第23話 村を守る覚悟

「見たか氷鬼! 人間を舐めるな!」

 

 村役場へ攻撃をしかけようとしていた氷のバスに、横から大型の除雪車が突っ込んだ。流石の氷のバスも真横からの体当たりには耐えられずに派手に横転。ガラス片の代わりに大量の氷の粒を撒き散らした。事なきを得た役場の麟太郎たちは外に飛び出し、窮地を救ってくれた除雪車の元へ駆け寄った。


「石切。君だったのか」


 その正体に荒砥が驚く。除雪車の窓から顔を覗かせたのは、消防団所属の石切高成だった。一緒に行動していた真柴喜代治が犠牲となったショックが大きく、事情を説明した後は伊予札医院で休ませていたので、彼が駆けつけてくれるとは思っていなかった。


「真柴さんの思いに報いるためにも、休んでばかりはいられませんから」


 石切は大型特殊免許を持ち、除雪車の運転を心得ている。本来は車を操る森尾氷鬼への対策として村内の除雪ステーションから借りてきたものだったが、より強大な氷のバスへの対抗策としても大いに役にたった。


「氷鬼は俺が全員この除雪車で――」

「石切!」


 氷鬼に一矢報いた高揚感に声が上ずった瞬間、氷の槍が除雪車のフロントガラスを貫通し、石切の頭部に深く突き刺さった。空気が一瞬で凍り付き、視線は一様に射線上の投擲主を捉える。そこには横転した氷のバスの窓枠から這い上がってきた根来氷鬼の姿があり、投擲直後で右腕が振り下ろされていた。左腕は肘から下が欠けている。除雪車の衝突の勢いで損傷しているようだが、その瞬間にも待機中から氷の粒子が左腕に集まり、欠損ヶ所を少しずつ修復している。頭部意外への攻撃は決定打にならず、いずれ再生されてしまう。


「石切の活躍を無駄にするな!」


 一発の銃声が響き渡り、根来氷鬼の右側頭部が微かに欠ける。狩猟用ライフルで銃撃したのは猟友会会長の老齢の男性、四方よも虎吉とらきちだった。四方は現在72歳。五十年前には勇猛果敢な若者として、最前線で氷鬼と戦った戦士の一人だ。猟友会として長年獣害に対応してきた狙撃のプロフェッショナルで、若い頃に比べれば流石に劣るものの、その技量はいまだ高水準だ。視界の悪い夜間に雪が降りしきる中、的確に標的の頭部を狙えるのは村には四方ぐらいもの。安定した環境ならば今の一撃は確実に頭部を撃ち抜き、間違いなく根来氷鬼を戦闘不能に追い込んでいただろう。


「射撃で崩すぞ!」


 四方はすかさず二射目を放ち、銃弾は根来氷鬼の腹部を射抜き、衝撃で根来氷鬼はバランスを崩す。他の猟友会のメンバもー続き、ライフルで腹部や太腿を狙っていく。連続攻撃で根来氷鬼の氷の体には次々と穴が空いていき、四方が放った一発が根来氷鬼の右膝を射抜いた。その瞬間、自重で右膝が完全に粉砕され、根来氷鬼はついにバランスを崩し、そのままバスから地面へ背中から落下した。必ずしも狙いにくい頭を一撃で射抜く必要なんてない。胴体を中心に大きな的を狙い、そのうちの一発でバランスを崩せれば十分だ。


「今だ! 止めを刺せ!」


 四方が叫ぶ。動きは封じた。ここからは射撃よりも鈍器による頭部への直接攻撃が有効だ。


 真っ先に動いたのは、五十年前を経験している荒砥だった。人の形をした氷鬼を実戦でいきなり攻撃するのはそう簡単なことではない。だからこそ経験者として、故郷を守るとはこういうことだという覚悟を示さなくてはいけない。荒砥は氷のバスの衝突の混乱で誰かが手放した、家屋の解体に使う大きなハンマーを手に取り、右ひざや各部の穴の修復を試みている根来氷鬼の頭部に容赦なく振り下ろした。強烈な衝撃を受けた根来氷鬼の頭部は粉砕されて大量の氷の破片が飛び散る。弱点である頭部を潰されたことで、氷の体を維持することが出来なくなり、全身が衣服に至るまで罅割れ、氷の結晶となって消滅した。


 同時に、あれだけの質量を誇っていた氷のバスも、跡形もなく消滅していく。まるで始めからそんな物は存在していなかったようだ。残されたのは役場が破壊され、二名の職員が轢き殺されたという事実だけだ。仮に今この現場に到着した者がいたとすれば、何が起きたのかを瞬時に理解することは不可能だろう。


「……すまなかった石切」


 咄嗟に体を動かしたのは経験値や使命感だけではない。未来ある若者の死に激情が震えていた。極限状態故に、生き死には常に紙一重だが、それでも、どうして犠牲になったのが老兵の自分ではなくまだ若い石切だったのか。慚愧の念に絶えない。五十年前は、当時十三歳の自分を、大勢の人生の先輩たちが生かしてくれたというのに。


「ムネさん……氷鬼を倒せたのか?」

「分からん。五十年前は一度倒せば復活はしなかったが、それは暖火の儀が成功したからこそだ。儀式が行えない今は、時間が経てばいずれ復活するかもしれない」


 麟太郎の問いに、荒砥は渋面を浮かべるばかりだった。氷のバスという巨大な装備を持つ根来氷鬼を無力化出来たことは大きいが、状況だけ見れば、敵兵の一体を一時的に戦闘不能に追い込んだだけに過ぎない。


「麟太郎。氷鬼と戦うというのはこういうことだ。命を守るためにも、攻める時は躊躇うなよ」

「分かってるさ」

「襲ってきたのが例え、見知った相手だったとしてもだぞ」


 氷鬼と覚悟は出来ている。だが、二つ目の覚悟の問いには即答することは出来なかった。バスの運転手だった根来がバスを武器とする氷鬼として蘇ったことで、荒砥も気がついたのだろう。麟太郎の幼馴染である永士を含むバスの乗客全員も氷鬼となっている可能性があると。


「ムネさんにも、そういう経験があるのか?」

「……ああ。五十年前、仲の良かった先輩が氷鬼になっちまってな」


 沈痛な面持ちから、当時の葛藤は痛いほど伝わってきた。その姿に麟太郎は何も言えなかった。同時に荒砥の覚悟の違いも理解出来た。仲の良い友人と相対した経験がある今、荒砥は氷鬼に対する攻撃をもはや躊躇わらないだろう。例え相手が麟太郎の親友の永士だとしてもだ。両者が出会った時、自分は何を選択すべきなのか。麟太郎は直ぐには答えを出せそうになかった。


「俺は予定通り万年雪旅館に向かうよ」

「ああ。気をつけてな」


 今この瞬間にも万年雪旅館や伊予札医院も別の氷鬼の襲撃を受けているかもしれない。いつまでも悩んでばかりもいられない。今は何か行動している方が気持ちも少しは楽だった。


「……六花。永士に会ったら、お前なら何て声をかける」


 永士と最も向き合うことが出来るのは幼馴染である自分達だけだ。万が一敵対する可能性があるならばその時は……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る