第4話 伝承

 実家に戻る魁人とは役場前で別れて、永士は徒歩五分の距離にある万年雪まんねんゆき旅館へと到着した。万年雪旅館は平屋建ての大きな木造建物で、最大三十名まで利用可能な村最大の宿泊施設だ。明治時代から続く老舗旅館で、自慢の天然温泉と山の幸をふんだんに使った料理の数々が評判だ。遠方から何度も訪れるリピーターも多く、最盛期には及ばぬものの、現在も一定数の旅行客の獲得に成功していた。

 

 近年、若女将がSNSによるPR活動も積極的に行っており、漆黒の建物と、この時期に降り注ぐ真っ白な雪とのコントラストを映し出した写真は話題を呼び、万年雪旅館という名前も相まってそのエモさが再注目されている。まだ開拓の段階だが、今後SNSによるPRが功を奏すれば、新たな世代の客層の獲得にも繋がるかもしれない。


「いらっしゃい。永士くん。久しぶりだね」

「リっちゃん。しばらくお世話になります」


 旅館に到着した永士を着物姿の若女将、万年雪まんねんゆき六花りっかが笑顔で迎えてくれた。六花は現在二十六歳で、永士と麟太郎の一学年後輩にあたる。小さな村では同年代はみな兄弟同然。永士、麟太郎、六花はお馴染みの仲良し三人組だった。

 六花は一度地元を離れて県内の旅行代理店へと就職。五年間勤務した後、三年前に相巣村へと戻り、旅行代理店時代の知識を生かしながら、現在は万年雪旅館の若女将として活躍している。


「到着して直ぐに麟太郎には会ったんだけど、雪崩騒ぎでゆっくり話せなかったよ」

「大変なことになっちゃったよね。今は女将が宿泊中のお客様に状況の説明をしている。宿泊予定だったお客様への電話対応もしないと」

「僕は地元の人間で慣れてるし、リっちゃんもお客様対応に戻ってあげて。荷物も自分で持っていくから」

「ありがとう永士くん。今日は運悪くお父さんもいないから、何かと人手が足りてなくて」

「おじさん、いないの?」

「ほら、うちのお父さん村の観光協会の代表も務めてるでしょう。今日は観光推進課の沢渡さわたりさん達と一緒に村のPRイベントで青森市内に出てて。暖火の儀もあるし、夜までには戻る予定だったんだけど、あの雪崩でお父さんたちもたぶん、市内に足止めだね」

「それは大変だ。おじさん以外にも帰れない人は多そうだね」

「うん。仕事や用事で市内の方に行ってた人もけっこういると思うから」


 旅館の若女将として決してお客様に見せることのない、疲労感の滲み出た表情が思わず漏れる。幼馴染の永士の前ではついつい気を許してしまう。


「お部屋まではご案内するね。その後はお言葉に甘えて、お客様対応に戻らせてもらうおうかな」


 カウンターから鍵を取り出すと六花は、一階西の角部屋である寒菊かんぎくの間へと永士を案内した。万年雪旅館は複数人の宿泊を想定した広々とした客室が多いが、寒菊の間は一人旅のお客様や、湯治客の滞在を想定したコンパクトな一室だ。大きな客室は持て余すので、永士は事前にこの部屋を予約していた。


「それじゃあ、私はこれで。忙しなくてごめんね。状況が落ち着いたらまたゆっくり話そう」

「こっちは適当にやっておくから気にしないで。少し休んだら、久しぶりに村を見て回るよ」


 お客様対応に戻る六花を見送ると、永士はハンガーにピーコートを掛けて、座椅子に腰を下ろした。旅行バッグの中身は着替えぐらいなので、今はまだ荷物を解かなくても大丈夫だ。着替えは最小限しか持ってきていない。雪崩で滞在期間が延びる可能性が高いが、旅館で洗濯機を借りるなり、友人の麟太郎から服を借りるなり、慣れた地元での出来事なのでどうにでもなる。


「一応、記録しておくか」


 永士はビジネスバッグから、小さなノートパソコンを取り出した。個人的な興味はもちろん、この体験を今後の創作活動に生かせるではと思い、地元で開催される五十年に一度の貴重な祭事を記録としてまとめるために持参してきた。ここにきて、雪崩によって村がクローズドサークルとなる異常事態が発生している。まだ祭事の前だが、現在の状況も含めて記録に残しておくことにした。

 記録用とはいえ、ノートパソコンを持ってきおいて正解だった。現状急ぎの仕事は無いが、万年雪旅館ではWiFiも使えるし、滞在が長期化してもこちらで作業を進めることも可能だ。


 ――ひょっとしたらこれって、寒凍霊の仕業なんですかね?


 パソコンで記録用のファイルを開きながら、バスターミナルでの魁人とのやり取りを思い出す。暖火の儀の根底は、寒凍霊のもたらす災厄から村を守るための儀式である。ならばそもそも寒凍霊とは一体何なのか? 大学生グループに話したように、寒凍霊の正体とは冬の自然災害の比喩であるというのが永士の見解だ。しかしそれはあくまでも現実的な解釈であって、村の伝承には、明確な悪霊としての寒凍霊の姿が存在している。


 祖父の遺言を聞いて以来、寒凍霊や暖火の儀については独自に調査を進めてきた。祖父の葬儀後、冬芽神社の宮司である冬芽とうが純道じゅんどうとゆっくり話をする機会があったので、村で暮らしているだけでは知り得ない、伝承のより深い部分についても知ることが出来た。


 寒凍霊とは相巣村に古くから伝わる悪霊であり、最も古い記録では三百年前からその名前が登場している。その正体について言及はされていないが、女性の霊であるという説が有力だ。その根拠として、実体を持たぬ悪霊である寒凍霊は、に憑りつくことで、現世の事象へ介入することが出来るようになると言い伝えられている。寒凍霊自身が女性であり、己と相性の良い女性の肉体を求めるのではと考えられているのだ。

 

 その名残は村の女性たちの名前にも見受けられ、村で生まれた女性には冬や雪、寒さに関係した名前をつけることが一つの慣例となっている。これは、寒凍霊と似た要素を持つ名前とすることで、寒凍霊を混乱させ、憑りつかれにくくする効果があると昔から信じられてきたためだ。もちろんこれは迷信の類であるが、女性に冬や雪に関する名をつける慣習だけは今も残っており、現在でも村で生まれた女性には生まれ月に関わらず、冬や雪を連想させる名前を持つ女性が多い。


 永士の身近なところでは、雪の結晶を思わせる万年雪六花。その母親である万年雪旅館の女将、万年雪まんねんゆき牡丹ぼたんは牡丹雪を想像させる。早くに亡くなった永士の母の名前は冬美ふゆみで、祖母の名前は氷美子ひみこだった。


 村の女性に憑りつき肉体を得た寒凍霊は、吹雪や雪崩といった恐ろしい自然災害を引き起こし、村を混乱へと陥れる。そして、寒凍霊のもたらす最も恐ろしい災厄は、氷鬼こおりおにだ。


 鬼に捕まるとその場で凍って動けなくなる遊戯を思わせる名前だが、寒凍霊の行うそれは、人間を襲う氷の亡者を使役するという恐ろしいものだ。寒凍霊の魔の手にかかったものや、その冬に村で亡くなった者が氷鬼として蘇る。氷鬼は寒凍霊の尖兵として生者を襲い、多くの屍を山を築き上げ、犠牲者もまた氷鬼と化す。寒凍霊と氷鬼による蹂躙は一晩中続き、村は壊滅的な被害を受ける。これが村に伝わる伝説としての寒凍霊の姿である。


 時代の流れで過疎化が進んでいるとはいえ、村は現代でもこうして存続している。過去に雪害が続き、村が壊滅的な被害を受けたことは事実だろうが、やはり寒凍霊の正体は雪害の比喩であると考えるのが妥当だろう。きっとこれは、雪害の恐ろしさを後世にも伝えるための伝承なのだ。


「それにしても、氷鬼とは一体」


 こうして自分の知る寒凍霊の情報を再確認すると、氷鬼の存在だけが浮いているように思えた。災害の象徴としての寒凍霊や、実害である猛吹雪や雪崩の描写は理解出来る。だが蘇った死者、寒凍霊の尖兵たる氷鬼とは、一体何の象徴なのだろうか? 極限状態が見せる幻覚の類? あるいは低体温症、いわゆる凍死の象徴か? まさか本当に氷の鬼が出現し、村人を襲ったとは思えないが。


 いずれにせよ、暖火の儀が無事に成功すれば、村は寒凍霊の災厄から守られ、再び五十年の安寧が約束されるとされている。実際、今期の冬は人死にが相次ぎ、今日も雪崩によって道路が寸断された。象徴としての寒凍霊を祓うために、やはり象徴としての暖火の儀の開催は必要だろう。そうすれば不安を感じる村民の感情も少しは上向くかもしれない。


「後で祭事の会場でも見てくるか」


 一度ノートパソコンを閉じると、永士は窓の外へと視線を向けた。雪が少しだけ降っているが、害をもたらす程ではない。この様子なら暖火の儀の開催にも支障はないだろう。儀式が一段落したら、宮司の冬芽純道にも改めて話を聞いてみたいものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る