第2話 寒凍霊

 定刻となり、相巣村方面行きのバスが出発する。ここで知り合ったのも何かの縁と、五人は後列の座席にまとまっていた。


「そうですか。皆さんはスキー旅行で相巣村に」


 自然と打ち解け合い、簡単な自己紹介も済ませた。四人は東京都内からスキー旅行に着た大学生のグループで、メイクの濃いお団子頭の女性が鳥海とりうみ風花ふうか。チェスターコートの男性が番井つがい信彦のぶひこ。スタジャンを着た金髪の男性が権藤ごんどう紘一こういち。ピンクベージュのダウンジャケットの女性がたき美鈴みすず


 相巣村の主要産業は観光で、天然温泉が自慢の宿、万年雪まんねんゆき旅館と、安定して豊富な雪量を誇る相巣山スキー場の二つが観光の中心だ。安全面から冬期は閉鎖中だが、村の北部にある蝋雪湖ろうせつこという名前の湖も絶景スポットとして、かつては人気を博していた。


 ――こうして、若い人たちが観光にしに来てくれるのはありがたい。


 言葉には出さなかったが、永士は内心そう感じていた。

 何年にも渡り相巣村の観光客数は下火で、かつての賑わいは見る影もない。

 相巣村は最盛期にはスキー客を中心に大きな賑わいを見せていた。相巣あいのすという名前が愛の巣を連想させるという理由で、新婚旅行先としても絶大な人気を誇ったそうだが、時代の流れには勝てず、近年は急速に過疎化が進んでいている。アクセスの悪さも災いし、現在はゆっくりとスキーや温泉を楽しみたい方向けの、穴場スポット的な立ち位置となっている。大学生たちもそこに注目したのだろう。


「そういう斜森さんも観光ですか?」


 永士の荷物のボストンバッグを見て信彦がたずねる。都会的な印象も相まって、永士も自分たちと同じ観光客だと思ったようだ。


「僕は元々、相巣村の出身です。普段は東京で生活しているんですが、今年は特別な祭事もあるので久しぶりに帰郷を」

「地域のお祭りのようなものですか?」

「へー、知らなかった。お祭りなら後でみんなで見に行こうよ!」


 風花は興味津々な様子で、永士の言葉を待たずに信彦の質問に言葉を被せた。暖火の儀は相巣村の特有の土着的な儀式で、地元に縁のある人間でもなければその名は知らない。ホームページや旅行雑誌で紹介されるような種類の祭事でもないので、都内から来た観光客が知らないのも当然だった。


「今夜行われる暖火の儀は、賑やかなお祭りというよりも、儀式的な意味合いが強い行事ですから、観光目的だと物足りないかもしれせん。村の中心にたくさん明かりを灯し、村の安寧のために、宮司が一晩をかけて災厄を祓う。内容はそんな感じらしいです」

「らしいって。斜森さんもご覧になったことがないんですか?」

「暖火の儀が行われるのは五十年に一度なんです。僕はもちろん今回が初めてですし、親世代でもまだ幼く、当時の記憶は曖昧でしょう。はっきりと前回の暖火の儀を覚えているのは、もっと上の世代だけでしょうね」

「五十年に一度とは貴重ですね。尚更興味が出てきましたよ」


 信彦の言葉に友人たちも追随して頷いている。面白いかどうかはさておき、旅先でたまたま珍しい行事が見れるとなれば、テンションが上がるのも無理はない。


「僕たちも見てみたいな。関係者以外参加禁止だったりしますか?」

「特に制限は設けられていないはずですから、大丈夫だと思いますよ。五十年前なんて、もっと大勢の観光客が村に滞在してたはずですし」

「それは良かった。よそ者お断りだったらどうしようかと」

「山村と聞くと閉鎖的なイメージかもしれませんが、観光で成り立っている土地ですから住民も割とオープンですよ。祭事の際はご一緒しましょう」

「ありがとうございます。こうして到着前に斜森さんと知り合えてよかった」

「いえいえ、こちらこそ」


 これは謙遜ではなく、本心だった。故郷までの長い道のりを一人静かに過ごすと覚悟していたので、こうして旅行客と談笑出来るのは楽しい。


「斜森さん。儀式で災厄を祓うって言ってたけど、災厄って何?」


 質問してきたのは風花だった。人を見かけで判断してはいけないが、失礼ながら派手な印象の風花が、地域の伝統行事に興味を示したのが永士には意外だった。


「伝説というか怪談というか。寒凍霊かんとうりょうという悪霊が五十年に一度の周期で村に悪さをするという言い伝えがあって、それを防ぐために暖火の儀で村を守る。その五十年に一度の周期にあたるのが今日なんです」

「その、カントウリョウだっけ? は実在したの?」

「あくまでも私見ですが、寒凍霊の正体というのは、寒波や雪害といった自然の驚異の比喩なのではと考えています。近年は異常気象続きでその限りではなくなってしまったけど、古から、山深いあの地域で最も恐ろしい災害は冬に起きる雪害だった。その脅威を忘れないための儀式なのかもしれませんね」

「凄く説得力ある。斜森さんってもしかして学者か何か?」

「残念ながら学者ではないです。何かを調べたり考えたりするのは嫌いじゃないけれど」


 正体を明かすつもりはなかったので、ここは適当に受け流す。

 ほぼ同時にバス停でバスが停車し、キャメルのダッフルコートを着た高校生の少年が一人乗車してきた。座る席を吟味する少年と永士の視線が重なり、お互いに「あっ」と驚いた声を上げた。


魁人かいとくんじゃないか。久しぶり」

「ご無沙汰してます、永士さん」


 ダッフルコートの少年は人懐っこそうな笑顔を浮かべて、永士の一つ前の席に座った。少年の名前は伊予札いよざね魁人かいと。現在は高校一年生の十六歳で、実家は村唯一の医療機関である伊予札医院だ。小さな村なので、若い世代はみな仲が良い。十二歳年下の魁人は永士にとっては弟のような存在だ。


「斜森さんのお知り合いですか?」

「地元の後輩です。彼も相巣村の住人ですよ」


 双方と関わりのある永士が、魁人と大学生たちとをお互いに簡単に紹介した。人見知りなわけではないが、都内から観光に着た大学生グループは珍しいのか、魁人はやや緊張している様子だ。そんな魁人と、帰郷に際し地元の知人とゆっくり話したいだろうという永士に配慮し、大学生たちは自分達だけで会話を始めた。


「魁人くんは確か今、下宿だっけ?」

「はい。今日も下宿先から。本当は昨日の内に帰りたかったけど、学校終わりだとバスが無くて。父さんは帰ってこなくてもいいって言ってたけど、やっぱり暖火の儀が気になるじゃないですか」


 相巣村には高校がないので、必然的に村外の高校に通学することとなる。学生時代の永士や友人たちは村から車で一時間程の距離の高校に通っていたが、現在魁人が通っている青森市内の進学校まではバスで片道二時間以上と遠い。そのため魁人は高校入学を機に村を離れて、現在は市内の下宿先から高校に通っている。


「背が伸びたね。誰だか分からなかった」

「この二年で十五センチ伸びましたから。それでもまだ永士さんに届きそうにないのが悔しいな」


 永士が最後に魁人と会ったのは二年前で、当時は十四歳だった。成長期の二年の変化は大きく、小柄な印象だった魁人が百七十二センチまで成長していた。一瞬、魁人だと気づくが遅れたのもそのためだ。


「最近、村の様子はどう」

「故郷にあまりこういうことは言いたくないけど、相変わらず過疎ってますよ……今期の冬は良くないことも続いてますし」

「……何かあったの?」


 魁人の声は後半になるにつれて小さくなっていった。村内の暗い話題を聞かせて大学生たちの旅行に水を差したくないという、彼なりの配慮だ。それを察して永士も小声で聞き返す。


「この冬は事故死が多くて。先月は県外から着たスキー客が雪崩に巻き込まれて亡くなりました」


 魁人はさらに小声になる。間違いなくスキー客に聞かせる話題ではない。


「スキー場で? 場内のコースで雪崩は起きないはずだけど」

「それがどうやら、バックカントリースキー目当てで禁止区域に侵入したみたいで。そこで運悪く雪崩に」

「なるほど、バックカントリーで。気の毒には思うけど、自然を甘く見過ぎということか」


 整備されていないそのままの自然を滑るバックカントリースキー。剥き出しの樹木との接触や雪崩の発生など、多くの危険が存在する。バックカントリースキーを楽しむことは法律には触れないが、整備された管理区域外の出来事なので、何が起きても自己責任だ。


「今年に入ってからも、雪下ろし中の事故で閑林かんばやしさんが。車のスリップ事故で森尾もりおさんが亡くなって。流石に人死にが続きすぎだって、どことなく雰囲気が暗いですね」

「……そうか。閑林さんと森尾さんが」


 親交が深かったわけではないが、小さな村なのでその二人も存じ上げている。七十八歳の閑林かんばやし道夫みちおと六十九歳の森尾もりお匡吉ただよし。雪国である以上、雪下ろし中の事故や雪道での事故は身近な問題だ。人口千人に満たない小さな村で、立て続けに住民が二人。村外のスキー客も含めれば、今期は三人も雪の事故で亡くなっていることになる。病院の息子である魁人は特にそれをひしひしと感じているだろう。


「こんな時期なので、暖火の儀開催の機運はより高まっている気がする。僕はあまり迷信深い方じゃないけど、儀式をきっかけに空気が変わってくれたらいいなと思ってます」

「同感だよ」


 図らずも、魁人が乗車する前に大学生たちに話した私見をなぞるようだった。災厄をもたらす寒凍霊とは自然の驚異そのもの。だとすれば、一連の雪害こそが寒凍霊と言い換えることも出来るかもしれない。暖火。文字通り暖を取るための火を焚き、この冬を乗り越えなくてはいけない。


「懐かしい。故郷の冬だ」


 市内を走っている時点で世界は白に支配されていたが、山に近づくにつれてその風景は一層、皚皚がいがいたる様相を呈していく。故郷の冬はこんなにも厳しかったのだなと、永士は郷愁を感じずにはいられなかった。


 市内を走行している時は快晴だったが、山を登るにつれて空は雪模様へと変わり、積雪量も見る見る変わっていく。大学生たちは都内ではお目にかかる機会のない、除雪車が削り、雪の壁のようになった積雪を興味深げに見つめていた。地元民の魁人は何が面白いのだろうと不思議そうだったが、都内在住の永士には大学生たちの気持ちも理解出来た。見慣れない物は誰だって珍しい。自分だって初めて上京した時は都市のスケールに圧倒されたのだから、その逆もまた然りだ。


「もうすぐですね」


 魁人が窓の外へ視線を向けると、相巣村と記された看板が見えた。村の本体である居住区もっと先で、まだしばらくは山道が続くが、地域の区分としてはここが相巣村の入口ということになる。


「今日はよく降るな」


 相巣村に差し掛かったあたりから、降雪量はさらに増している。大学生たちはやはりその光景を楽しんでいたが、魁人と、今度は永士もやや表情を曇らせている。魁人は実家で一泊、永士は村内の旅館で二泊する予定だ。今はまだ交通機関の乱れはないが、このまま降雪量が増え続けたら帰りのバスに影響を及ぼすかもしれない。村までは一本道なので、一度道路状況が悪化すれば相巣村は陸の孤島だ。

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