第30話 伊予札魁人

「魁人……私は……」


 実家である伊予札医院へと戻った魁人は、自らの身に起きた出来事の全てを、父親である克己に包み隠さず伝えた。息子を襲った残酷な運命に、克己は直ぐには二の句を継げないでいた。暖火な儀だからといって無理に帰省しなくてもいいと事前に魁人には伝えていたが、詳細を語り聞かせるわけにもいかず、説明が曖昧になってしまい、結果的に魁人は自主的に帰省をした。こんなことになるならもっと強く、帰るなと伝えるべきだったと、今になって激しく後悔する。


 相巣村の中核を担う伊予札医院の人間として、五十年前の出来事を情報としては把握しているが、四十九歳の克己は実際に過去の災厄を経験しているわけではない。暖火の儀が滞りなく行われれば問題はないし、今回は長年に渡り、灰のお守りによる事前の対策も講じてきた。今回は大丈夫だと、心のどこかに油断があったのかもしれない。


「自分を責めないで父さん。村に帰省することを決めたのは僕だし、あの雪崩を予期することは誰にも出来なかった」


 院長室に同席した深雪も沈痛な面持ちで伊予札親子の姿を見つめている。時計を半日戻して、魁人に帰省しないように伝えることは出来ないのだろうか。そんなイフを想像せずにはいられなかった。


「亡くなった母さんに……私は何と伝えたら……」

「だったら、僕は故郷を守るために、最後まで勇敢に戦ったと伝えてくれないか」


 項垂れる父の肩に優しく触れると、魁人は座っていたソファーから立ち上がり、ドアの方へ体を向けた。


「……名残惜しいけど、そろそろ行かなくちゃ」

「魁人。どこへ行くんだ?」

「分かるんだ。氷鬼が一体こっちに近づいてくる」

「これ以上、お前が苦難を背負う必要なんてない。ここにいろ」


 部屋を出ようとする魁人の手を克己が取った。魁人の手は恐ろしい程冷たかったが、父の愛情はそんなことでは決して怯まなかった。


「父さんや深雪ちゃんの身に何かあれば、僕はそれが一番苦しいよ」

「ならばせめて私も一緒に戦う」

「それも駄目だ。父さんは医者だろう。父さんが倒れれば、救える命までは救えなくなる」

「魁人……」


 今はただ一人の父親でありたいと願ったが、実の息子が父に医者としての責務を忘れるなと突きつけてきた。まだ高校生だが、魁人も確かに伊予札の一族としての覚悟を有していた。息子の覚悟を前に、克己はその手を離した。


「……最後まで生還を諦めるな。幸運を祈る」

「ありがとう。父さん」


 克己は先に院長室を出て、患者の容体を確認するために入院病棟へと向かう。最後まで医師としての戦いを続ける覚悟を決めた。これが息子との今生の別れだとも思わない。思わない。例えそれが奇跡であろうとも、息子との再会を願い続ける。


「僕は行くよ。深雪ちゃんは父さんや睦月さんを手伝ってあげて」

「私もカイちゃんと一緒に戦うよ。私は冬芽神社の娘だよ。その覚悟は出来ている」


 深雪の瞳には梃子でも動かぬという確固たる意志が感じられた。深雪は、最後まで魁人と共にいる覚悟を決めていた。それが戦場だというのなら、武器を取って最後まで一緒に戦い抜く。


「分かったよ。一緒に行こう」


 深雪には危険を冒してほしくはないが、説得出来る言葉を魁人は持ち合わせてはいなかった。二人は肩を並べて、最後の時間を惜しむように一歩ずつ、外へと続く裏口へと向かっていく。


「外の様子を確認してくる。少しここで待ってて」

「分かった」


 魁人が先行して外に出て、一度扉を閉めた。次の瞬間。


「ごめんよ、深雪ちゃん」


 突然裏口の扉が、内側からでも分かるぐらいカチコチに凍り付いてしまった。深雪が何度も扉を開けようとするがビクともしない。魁人が氷鬼の能力を使って、外から扉を凍らせたのは明らかだった。


「カイちゃん! どういうことよ!」

「深雪ちゃんには危険な目にあってほしくない。騙すような真似をしてごめんね」

「お願い。私も一緒に」

「言っただろう。父さんや深雪ちゃんの身に何かあれば、僕はそれが一番苦しいんだ。氷鬼は僕が絶対に病院には近づけさせないから」

「そんなのってないよ。最後まで一緒にいさせてよ……」

「大好きだよ。深雪ちゃん」


 その言葉を最後に、魁人の気配は扉の向こう側から消えた。何度思いを叫ぼうとも、扉を強く叩こうとも、魁人は言葉を返してはくれない。


「あなたでしたか」


 伊予札医院を背に庇い、魁人は一体の氷鬼と相対していた。氷鬼は相巣村スキー場のオーナー、勢能聡の姿をしている。彼はロッジを飲み込む雪崩によって命を落としたのだろう。屋内を想起させる、タートルネックのセーターにスラックスという軽装だ。幸い、他の氷鬼の姿は見えない。公民館や万年雪旅館の攻略で手一杯なのだろう。一対一なら魁人にも勝ち筋はある。


「永士さん。僕は僕で、やれるだけやってみます」


 永士は全てを終わらせると約束してくれた。そうすれば自分を含め、全ての氷鬼が消滅するはずだ。倒す必要はない。最後まで時間を稼ぎ、伊予札医院を守り切ることが出来ればそれは魁人にとっての勝利だ。


「ここは通さないぞ。氷鬼」


 勢能氷鬼が投擲した氷の礫に対抗すべく、魁人は真四角の氷の盾を生成して防御を固めた。


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