第3話 相巣村

『次は終点。相巣村。相巣村でございます』


 永士の不安は杞憂に終わり、相巣村に到着する頃には天気が持ち直し、青空が広がっていた。この路線は相巣村が終点であり、村役場の隣にある小さな停留所にバスが停車。乗客の永士、魁人、大学生グループたちは降車の準備を始める。


「ありがとうございました」


 一番最後に降りたのは永士だった。運賃箱での支払い際、ふと運転手の顔を見る。乗車ドアは真ん中だったので、この時初めて顔を確認した。運転手は四十代後半ぐらいの瘦せ型の男性だった。この路線バスは何度も使っているが、見覚えのない運転手だった。地元を離れて十年も経てばそれも当然かと、時の流れを感じずにはいられない。


「道中ありがとうございました斜森さん。僕たちはスキー場へ向かいます」


 バスの到着予定時間に合わせたのだろう。近くには相巣山スキー場のロゴが入った白いバンが止まっていた。スキー場までは少し距離があるので、予約した大学生グループを迎えに来たのだろう。スキー場のロッジには宿泊設備も整っており、四人も滞在中はロッジに宿泊するそうだ。


「良いスキー旅行を」


 四人の大学生がスキー場のバンに乗り込むのを、永士は笑顔で見送った。彼らも暖火の儀を見にくると言っていたので、夜にはまた顔を合わせることになるだろう。


「迎えにきてたの、勢能せのうさんだったね」

「珍しいですね。普段は鶴木つるぎさんが運転してるのに」


 バンを運転していたのは相巣山スキー場のオーナー、勢能せのうさとしだった。普段スキー客の送迎は従業員の鶴木つるぎ健平けんぺいが行っているはずだが、今日は人手が足りなくてオーナー自らが出向いた、ということだろうか? 慣れない送迎に緊張しているのか、どことなく落ち着かない様子で、遠目とはいえ永士にも気づいていないようだった。


「永士さんは今日はどちらに?」

「万年雪旅館の予約を取ってある。実家はほぐしちゃったしね」

六花りっかさんも喜びますね。実際のところ、六花さんとはどうなんですか?」

「魁人くん。君ってそういうキャラだったか? どこかの誰かさんみたいな物言いだ」

「それは俺のことか?」


 不意に停留所に届いた第三者の声。その声を聞いた瞬間、永士の表情も思わず綻ぶ。


「別に、芹沢せりざわ麟太郎りんたろうなんて個人名を出した覚えはないよ。自意識過剰なんじゃないか?」

「そういうお前は相変わらずの毒舌だ。切れ味が鈍ってなくて嬉しいよ」


 隣接する村役場から姿を現したのは、永士の幼馴染で親友の芹沢麟太郎だった。黒髪短髪にガッチリとした体つきで、ネクタイを合わせた白いシャツの上からオレンジ色のダウンジャケットを羽織っている。

 永士と麟太郎はお互いに憎まれ口を叩いた直後に、がっしりと再会の握手を交わした。時々連絡を取り合っているとはいえ、こうして直接会うのは二年振りだ。それでも即座に、学生時代のような近い距離感へと戻れた。永士としては、村の看板を見た時や、バスターミナルに到着した瞬間以上に帰郷を実感した瞬間だった。


「似合わないネクタイ姿でどうした? 今日は土曜だろう」


 カジュアルな私服を好む麟太郎がネクタイ姿で村役場にいる。どうやら勤務中のようだ。


「村の大事な祭事だし、役場にも色々と仕事があるんだよ。儀式が行われる中央広場は公共の施設で、俺ら整備部の管轄だしな」

「すっかり公務員だな。貫禄が出てきた」

「そういうお前はあまり変わらないな。今や人気の作家先生だろうに」

「逆に聞くけど、どう振る舞ったそれっぽいんだ。髭でも蓄えて和装で来ればよかったかい?」

「ははっ、絶対似合わねえ」


 顎を擦る永士の動作に、麟太郎と彼につられた魁人が同時に笑った。

 この話題に時間を取られないよう、大学生たちには伝えていなかったが、永士は吹雪ふぶきりょうというペンネームで活動する小説家で、ミステリーのジャンルを中心に活躍している。そのことはもちろん、故郷の知人は把握しているので気兼ねなく話題に出来た。吹雪涼は大学在学中の二十歳でデビューし、今年で活動八年目。多数のヒット作にも恵まれ、人気作家としての地位を確立している。

 今回、故郷である相巣村の祭事、暖火の儀に参加する理由は祖父との約束はもちろんのこと、五十年に一度の儀式に対して、作家としての知的好奇心が刺激された部分も少なからずあった。


「バスが見えたから顔を出したが、まだ仕事中だから俺はそろそろ戻るわ。今日は万年雪旅館だろ? 後で寄るよ」


 そう言って麟太郎が役場に戻りかけたところ、役場にサイレンを鳴らしながら軽自動車のパトカーが近づいてくるのが見えた。麟太郎の目の前にパトカーを止めて、乗っていた警察官が窓を開ける。


「何事ですか、忍足おしたりさん」

「大変ですよ芹沢さん。たった今連絡があって、どうやら村道で雪崩が発生したらしい」


 相巣村駐在所勤務の忍足おしたり謙吾けんご巡査は焦りから冷や汗を浮かべ、言葉もやや早口だった。忍足巡査は現在二十六歳。前任者が定年退職を迎えたことで新たに赴任してきた新顔だ。初めて相巣村での冬を迎えることになったが、十二月に起きたバックカントリースキーでの死亡事故に始まり、今年に入ってからも雪下ろし中の事故や車の事故により、村内では人死にが相次いでいる。そこに追い打ちをかけるように発生した今回の雪崩だ。秋までは平和な日常が流れていたのに、冬になった途端に自然は牙を剥いた。最前線に立つ忍足巡査はまさに今、その洗礼を受けている。


「役場にも情報が届いている頃でしょう。自分は先行して現場の様子を見に行ってきます。もしも通行中の車両が巻き込まれていたら大変だ」


 忍足の言葉と前後して、村役場がにわかに騒がしくなってきた。電話も多数鳴っているようだ。混乱が始まりつつある。


「分かりました。こちらも急ぎ情報収集に努めます。対策本部も設置しないと」


 祭事の運営にあたる平和な一日のはずが一転、急遽災害対応に追われることとなった。雪崩の規模にもよるが課題は山積みだ。


「それじゃあ自分は現場に」

「了解です。後で役場からも人を送ります」


 パトカーで雪崩の現場へと向かった忍足を見送ると、麟太郎は今後の展開を憂いて天を仰いだ。


「麟太郎。大変なことになったな」

「今後の対応を考えると頭が痛いよ。村へは一本道だからな。一度雪崩が起きればここは陸の孤島だ。出ることはもちろん、村外に出かけた人達の帰宅も、今日中には難しいだろうな」


 一度何かが起きれば村は陸の孤島。到着前の永士の嫌な予感が当たってしまった。想像していたのは積雪による交通障害だったが、雪崩の発生は予想の上をいっていた。


「復旧までの時間は被害規模にもよるから何ともいえないが、しばらくは村に缶詰かもしれない。二人は予定は大丈夫か?」

「スケジュールには余裕を持ってきたから、数日滞在が伸びても僕は問題ない。その時は長い休暇だと思うことにするよ。ここでも執筆は出来るしね」

「僕は週明けの学校に間に合うか怪しいですけど、自然災害だし仕方ないですね。実家で寝泊まりできるだけマシだと思うことにしますよ」


 厄介な状況になったことは間違いないが、雪国出身とあって永士と魁人の受け止めは冷静だった。過去にも雪崩で道路が寸断されたことはあったし、冬場の山村の宿命と割り切るしかない。


「村に閉じ込められてはしまったが、二人が無事だったのは不幸中の幸いだったよ。忍足さんも言っていたが、もしも通行中に巻き込まれていたら洒落にならん」

「確かに、さっき通ってきた道が雪崩に巻き込まれていると思ったらゾッとするね」


 話の流れでバスターミナルに停まっていたバスに視線を向けると、運転席で運転手が何やらマニュアルのようなものを確認していた。すでに雪崩の一報が届き、今後の対応を確認しているのかもれない。当然路線バスも市内に戻れないので、道が復旧するまではバス共々、運転手も村で足止めをくらうことになるだろう。


「そういうわけで、俺は仕事に戻るわ。悪いなバタバタしちまって」

「こんな状況だし仕方がないさ。何か僕にも出来ることがあったらいつでも言ってくれ」

「気持ちだけ受け取っておくよ。長旅で疲れたろうしとりあえず休め。状況が落ち着いたらまた後で連絡する」


 永士の肩に触れると、麟太郎は雪崩対応のために役場へと戻っていった。


「雪崩か。今期は本当に良くないことが続くな。ひょっとしたらこれって、寒凍霊の仕業なんですかね?」


 魁人は神妙な面持ちで雪崩が起きた方角を見据える。雪下ろし中の事故。車のスリップ事故。雪崩。それらは村の歴史でこれまでにも何度か起きていることではあるが、今期の冬はそれが多発している。五十年に一度の祭事の時期も相まって、どうしたって村の言い伝えである寒凍霊の存在が頭を過る。


「どうだろうね。嫌な感じがするのは間違いないけど」


 ミステリー作家としての性で、現在の状況に永士はクローズドサークルを想像せずにはいられなかった。まさかフィクションのように、後々恐ろしい事件が起きるとは思わないが、何かが起きても直ぐに外部からの助けを呼ぶことが出来ない状況なのは事実だ。


「災厄を祓う暖火の儀か」


 雪崩発生の混乱で参加者は少ないかもしれないが、本来は村の冬芽とうが神社の宮司が一人で執り行う儀式だ。開催自体は問題ないだろう。むしろ雪崩という新たな災厄が発生した今だからこそ、儀式の開催が切望されるような気がした。


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