第28話 血戦

 隣接する村役場が氷のバスの攻撃で半壊し、災害対策本部は隣接する公民館へと機能を移し、氷鬼の襲撃に対する防衛戦を展開していた。公民館は避難所として解放され、現在村の中で最も多くの人が集まっている施設だ。それは同時に、襲撃する寒凍霊側にとっても恰好の標的ということになる。


「奴らを公民館に近づかせるな。一体でも侵入すれば瞬く間に全滅だぞ!」


 猟友会の四方が氷鬼の膝を撃ち抜き転倒させる。そこをすかさず、土木維持課課長の角と、警察官の忍足が頭部をスコップで滅多打ちにした。頭部を潰された氷鬼の体は消滅していく。氷鬼は、スキー場の従業員である鶴木健平の姿をしていた。


「鶴木の出現は二度目か。流石に辟易としてくるな」

「この騒動、どう考えても駐在所の一警官の手には余りますよ」

「赴任先で騒動に巻き込まれた君には同情するが、心境は我々も似たり寄ったりだよ。これは公務員の災害対策の域を完全に超えている。だが、やるしかないんだ」

「……そうですね。警察官を続けられるか分かりませんけど、それが大勢を守り抜いた結果なら、自分に胸を張れる気がします」


 角と忍足は背中合わせに息を切らせる。二人だけではない。戦闘に参加する誰もが著しく体力を消耗していた。直前に迎撃した鶴木氷鬼の頭部を潰したのはすでに二度目だ。戦闘が長期化するにつれ、同個体の氷鬼が復活し、再び襲い掛かってくる場面も増えてきた。こちらは体力も弾丸を有限だが、復活に時間がかかるとはいえ、氷鬼の戦力は枯渇を知らない。さらには氷鬼に殺害された人間もまた氷鬼として蘇り、戦列に加わる。続々と感染者が増えるゾンビパニックのような極限状態だ。


 氷のバスという強力な装備を持つ根来氷鬼がまだ再生していないがせめてもの救いだった。すでに撃破からかなりの時間が経過している。根来氷鬼よりも後に撃破した個体もすでに一部復活しているが、根来氷鬼が復活する気配は今のところない。大きな氷のバスを生成するために、より多くの時間を必要としているのだろう。だが、いずれは確実に復活する。


「……許してくれ。帯野くん」


 災害対策本部長の韮沢も自ら剣先スコップを手に取り、氷鬼となって襲い掛かってきた管財課職員の帯野光輝の頭部を粉砕する。氷のバスで殺害された帯野、背山の職員二名も氷鬼化の条件を満たしていた。しかし、この場にいるのはあくまでも姿を象った氷の人形に過ぎない。二人の遺体は今も半壊した村役場の中に存在している。あまりにも異質な状況だ。


「使用出来そうな車両は?」

「残っていませんよ! ……氷鬼も学習し、確実にこちらの手を潰している!」


 韮沢の問いに、遠くから走ってくる観光協会職員の青年、新農しんのうつよしが絶望した様子で声を張り上げた。氷鬼に対する武器として除雪車やダンプトラックも配備していたが、氷鬼も経験値を高めており、運転席や駆動系といった急所を確実に攻撃し、走行不能を狙ってくる。また、周到な氷鬼は職員の自家用車なども前もってタイヤ等を破壊しており、周辺にはもう使用出来そうな車両は残っていなかった。


「もうおしまいだ。このままじゃ俺――」

「新農くん!」


 突然、新農が背後から胸部を巨大な氷の槍で貫かれ、体が浮き上がった。下手人は槍ごと新農の遺体をぞんざいに投げ捨てる。


「背山。今度は君か……」


 新農を殺害したのは、帯野と同時に氷のバスで殺害された、民生部環境衛生課の背山和倫の姿をした氷鬼だった。小さな村役場だ。生前の帯野や背山を含め、職員全員が顔見知り。相手は氷の人形とはいえ、どうして見知った顔を潰さねばならないのか。五十年前を知る世代の一人とはいえ、当時の韮沢はまだ八歳で戦闘には参加していない。覚悟は決めていたが、それでも実戦の中で心は確実にすり減っていく。


「それでも私は、災害対策本部長として退くわけにはいかない」


 韮沢は猟友会の猟師と連携し、果敢に背山氷鬼を迎えうった。


「ここは通さんぞ!」


 五十年前。十四歳にして最前線で戦い抜いた荒砥の覚悟は一線を画し、消防斧を得物に確実に氷鬼の頭部を破壊していく。齢六十四と決して若くはないが、五十年目の今年も激戦になること想定し、最前線で戦うために体は鍛え上げてきた。経験値の差もあるが、自分よりも若い世代が大半にも関わらず、荒砥は戦場の中でも息一つ乱してはいなかった。


「……真柴。そうか、最後は車を捨ててくれたのか」


 次に対峙した氷鬼は、消防団所属の真柴喜代治の姿をしていた。真柴は森尾氷鬼の襲撃を受け、石切を逃がして自らは乗っていた車で突撃。以降の消息は不明だった。直前の状況から、真柴も氷の車を装備した氷鬼と化す可能性があったが、出現した真柴氷鬼は車を伴っていない。恐らく最後は車を乗り捨てるなりして、体一つで息絶えたのだろう。車を運転中に事故で亡くなった森尾が、車ごと氷鬼となった姿を見ての咄嗟の判断だったのだろう。自身も氷鬼になる可能性があるのなら、せめてそれがより少ない脅威であるように。それは真柴の最後の献身だったのかもしれない。


「せめて一撃で送ってやる」


 掴みかかってきた真柴氷鬼の攻撃を横に跳んで回避すると、荒砥はカウンターで真柴氷鬼の首に強烈に消防斧を叩きつけた。確かな手応えを感じた次の瞬間。


「大型車。バスの運転手か?」


 大型車らしきシルエットが正面から迫る。それは直ぐに駐車場のライトに照らされその巨体を晒した。


「石切。次はお前か……」


 荒砥に近づいてくるのは、石切高成の姿をした氷鬼が操縦する大型の除雪車だった。石切は除雪車の操縦して氷のバスを横転させた直後に、根来氷鬼によって殺害された。除雪車を装備して氷鬼化する条件を確かに満たしていた。


 除雪車は荒砥を轢き殺そうと真っ直ぐ向かってくるが、荒砥が背にしているは公民館の入口だ。このままでは村役場の二の舞だ。荒砥を轢き殺すのが目的なら、公民館から離れることで石切氷鬼の注意を引けるかもしれない。荒砥は咄嗟に回避を選択したが。


「足が動かない……」


 荒砥は足と地面が同化しているような、嫌な安定感を覚えた。視線を下ろすと、まだ氷の体が完全に消滅していなかった真柴氷鬼が荒砥の足に縋りつき、自らの体ごと荒砥の足と地面を凍り付かせていた。よく見ると真柴氷鬼の首は完全には両断されておらず、首の皮一枚ならぬ薄氷一枚で繋がっていた。見知った消防団の仲間の顔に無意識に力が緩んでしまったのか、鬼神の如き活躍が災いし、酷使した斧の刃が傷んでいたのか。あるいはその両方か。真柴氷鬼を確実に倒せなかったことが致命的な隙となった。身動きが取れぬまま、石切氷鬼の操縦する除雪車は荒砥と、その背後の公民館入口の目前まで迫っている。


「くそっ! こんな時に」


 猟友会の四方は狩猟用ライフルの銃弾を使い果たしてしまっていた。散弾銃も装備しているが、乱戦状態では味方を巻き込む可能性があり使えないことに加え、そもそも標的をピンポイントで撃ち抜くことに適していない。


「自分がやります!」


 警察官の忍足がスコップを手放し、ホルスターから拳銃を抜いた。弾数も限られており、切り札として温存してきたが、やるなら今しかない。確実に運転席の石切氷鬼を射抜けるよう、横から可能な限り除雪車に接近。狙いを定めてすれ違いざまに引き金を引いたが。


「痛っああああああああ! くそっ!」


 引き金を引いた瞬間、拳銃が忍足の手の中で暴発。石切は右手を大きく負傷し、滴る出血で雪面に赤色が広がっていく。激痛にたまらず膝から崩れ落ちた忍足の目の前を、除雪車は無情に通過していく。


「忍足巡査……酷い怪我だ」


 近くにいた角が忍足を引き摺り、四方の元まで後退させた。忍足の右手は人差し指と親指が失われ、他の指も爆発による傷が酷い。


「氷鬼め。瞬間的に銃口を凍り付かせて暴発させたのか。くそったれが!」


 拳銃が暴発した経緯を察した四方が荒々しく散弾銃を手放す。戦いの中で氷鬼は、銃器に対する対処法を確立した。今後は銃器を使用しても自滅するだけだ。車両も使えない以上、対処法はもう、鈍器による近接戦闘以外にはない。


「正面入り口は突破される! 全員裏口から館内に戻り、イベントホールに籠城するんだ!」


 絶望的な状況の中で指針を示したのは、眼前まで除雪車が迫った荒砥だった。入口は突破される。即ち自分はもう助からないと覚悟していた。それでもなお、消防団長として最後まで大勢を救う道を示そうとしている。


「韮沢! 後は任せたぞ!」

「……荒砥さんの指示に従い、全員急いで館内に戻れ! 氷鬼を先回りして籠城戦を仕掛ける!」


 荒砥と一度だけ目配せをすると、韮沢は荒砥の意志を引き継ぎ、喉が枯れるまで指示を叫んだ。荒砥の思いを無駄にしないためにも、生存者たちは裏口へと急ぐ。忍足も右手の激痛に脂汗を浮かべながらも、角と四方に肩を借りて必死に移動する。


「悪いな麟太郎。俺はここまでみたいだ――」


 甥っ子の顔を思い浮かべた瞬間、荒砥の姿と氷の除雪車が重なり、骨が砕ける鈍い音が鳴る。除雪車はそのままバリケードを突き破って公民館の正面入り口に衝突。大量のガラスが粉々に砕け散った。

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