第20話 氷の巨体
無事に車で相巣村まで戻った麟太郎は村役場へと駈けこんだ。麟太郎がスキー場に向かっていた間にも氷鬼の襲撃に対する備えが進んでおり、役場の周辺は投光器や、中央広場から運んできた篝も焚かれている。そこを剣先スコップで武装した消防団や役場の職員、狩猟用ライフルを装備した猟友会のメンバーらが守りを固めていた。避難所として開設している隣接する公民館や、万年雪旅館、伊予札医院でも同様の備えが進んでいる。
麟太郎の到着に一瞬、事前に情報のあった森尾氷鬼の襲撃かと騒然としたが、姿を現したのが麟太郎だったことで、全員がホッと息を撫でおろした。
「芹沢さん。無事で良かった」
警備に参加していた駐在所の忍足が、麟太郎に駆け寄り帰還を喜んだが、永士の姿が見えなかったことで表情を曇らせる。麟太郎に目線で尋ねても、首を横に振るばかりであった。
「しばらくここをお願いします。とりあえず、中に入りましょう。芹沢さん」
警備を一時的に他の人間に任せると、忍足は麟太郎を役場の中に通した。まずは何が起きたのかを把握しなければいけない。
「……そうか。永士くんはスキー場に」
会議室で麟太郎からの報告を受けた韮沢は、沈痛な面持ちで目を閉じた。雪崩に巻き込まれたスキー場関係者の勢能、鶴木、ロッジに宿泊していた大学生。そしてスキー場に取り残された永士。被害は甚大な上、今度は彼らが新たな氷鬼として襲撃してくる可能性も否定できない。会議室には忍足と荒砥も顔を揃えているが、麟太郎の報告を受けてその表情は一様に暗い。土木維持課長の角勝由は、防災安全課の湯谷寒露、高齢者福祉課の里中柊子ら率いて、避難所として解放された隣接する公民館で指揮を執っており役場には不在だ。
「韮沢部長。俺はスキー場に戻る。人手を貸してくれないか?」
「許可することは出来ない。酷な話だが、状況を聞く限り永士くんの生存は絶望的だろう」
「永士はしぶとい。きっと今も持ち堪えている」
助けに戻ると永士に約束した。頭がキレて度胸もある永士のこと。どんなに絶望的な状況にあってもきっと生き残っているはずだ。
「話にならない。それは君の主観だ。仮に永士くんが生き残っていたとしても、一人のために貴重な人員を救出に割くことは出来ない。相手のテリトリーに踏み込むようなものだからな」
「だったら俺一人でも」
「頭を冷やせ麟太郎!」
机を激しく叩く音と共に、麟太郎のおじでもある荒砥が一喝する。例えどんなに無茶な行動であったとしても、冷静な状況で発せられた言葉なら一考ぐらいはする。だが今の麟太郎は完全に感情に突き動かされているだけだ。それが最悪の結果をもたらすことは想像に難くない。みすみす若い命を散らせるわけにはいかない。
「親友の身を案じる気持ちは分かるが、お前は村民の生活を預かる役場の職員だろう。自分の立場を見失うな」
『行け、麟太郎! 君は役場の職員だろ。村を救え!』
荒砥の言葉が、永士が最後に放った言葉と重なる。そうだ。永士は助けを望まず、麟太郎に村を守れと、思いを託した。あの時、永士はすでに覚悟を決めていたに違いない。真の意味で永士の思いに応えるために麟太郎がすべきことは。
「……すみません。感情的になり過ぎました。今は住民や旅行客の安全確保に全力を尽くします。その代わり、状況が落ち着いたら直ぐにでも、スキー場へ救助に向かわせてください」
「ああ。その時は総力をあげて捜索しよう」
荒砥は幼い頃にそうしてあげたように、麟太郎の頭に優しく触れた。荒砥も斜森太助と知人だったので、永士のことは幼い頃からよく知っているし、幼馴染として麟太郎にとって彼の存在がどれだけ大きいかも理解している。消防団長として、麟太郎に立場を自覚させるべく強い言葉を投げたが、本心では叔父として、今すぐ麟太郎に同行して永士の捜索に協力してやりたいぐらいだった。
「俺はこれから何をすれば?」
「君には万年雪旅館の応援に向かってもらいたい。あちらにも防衛体制を整えているが、観光客を避難させている都合上、こちらよりも混乱が生じている。人員を増やして対応に当たりたいと考えている。君にはその中核を任せたい」
「分かりました。準備が整い次第旅館に向かいます」
「おい! 止まれ!」
「一台突っ込んでくるぞ!」
新たな役割へ向けて麟太郎が襟を正した直後、役場の入口が騒然とする。次の瞬間、凄まじい衝突音と衝撃が役場に襲い掛かり、会議室も激しく揺れた。何が起きたのかを確かめるため、四人は会議室からエントランスへと飛び出す。
「何だよこれ……」
肌を刺す寒さに麟太郎は唖然とした。役場の入口が何かに突き破られ、大きな風穴が空いて外との境界を失っている。予報通り天候が荒れ始め、雪を纏った風が役場へと吹き込む。その下には破壊された外壁やガラスの破片が散乱し、巻き込まれた男性が二人、血塗れで倒れていた。
「帯野くん! 背山課長!」
韮沢が血塗れで倒れる二人に駆け寄る。二人とも役場の職員で、財務部管財課の帯野光輝、二十三歳と、民生部環境衛生課の
「……おいおい。マジかよ」
麟太郎の双眸が風穴の向こう側に、壁を突き破った質量の持ち主の巨体を捉えた。投光器に照らされたその姿は、額に「相巣村」と表示した路線バスであった。突撃して壁を突き破った後、再度攻撃するために車体をバックして引き抜いたようだ。フロントガラスには罅が入っているが、その巨体故に路線バスはほとんど無傷に近い。運転席では制服姿の運転手、
バスは車内に明かりはついていない。車体は小刻みに振動しているが、エンジン音は一切聞こえず、排気が立ち上っている様子も確認出来なかった。極めつけには自然凍結とは思えない、車体全体が鏡面のように反射するほど凍り付いている。まるで側と質量だけを再現した模造品のようだ。すでに存在が確認されている、森尾氷鬼と生前の彼の愛車を模した軽自動車の例を見るに、あのバスの正体は巨大な氷の塊と考えるのが妥当だろう。
「あの運転手、氷鬼化しているのか」
投光器に照らされた車内の運転手は顔が異様に生白く、大きく見開いた目でただ正面だけを見据えている。その姿は冬芽神社で遭遇した閑林氷鬼と酷似しており、異形のバスのハンドルを握っていることといい、運転手の根来は氷鬼化していると見て間違いない。
だが、運転手の根来は一体いつ氷鬼化したのだろうか。バスが村に到着した時のことは、停留所に隣接する役場に詰めていた麟太郎も目撃しているし、そのバスから永士や魁人、大学生たちが下車してきた。その直後に雪崩発生の一報を駐在所の忍足から受け、そこからは雪崩の対応に当たっていたので、バスと運転手の存在は完全に麟太郎の意識から消えていた。雪崩で道路が寸断されているので、解消までの間、当然バスは相巣村内に留まっていたはずだ。運転手はその後に人知れず命を奪われ、氷鬼となってしまったのだろうか?
「忍足さん。最後にバスを見たのはいつですか?」
「役場前で芹沢さんに雪崩の発生を伝えた時です。戻ってきた時には役場の周りにバスはいなかったような」
麟太郎も同様だ。意識していなかったとはいえ、役場の側にいたバスがいついなくなったのかが分からない。そもそもバスを格納する大きな車庫なども無いので、一体バスはどこに行ってしまったのだろうか……。
「……ムネさん。氷鬼は生前の装備を伴って蘇るって言ってたよな?」
麟太郎の脳裏を最悪の想像が過った。
「ああ。スリップ事故で亡くなった森尾が軽自動車を操っているのはたぶん、そういうことだ」
五十年前にはスノーモービルの事故で亡くなっていたスキー場スタッフがスノーモービルを操っていたというし、麟太郎がスキー場で遭遇した鍋島氷鬼がスキーを操っていたのも、彼がバックカントリースキーをしている最中に亡くなったためだろう。だとすれば根来もバスを運転中に亡くなった可能性が高いが、だとすればそのタイミングは場合によっては。
「また突っ込んでくるぞ!」
麟太郎の思考は荒砥の叫びに遮られる。根来氷鬼がハンドルを握るバスが、役場をさらに破壊すべく直進を始めた。今は余計なことを考えている場合ではない。あのバスをどうにかしなければ、冷気で凍死させられる以前に圧倒的な質量で蹂躙されてしまう。
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