第5話 伊予札医院

「ただいま、父さん」


 同時刻。魁人は実家である伊予札医院へと帰宅していた。自宅の方には誰もいなかったので隣接する病院に顔を出すと、事務室で、父親であり病院長の伊予札いよざね克己かつみが険しい表情で電話をしているところだった。


「魁人……帰ってきたのか」

「実家なんだし、別にいつ帰ってきてもいいだろう」

「それは、そうだな」


 魁人に気付いた克己は、電話を終えると複雑そうな表情で魁人を見たが、直ぐに柔和な笑みを浮かべた。克己は現在四十九歳。村唯一の医療機関である伊予札医院の三代目として日々、村民の診療にあたっている。


「今の電話、もしかして雪崩の?」


 今日は休診のはずだが、こうして慌ただしく病院を開けているということは、雪崩の影響が考えられた。


「役場とも相談して、急病人に備えて病院を開けておくことにした。幸い今のところは雪崩による怪我人は確認されていないようだが、道路の復旧がいつになるか分からない以上、何が起きてもおかしくはないからな」


 村が陸の孤島と化した今、直ぐには外部の助けを借りることは出来ない。村には高齢者も多いし、万が一何かが起きた場合に備えて、病院を稼働させておく必要があった。


「僕も何か手伝おうか?」

「今はまだ状況が落ち着いているから大丈夫だ。高倉たかくらさんも来てくれることになっているしな」


 高倉たかくら睦月むつきは伊予札医院に勤務する看護師だ。年齢は三十二歳で、永士や麟太郎の四学年先輩にあたる。村出身なので魁人のことも小さい頃から知っており、プライベートな相談にも乗ってくれる良きお姉さんだ。


「それにしても、到着は紙一重だったな。一歩間違えれば立ち往生か、最悪直撃だったぞ」


 雪崩発生の報告を受けたのは、魁人が村に到着した後だったので心配はしなかったが、バスが遅延していたら直撃していた可能性だってある。相巣村で医師をして十年以上になるが、息子の危機に際して改めて、山の恐ろしさを実感した。


「後になってゾッとしたよ。永士さんと一緒だったから気が紛れたけど」

「永士くんも帰ってきてたのか」

「バスで一緒になった。滞在中は万年雪旅館に泊まるって」

「彼も地元思いだな。今の生活基盤は東京なのに、祭事のために帰省してくれるなんて」

「バスで聞いたんだけど、お爺さんとの約束なんだってさ。代わりに祭事を見届けるって」

「そうか。太助さんとの。太助さんは暖火の儀への参加を熱望していたからな」


 克己はかかりつけ医として太助を診ており、晩年、大病が疑われた際には大きな病院への紹介状も用意した。一度見舞いに訪れた際にも、太助は次回の暖火の儀まで自分の命は持つのかとしきり尋ねてきて、参加に対して並々ならぬ執着を持っていた。三年前に太助は亡くなり、葬儀の場でも永士からは何も聞いてはいなかったが、その意志は孫の永士に託されたということなのだろう。


「永士くんとも、滞在中に是非とも顔を合わせたいものだな」

「父さん、永士さんとは親しいの?」


 小さな村だし、村の出身者は全員顔見知りだが、克己と永士がそこまで親しいという印象はなかった。克己は十三年前、三十六歳の時に故郷である相巣村へと帰り、先代院長である父親から伊予札医院を引き継ぎ現在に至る。その時点で永士は当時十五歳。その三年後には大学に進学し村を離れている。幼い頃から永士を知っているというわけでもないので、永士と親交を感じさせる克己の発言は意外だった。


「そういえば、魁人には話したことがなかったか。永士くんの母親の冬美さんは私の一年先輩で、友人関係にあった。聡明で心優しい方でね。学生時代はよく相談に乗ってもらったりしていたよ」


 思わぬ関係性に魁人は目を丸くする。永士の母、冬美が亡くなったのは魁人が生まれるよりも十年近く昔のことで、魁人は当然面識がないが、克己の年齢を考えれば、確かに永士の親の世代と友人関係にあっても不思議ではない。


「冬美さんは二十二歳の時に永士くんを出産してね。私も幼い永士くんとは何度か面識がある。お世話になった先輩のお子さんだから、冬美さんが亡くなった後も永士くんのことは気になっていてね。病院を継ぐ前から、帰省する際には冬美さんに線香を供え、永士くんの様子も見にいくようにしていたんだ。多忙で段々と帰省する余裕が無くなって、病院の後継問題で村に戻るまでは永士くんともご無沙汰だったんだが、太助さんから事情を聞いたり、幼いなりに私の顔も覚えていたそうでね。生前の冬美さんの話を彼に聞かせたり、進学について相談に乗ったこともあったかな。血の繋がりはないが、彼に対しては親戚のおじさんのような感覚があるよ」

「父さんと永士さんにそんな繋がりが。全然知らなかった」

「ははっ、魁人はまだ小さかったからな」


 克己が魁人を連れて村に戻った当時、魁人はまだ三歳だった。六歳の頃には永士は大学進学で上京してしまったので、魁人にとって永士は、夏休みや冬休みに帰って来る年上のお兄さんといった感覚の方が強かった。


「先生。臨時で病院を解放すると聞いて馳せ参じましたよ」


 永士の話題で盛り上がっていると、関係者用の裏口から、伊予札医院の看護師である高倉睦月が姿を現した。ダウンジャケットにマフラーに手袋。耳当てのついたニット帽まで被った完全防備だ。


「休診日に呼び出してしまってすまないね、高倉さん」

「災害時ですから仕方がないですよ。伊予札医院は村を守る砦ですから」


 そう言って、睦月は心強く笑顔で頷いた。


「こんにちは、睦月さん。お久しぶりです、って程でもないか」

「お帰り魁人。冬休み以来だから、二週間ぶりぐらいかな」


 睦月は姉のような親近感で魁人を迎えた。祭事に合わせて魁人は帰ってくると思っていたので、雪崩騒ぎがなくとも、魁人の様子を見に顔は出すつもりだった。


「高倉さんも到着したし、万が一に備えて診療体制を整えるとしようか。到着したばかりだし、魁人は少し家で休んでくるといい」

「そんなに疲れてないよ。永士さんと違って僕は市内からだし」

「それなら、暖火の儀を準備中の中央広場の様子を見てきてくれないか? 儀式は予定通り執り行うそうだが、雪崩騒ぎで出先から戻れなくった人も多くて、現場は少々混乱しているようだ。深雪みゆきちゃんをフォローしてやってくれ」

「そういうことなら、早速行ってくるよ!」


 克己の提案に頷いた魁人は、脱いだコートを取りに自宅へと戻った。


「深雪ちゃんの名前が出た途端でしたね」

「まったくだ。空回りして深雪ちゃんの迷惑にならないといいが」


 魁人の素早い身のこなしを見て、睦月が微笑みを浮かべた。好きな子のこととなると、魁人は分かりやすくて可愛らしい。


「そういえば、斜森の名前が出てましたけど、彼も戻ってるんですか?」

「ああ。バスで魁人と一緒になったそうだ」

「そっか。斜森、帰ってんたんだ」


 四歳年下の後輩の名前を呟くと、睦月は着替えるために更衣室へと向かった。

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