許可を得ると、魁人は返答もせずに中二階へと上がっていった。故郷の一大事とはいえ、深雪に恋心を抱く魁人が深雪の言葉に反応しないことは珍しい。直前の心ここにあらずな印象といい、まるで何かに引き寄せられているみたいだ。魁人の様子が気になった深雪も作業を中断し、中二階に上がった。


「その箱がどうかしたの?」


 中二階に上がると、魁人は大きな木箱の蓋を開けていた。中二階は掃除こそ行き届いているが、解放する機会のない収蔵品ばかり保管されているので普段は手をつけない。大きな箱の存在も、深雪はこれまでは意識したことがなかった。


 魁人の背中越しに箱の中身を確認すると、箱の中には長い巻物が一枚と古文書が一冊。そして小さな長方形の箱が一つ収められていた。箱は桐で出来ていて、新品と見紛う程に保存状態が良い。収納していた大きな木箱や掛け軸には経年劣化が見られるので、桐の箱の存在だけが浮いているが、大きな箱には魁人が明けるまで開封された形跡はなかった。まるで桐の箱だけ時の流れが止まっているかのようだ。


「この箱から、温かさを感じるような気がする」

「温かい? 冷え冷えだと思うけど」


 魁人が手にした桐の箱に深雪も触れたが、暖房設備のない蔵の中に保管されている物なので、素材を問わずあらゆる収蔵品がキンキンに冷えており、桐の箱もその例外ではない。魁人の感覚は深雪には理解出来なかった。先程から魁人の様子がどこかおかしい。


「開けてもいい?」

「う、うん」


 この桐の箱の何が魁人をそこまで惹き付けるのか。異常に保存状態が多いことも相まって深雪も気になった。

 桐の箱を開けてみると、中には一本のかんざしが収められていた。美しい白い椿の花の装飾が目を引き、素人目に見ても素晴らしい一品であることは明白だった。


「綺麗な簪。だけど何でこんなものがうちの蔵に?」


 神社の収蔵品としては珍しいなと深雪は感じた。神社の収蔵品ではなく、冬芽家の私物。例えば何代も前の女性の装飾品が紛れ込んだのだろうか? 


「ああ、だから温かいのか」

「カイちゃん。大丈夫?」


 温かさの正体は椿の簪であり、それに触れた瞬間、魁人は眩暈を覚えたかのようにふらついた。慌てて深雪が体を支えると、魁人はその場に片膝をついて頭を抱える。


「今日は屋外にいる時間が長かったから気づきにくかったけど……そうか、僕の体はこんなにも冷えていたのか」


 か細い声からは、現実を受け止めきれない悲愴感が漏れ出していた。


「どうしたの? さっきから何だか様子がおかしいよ」

「だけど、いつからなんだ。いつから僕はこんな……」

「カイちゃん。こっちを見て」

「落ち着いてカイちゃん!」


 寄り添う深雪の一喝で魁人は我に返った。自分を心配してくれる深雪の顔を見ていると、感情がグシャグシャになって今にも泣き出してしまいそうなのに、心の騒めきとは裏腹に、一向に水分が瞼に溢れてはこない。思えばずっと違和感はあった。幾ら屋外の作業とはいえ、暖火の儀の準備を手伝っている時はあんなにも体を動かしていたのに汗一つかかなかったし、暖房の入った役場の会議室もそこまで温かいとは感じられなかった。


「私には何でも話して。どんな話でも受け止めるから」

「今全てを思い出した。多分、僕はもう……」


 椿の簪を手にした時、頭に過った光景が感情にひどく訴えかけてきた。大好きな深雪にこんな話をしたくない。だけど、深雪を守るためには打ち明けるしかない。自分の中に芽生えた恐ろしい記憶と、そこから導き出される結論を。

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