第21話 アイス・エイジ

 スキー場では、永士と鍋島氷鬼が戦闘を繰り広げていた。

 鍋島氷鬼が人体が凍り付く超低温の冷気を生成し、永士目掛けて放つ。冬芽神社で閑林氷鬼が、冬芽純道宮司を殺害したのと同じ技だ。建造物など一切の遮蔽物が存在しない中、外気温を遥かに下回る強烈な冷気が永士に襲い掛かった。


「今の僕に冷気が効くとでも?」


 強烈な冷気を浴びても永士の体は凍り付くどころが、一切その影響を受けていない。近くの落ちていたロッジの破片の木片を掴み上げると、ゲレンデの傾斜や雪面の足場の悪さを感じさせない走力で、高みの見物を決め込む鍋島氷鬼へと迫った。スキーは下りを滑走するのには適してるが、素早く傾斜を駆け上がるのには向かない。鍋島氷鬼は目の前まで迫った永士目掛けて、氷の槍に変化させたストックを振るった。


「見よう見まねでも、なんとかなるものだ」


 永士の木片が、とても木片とは思えない強度で、氷の槍の一撃を受け止めた。永士の木片はそれを芯として凍り付き、氷のこん棒のような形状となっている。単に受け止めただけではなく、氷同士が接着面同士で結合し強制的に鍔迫り合いのような形となった。本来の鍔迫り合いと異なるのは、手を離した瞬間、確実に相手に得物を持っていかれるということだ。


 手にした物を凍り付かせる能力を、見よう見まねでここまで使いこなす圧倒的なセンスに、鍋島氷鬼は動揺し、明らかに次の判断を迷っている。そこに、常に思考を続ける永士との差が生まれた。滑走を前提としたスキー板と、防滑機能の備わったスノーシューズ。近接戦闘に持ち込んだ時点で、足回りのアドバンテージは永士にあった。


 力と力のぶつかり合いなら体格で優る鍋島氷鬼の方が有利だが、より足の踏ん張りがきく永士の方が全身の力を上手く使える。永士は氷のこん棒を強烈に振り上げると、その勢いで鍋島氷鬼の体は仰け反り、堪らず氷の槍を手放してしまう。氷の槍と氷のこん棒の結合をはがすと、永士はそのまま氷の槍を掴み取った。


 木片を握り込んでいて見えにくかったが、永士の右手は素手で、手ごと木片を凍り付かせていた。手元の安定感でも永士は鍋島氷鬼よりも優位に立っていたのだ。永士はすかさず鍋島氷鬼の腹部に膝蹴りで追撃し、バランスを崩した鍋島氷鬼はそのままゲレンデの傾斜を転がり落ちていく。


「悪いが先を急いでいるんだ……せめて安らかに眠ってくれ」


 永士は、転がり落ちた鍋島氷鬼が体制を立て直す時間を与えはしなかった。ゲレンデの傾斜を一気に駈け下りると、立ち上がろうとしていた鍋島氷鬼の顔面へ、勢いそのままに氷の槍を突き立てた。ゴーグルを破壊した氷の槍は右の眼窩を通過し、頭を貫通して後頭部から先端が抜けた。血や脳症は一滴たりとも飛び散らず、代わりに細かい氷の粒がボロボロと零れ落ちている。その光景を前に、永士は氷鬼という存在が本当に、生前の姿を模しただけの氷の人形であるのだと客観的に理解することが出来た。否、本能ではすでにそのことを理解していた。そうでなければ、あそこまで精工に人の姿を模した存在に、躊躇なく凶器を突き立てることなど出来ない。


「完全に倒せたのか、それとも一時的にか」


 氷の槍を引き抜いた瞬間、鍋島氷鬼の体やスキーウェア、スキー板にも一気に細かい罅割れが伝わり、弾け飛ぶように、無色透明の無数の氷の粒となって大気中に霧散した。吹き荒れる風に掻き消され、その姿は跡形もない。鍋島氷鬼の一部だった、永士の握る氷の槍も同時に消滅していた。頭部に強烈な一撃を見舞えば、氷鬼はその氷の体を維持することが出来なくなるらしい。それが完全な消滅なのか。一時的なものでまた復活するのか。永士には判断がつかなかったが、これで一先ずは鍋島氷鬼からの妨害に晒されることはなくなった。その間に迅速に、大元である寒凍霊を止めなくてはいけない。


「……僕もやはり、氷鬼なんだな」


 これまでは戦闘に集中していたが、こうして吹雪くスキー場に一人きりとなった今、改めてその実感を覚えずにはいられなかった。記憶と肉体は連動している。氷鬼としての能力を発現してく中で、一体自分の身に何が起きていたのか。徐々に記憶が鮮明になっていった。


 新幹線で東京から青森へと到着し、そこからは路線バスで相巣村を目指した。その時は間違いなく、氷鬼ではなく本来の斜森永士だったはずだ。だが、村に到着した時点で少し違和感があった。相巣村の名前の看板を見つけた直後から、記憶が不自然に途絶え、気がついた時には相巣村への到着を知らせるアナウンスが流れていた。うたた寝でもしていたのだろうと深くは考えていなかったが、記憶が途切れる直前に何が起きたのかを今、完全に思い出した。


「あの時だ。あの時、僕たちは雪崩で……」


 記憶のフラッシュバックに眩暈を覚えた永士はその場に膝を折る。雪に接しても膝には一切の冷たさを感じない。


 路線バスは相巣村の看板を通過した直後、林道に流れ込んだ雪崩の直撃を受けて横転。そのまま大量の雪に埋もれてしまった。最後に記憶しているのはバスを襲った激しい衝撃と木霊する絶叫。横転する際の浮遊感を最後に、記憶は完全に途絶えている。恐らくはあれが、人間としての最後の瞬間だったのだろう。


 村を陸の孤島にした村道で発生した大規模な雪崩。まさか自分がすでにそれに巻き込まれて死んでいるだなんて夢にも思わなかった。相巣村に到着した時点で乗員乗客全てはすでに氷鬼と化し、あのバスもすでに、氷鬼と化した根来運転手の装備品として具現化した、氷の塊に過ぎなかったのだ。通信が遮断されている今、村の外がどのような状況になっているかは分からないが、復旧作業や救助作業が難航しているのなら、バスや乗員乗客の死体は今も、雪崩の中に埋まっているのだろう。


 自分が氷鬼だと自覚しないまでも、小さな違和感は積み重なっていた。万年雪旅館を離れたのは、暖火の儀の会場である中央広場を見ておきたかったのが一番の理由だが、今になって思えば旅館に長居することを体が拒んでいた。暖房の利いた室内や館内が妙に落ち着かなったのである。その時は違和感レベルだったし、流石に体が溶けるなどの顕著な変化も認められなかったが、氷で出来た氷鬼の体が、自然と拒否反応を示していたのだろう。


 そして永士自身が最も自分に違和感を覚えたのは、冬芽神社に向かった時のことだ。拝殿に詰めていた純道宮司の安否を確かめるため、麟太郎と共に拝殿の引き戸を力づくで開けた。麟太郎は中央広場の作業で使った軍手をはめていたが、永士は何もはめずに素手で引き戸に手をかけた。あれだけ凍り付いた扉を素手で触れば最悪、氷と指が張り付いてしまうし、指が無事だとしても、扉をこじ開けるだけの力を発揮することは出来ない。


 さらには、遭遇した閑林氷鬼が放った冷気の攻撃。あの時永士は、拝殿の中にいる三人を庇う形で引き戸を閉めて、強烈な冷気を一身に引き受けた。無事に耐え凌ぎ、事なきを得たが、これまでの状況を見るに氷鬼が人間の命を奪うことを躊躇するとは思えない。あの攻撃は加減されたわけではなく、氷鬼である永士だからこそ冷気を耐え凌げたに過ぎないのだ。それが永士が、自身に明確な違和感を覚えた瞬間だった。


 そうして自身の存在に疑念を抱いたまま、その意味を完全に理解したのはスキー場に到着後。鍋島氷鬼と遭遇し、氷の槍で足元を拘束された瞬間だった。確かに自由を奪われた感覚こそあったが、冷たさや痛みは一切感じられず、力技で脱出出来そうな手応えを覚えた。だからといって鍋島氷鬼に勝てる見込みがあったわけではないので、全滅を避けるために麟太郎だけは、強い言葉を使ってでも逃がしたが。


「……無事に生き延びてはみせたが、麟太郎には何と説明したものかな」


 勝てる見込みが無かったというのは建前だ。本音では、氷鬼としての能力に目覚めた自分の姿を彼に見せたくなかった部分も大きい。自分でさえまだ半信半疑だった氷鬼化の事実を、友人の前で晒す覚悟をあの一瞬では決められなかった。氷鬼と化して理性を失えば、自ら麟太郎を手にかける最悪の展開もあり得たかもしれない。彼を遠ざけたのは正解だったと、今は自分を納得させるしかない。


『その物怖じしない態度、ますます気に入っちゃった。ここで始末するのは惜しいな。ねえねえ、私の側につく気はない?』


 最悪の展開を想像した瞬間、思い起こされたのは寒凍霊の意味深な発言だった。寒凍霊は氷鬼を尖兵として使役する。それは寒凍霊が鍋島氷鬼に指示を出していたことからも明らかだ。だとすれば「私の側につく気はない?」という表現は奇妙だ。そんな勧誘めいた真似をせずとも、氷鬼である永士を問答無用で使役すればいい。


「もしかして、僕は他の氷鬼とは何か違うのか?」


 今この瞬間だって、永士は明確な自我を有して思考している。氷鬼となった閑林や鍋島が寒凍霊の命令を忠実にこなしていたのと比べてこれは大きな違いだ。ましてや永士は冬芽神社の一件の後、村の主要人物が集う役場での会議にも出席している。あの場で永士が氷鬼としての能力を発揮していれば、村の指揮機能は完全に失われていたはずだ。だが現実はそうはなっていない。寒凍霊は永士を支配することが出来ていないのではないか? だからこそ、厄介な存在である永士を勧誘という形で引き入れようとし、それが難しいと悟ると、鍋島氷鬼に足止めを命じた。


「爺ちゃん。もしかしてここまで見越していたわけじゃないだろうな」


 他の氷鬼と自分の違いとして真っ先に思い浮かんだのは、五十年前に寒凍霊の宿主となった祖母の氷美子の存在だった。血縁者に寒凍霊と同化した人間がいる。寒凍霊に一目置かれる理由があるとすれば、それぐらいしか思いつかなかった。永士が寒凍霊の支配を受けない可能性を太助が知っていたなら、こうして時代の災厄に孫を遣わしたことが一気に意味深になるが、真相は本人のみぞ知るだ。


「ここで立ち止まっている場合じゃないな」


 寒凍霊の支配を受けぬまま、氷鬼としての能力や耐性を持つ永士の存在は、この災厄を乗り越えるための切り札となり得るかもしれない。悲しきモンスターとなってしまった運命を呪ったのが、こんな自分でもまだやれることがあるかもしれない。故郷の村を、大切な仲間達を救うために、永士は相巣村へ向かうことを決意した。


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