第29話 襲来

 村外から訪れた観光客やスキーヤーを避難させている万年雪旅館でも、激しい攻防が繰り広げられていた。その中核を担うのは若く体力がある麟太郎と、普段は土産物店を経営し、猟友会所属の猟師でもある六十歳の男性、黒部くろべ幸篤ゆきあつ。数名の役場の職員と消防団の若手。そしてもう一人、心強い味方が加わっていた。


「芹沢さん。危ない!」

「ありがとうございます。丹羽たんばさん」


 目の前の氷鬼に集中していた麟太郎の側頭部目掛けて飛来した氷の礫を、口髭と黒いダウンジャケットが印象的な男性が剣先スコップで叩き落とした。名前は丹羽たんば力也りきや。三十五歳。村の住人ではなく、たまたま県外からスキー旅行に訪れており、万年雪旅館に宿泊中だった。万年雪旅館に避難した観光客たちには、女将の万年雪牡丹から現在の状況が包み隠さず明かされた。あまりにも現実離れした話に当初は非難の声も上がっていたが、実際に氷鬼による万年雪旅館への襲撃が始まると、異変はいよいよ実感となり、観光客たちも自らの置かれた状況を理解した。


 旅館の従業員の指示で観光客が館内で一番広い宴会場へと避難していく中、丹羽は自ら率先して麟太郎たちへの協力を申し出てくれた。人手が多いに越したことはない。加えて丹羽は元陸上自衛官という肩書きを持ち、大柄で肉体的にも強靱。まさに即戦力だった


「すみませんね。観光客の方にこんな」

「自分だって元自衛官だ。目の前の危機を見過ごせませんよ」


 正義感はもちろんのこと、時が過ぎ去るのを静かに待つのは丹羽の性に会わなかった。戦闘開始前に軽く氷鬼の特徴についてレクチャーを受けたが、氷鬼は圧倒的な戦闘能力に加え、一度撃破しても時間が経てば復活し再び襲ってくるという。事実上無限に出現する相手に、素人が大した装備もなく持ち堪えるのは難しい。例え天望がなかったとしても、最後の瞬間まで運命に抗っていようと丹羽は覚悟を決めていた。


「……悪く思うなよ」


 麟太郎は悔しそうに歯噛みしたが、氷鬼目掛けて振るった剣先スコップに込める力だけは決して緩めなかった。剣先スコップの一撃で氷鬼の顔面が崩壊し、限界を迎えた氷の体は消滅していく。倒した氷鬼は永士と同じバスで相巣村に到着した大学生グループの一人、権藤紘一の姿を象っていた。丹羽が応戦している氷鬼は番井信彦。先程、土産物店の黒部が狩猟用ライフルで撃ち抜いた氷鬼は瀧美鈴の姿をしていた。


 観光目的で村を訪れてくれた若者が悲劇に巻き込まれてしまったことを、麟太郎は村役場の人間として大変申し訳なく思っていた。そんな彼らの姿をした存在を攻撃しなければいけないことに胸が痛む。だが、ここで自分がやらなければ、今度は幼馴染の六花や、万年雪旅館に避難している観光客たちが犠牲になる。村役場の同僚や、消防団の石切が無残に殺害される光景を目撃した。そして親友の永士をスキー場に置き去りしにしてしまった。もうこれ以上、誰かが犠牲になるのは嫌だ。戦う覚悟を叔父の荒砥が背中で語ってくれた。守るために武器を振るうことを、麟太郎はもう躊躇わらない。


「くそっ。使い過ぎたか」


 権藤氷鬼を撃破した直後、麟太郎の得物の剣先スコップの柄が折れてしまった。柄は木製なので、度重なる戦闘で耐久の限界を迎えてしまったようだ。


「麟太郎くん。予備のスコップを持ってきたよ!」


 旅館の物置から持ってきた予備の金属スコップを抱えて六花が走ってきた。短時間に氷鬼を二体撃破した直後とはいえ、戦況はまだまだ予断を許さない。旅館の外に足を踏み入れるだけで大きな危険が伴う。


「六花。危ないから中にいろ」

「私は旅館の若女将だもの。お客様の安全のためにも、何かしなくちゃ。戦うことは出来ないけど、せめてこれぐらいはさせて」


 氷鬼に組み付かれれば即死だ。そのため戦闘でも、鈍器で一撃で氷鬼の頭部を破壊するだけの力が求められる。六花の細腕では氷鬼を倒すことは出来ないが、自分なりの戦い方としてせめて前線のサポートしようと、六花も戦場に関わる覚悟を決めていた。


「覚悟は伝わった。だけど、自分の安全を第一に考え――」

「……麟太郎くん。この音って」


 麟太郎が六花から新しいスコップを受け取った直後。不穏な走行音が木霊した。


「あれは……くそっ! こっちに来たのか」


 外灯に照らされたのは、森尾氷鬼が運転する氷の軽自動車だった。公民館の攻撃には根来氷鬼操る大型バスが投入されている。用途が被り、破壊力で劣る森尾氷鬼と氷の軽自動車が別の施設の攻撃に用いられるのは必然だった。コンクリート造りの役場や公民館と異なり万年雪旅館は歴史ある木造建築。氷の軽自動車の衝突は驚異的だ。


「芹沢くん。六花さん!」


 森尾氷鬼の襲撃に気付いた黒部がライフルで射撃しフロントガラスを撃ち抜いたが、森尾氷鬼は頭部を射抜くことは出来ず、左肩を抉った。黒部も射撃の腕は決して悪くはないのだが、最強のスナイパーである猟友会会長の四方には流石に劣る。咄嗟の襲撃に対する焦りもあり、一撃で決めきれなかった。二射目の装填を急ぐが、すでに氷の軽自動車は麟太郎の目前まで迫っているが、回避すれば万年雪旅館の入口を突破される。麟太郎はまだその事実を知らないが、奇しくも叔父の荒砥が命を落としたのは似たような状況に陥っていた。


「悪いな六花」

「麟太郎君!」


 麟太郎は六花が巻き込まれないように咄嗟に六花を横に突き飛ばし、自身はその場に留まった。氷で出来ているとはいえ相手は軽自動車だ。最悪、自分がクッションになれば万年雪旅館を突破されることは防げるかもしれない。もちろん麟太郎自身も自身の生還を諦めてはいない。黒部の銃撃でフロントガラスはひび割れている。接触間際に一か八か、ガラスごと頭部をスコップで貫ければあるいは。車も氷鬼の一部。本体を撃破出来れば、致命傷を負う前に車を消滅させることが出来るかもしれない。


「流石にそれは無茶が過ぎるよ、麟太郎」


 麟太郎と接触する直前、氷の軽自動車と森尾氷鬼が消滅。それらを構成していた小さな氷の粒だけが、麟太郎に軽く打ちつけた。一瞬の出来事だったが、麟太郎はその一部始終を目撃していた。どこからともなく現れ氷の軽自動車の天井に着地した永士が、落下の勢いを乗せて、氷の槍で屋根ごと森尾氷鬼の脳天を貫いたのだ。霧散した氷の粒が晴れると、その中から永士が姿を現す。


「永士。無事だったのか?」

「永士くん。永士くんなの?」


 立ち上がった六花も加わり、二人は永士の元へと駆け寄った。


「……すまない永士。俺はお前を置いてスキー場から」


 そのことに、麟太郎はずっと自責の念を感じていた。もう謝ることも出来ないと思っていた。だからこそまたこうやって再会出来たことが嬉しくて仕方がない。不覚にも男泣きしてしまった。


「謝らないでくれ。君は最後まで僕の身を案じてくれたじゃないか。それに、感情論を抜きにしてもあの時、麟太郎を逃がしたことは正解だった」

「その手。お前はやはりもう」


 直前まで氷の槍を生成していた永士の右手はまだ凍り付いてるが、本人はそのことにダメージを感じている様子はない。スキー場での絶望的な状況から、とても無事に生還出来るとは思えない。永士がすでに氷鬼として覚醒しているは明らかだ。だが、意志の疎通が可能で、何よりも親友の窮地を救ってくれた。幼馴染二人の目には、今目の前にいるのが氷鬼ではなく、斜森永士本人であることは明らかだった。


「ああ、今の僕は人知を超えているようだ。だけど麟太郎、君が気に病む必要はない。こうなったきっかけはスキー場じゃない。どうやら僕は村に到着した時点で一度死んでいたようだ」

「そんな……」


 六花と麟太郎もある程度覚悟はしていたが、それでも本人から告げられた言葉には動揺を隠しきれず、大きく目を見開いている。


「……雪崩でバスごとか?」

「ああ。スキー場で全てを思い出したよ。詳細を説明している時間は無いが、僕は寒凍霊の支配を受けていない。全てを終わらせるためにここに来た」

「全てを終わらせるって――」

「お前は……うああああああ――」


 麟太郎の疑問は、猟友会の黒部の断末魔によって遮られた。



「黒部さん!」


 麟太郎が慌てて視線を向けると、黒部はライフルを構えた体勢のまま、全身が氷像のように凍り付いていた。直前まで体温が存在していたとは思えない。初めから氷のオブジェとしてそこに存在していたかのようだ。オブジェの製作者はその新雪のような白い指で、凍り付いたライフルに触れていた。


「危ないから下がっているんだ二人とも。彼女が寒凍霊だ」


 寒凍霊は村で生まれた女性に憑りつき、現世へと介入を始める。

 たった今、黒部を凍結させて殺害したメイクの濃いお団子頭の女性は、永士と同じバスで相巣村までやってきた大学生グループの一人、鳥海風花だった。

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