第22話 スワンプマン

「……カイちゃん。今の話、本当なの?」

「……こんな状況で冗談を言う度胸なんて僕にはないよ。ましてや深雪ちゃんの前で」


 蔵の冷たい床に胡坐をかく魁人は、深雪を目を合わせることが出来ずにひたすら項垂れていた。青森市内から路線バスに乗り込み、相巣村の看板を永士と共に確認したところまでは鮮明に覚えている。そこから相巣村への到着を知らせるアナウンスが流れるまでの記憶が曖昧だったが、永士に続いて魁人も、抜け落ちていた記憶を取り戻していた。乗っていたバスは雪崩に巻き込まれた。異変を察した永士が咄嗟に庇うようにして覆いかぶさってくれところまでは覚えているが、永士の勇気も虚しく魁人もまた、氷鬼と化してしまった。


 その事実を、大好きな深雪に打ち明けることは苦渋の決断だった。伊予札魁人はもう死んでいて、今ここにいるのは氷で出来た怪物。しかも氷鬼は深雪の父親の命を奪った憎むべき存在でもある。自分がそれと同族になってしまったなどと認めたくはなかったが。だけど、一人で抱え込むにはこの事実は十六歳の少年にはあまりにも重すぎた。吐き出さなければきっと、体ではなく心の方がひび割れていく。


「深雪ちゃん……僕はもう氷鬼なんだ……だったら僕は、せめて君――」


 介錯にせめてもの希望を抱いた魁人の言葉は、深雪のビンタに遮られた。


「そんなことを言っては駄目。次にふざけたことを言ったら引っぱたくから」

「み、深雪ちゃん……もう手が出てるって」


 頬を張った深雪の目に涙が浮かんでいた。唯一の肉親だった父親に続き、どうして大好きな男の子まで残酷な運命を背負わされなければいけないのだろう。どうして突然命を奪われ、怪物として蘇る残酷な運命を背負わなければいけいないだろう。理不尽に対する怒りと悲しみが溢れ出していた。


「例え人間でなくなったとしても、カイちゃんはカイちゃんだよ」

「こんなに冷たい手をしているのに?」

「冷え性の人なんて世の中にはたくさんいる」

「これは冷え性なんてレベルじゃないと思うけど」

「細かいこと気にしないの。男の子でしょう」

「今の時代、そういう発言はどうかと」

「必死に慰めてるの。何か文句ある?」

「いえ! ないです!」


 お互いにひとしきり言葉の応酬を繰り広げたことで、気持ちが落ち着いてきた。平時を思い出すようなやり取りに、お互いに少しだけ笑みが零れる。


「やっと笑った。それは伊予札魁人の笑顔でしょう?」

「そうだね。深雪ちゃんのおかげで、自分が伊予札魁人であることに自信を持てる気がするよ」


 自分は今、伊予札魁人としての意識と自我を有したままこの世界に存在している。哲学的な答えを出すには時間がかかるが、自分が思考実験におけるスワンプマン(泥男)のような存在だと思えば、単に氷鬼であると諦めるよりも、少しだけ気が楽になった。


「あえて言うけど、カイちゃんは他の氷鬼と明らかに違うよね。体こそ冷たいけど、誰かに危害を加えようとはしない」

「氷鬼は寒凍霊の尖兵らしいけど、意識している範囲では寒凍霊の影響を受けている感覚はない。理屈は分からないけど、僕は何か特殊な存在なのかもしれない」

「カイちゃんの記憶の通りなら、永士さんも恐らくは同じ状態だよね?」

「うん。そして永士さんも明らかに他の氷鬼とは違う」

「私達のことも、体を張って守ってくれたものね。寒凍霊に支配されているようには見えなかった」

「永士さんは味方だ。僕と永士さんには何か寒凍霊の支配を受けない共通点があるのかもしれない。永士さんにももう一度会いたいところだね」


 自分と同じ状況に立たされている永士の存在に、魁人も勇気づけられた。永士と情報を共有することが出来れば、自分達の身に何が起きたのか、より正確に把握することが出来るかもしれない。


「そういえば、カイちゃんはどうして自分の変化に気付いたの? 蔵で調べ物を始めてから様子がおかしくなったけど」


 深雪は決して、魁人のことを氷鬼とは称さなかった。


「蔵に入った瞬間から、まるで暖房が効いているような温かさを感じて。それに比例して記憶が少しずつ鮮明になっていって。この簪を手にした瞬間に一気に全てを思い出した。いや、それだけじゃない。それ以上の情報が僕の中に流れ込んできた」

「それ以上の情報?」

「簪の記憶だよ。触れた瞬間、簪の持ち主の姿が見えたんだ。新雪のように真っ白な、髪の長い美しい女性が、この簪を髪に刺していた」

「何者なの?」

「確証があるわけじゃないけど、あれは生前の寒凍霊の姿だと思う」

「どうしてそう思うの?」

「口で説明出来るようなものじゃないけど、その姿にはどこか懐かしさのような感覚があって。氷鬼は寒凍霊に生み出される存在だ。つまりはそういうことなんだと思う」


 確証は無いのに確信はある。それは魁人自身にとっても奇妙な感覚だった。寒凍霊なくして氷鬼は存在し得ない。ある意味で寒凍霊とは氷鬼の母でもあるのだ。支配を受けていないながらも、やはり魁人も氷鬼であることに変わりはなかった。


「寒凍霊の生前の持ち物ということは、かなり昔の物ってことだよね。それなのに劣化が進んでいない。まるで時が止まっているみたいに」


 深雪が椿の簪を手に取る。収納されていた桐の箱共々、一切のくすみもなく、美しさと気品を堅持している。寒凍霊の伝承が語られるようになったのは江戸時代中期。生前ともなれば三百年以上は昔の品のはずだが、作られたばかりの新品だと言われても違和感はない。伝承や、実際に起きている現象の恐ろしさとは裏腹に、この椿の簪には神秘性すら感じられる。


「それだけじゃないよ。この簪の最大の特徴は温かさだ。その温かさが僕の記憶を蘇らせた」

「私は何も感じないけど。冬の蔵に保管されているものだから、むしろ冷たいぐらい」

「この温かさは、寒凍霊の影響を受けている僕だから感じとれるものなのかもしれない。だけど、寒凍霊に縁のある物が温かさを帯びているというのは、何だか意味深な気がしない? 冷気を纏う彼女にとっては真逆の概念だと思うんだ」

「確かに意味深だね。だけどそれが何を意味するのか……」


 疑問を口にしつつ、深雪はふと思いつく。簪の入った桐の箱はそもそも、さらに大きな木箱の中に入っていた。大きな木箱は相当年季が入っている様子で、こちらに神秘性は存在しないようだ。だとすれば、決して劣化しない桐の箱は単体で置かれていても良さそうなものだが、あえてこの大きな木箱に二重に収納されていた。それが意味するところとは。


「もしかしたら、巻物と古文書に何か?」


 大きな木箱には桐の箱とは別に、古い巻物と古文書が収納されている。一緒に収納されていたのなら、これらはセットで考えるべきなのかもしれない。深雪は状況を打開するための気づきを得るべく、巻物を解き、床へと広げた。

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