第9話 通信網遮断
万年雪旅館で休息を取った永士は、暖火の儀が行われる中央広場へと足を運んでいた。記録にまとめる都合上、準備段階から儀式を見ておきたい。雪崩発生の混乱によって作業および儀式そのものが中止になる懸念もあったが、実際には訪れてみると十数名の関係者が笑顔で設営を急ぎ、その光景は活気に溢れていた。まるで雪崩など起きておらず、平時の中で伝統行事を迎えているかのような印象だ。裏を返せば、目の前の伝統行事に集中することで気を紛らわせているのかもしれない。天候も変わらず安定しており、儀式には申し分のない空模様だ。
篝の設置は全て完了し、円形の広場を取り囲む様はさながら、何かの召喚の儀式のようでもある。暖火の儀が開始される午後六時は、この時期はもう暗い。儀式の最中は広場のライトも落とされるので、たくさんの篝に火が灯される様はさぞ神秘的だろう。
「よう永士。設営の見学か?」
入口付近から会場の様子を伺っていると、オレンジ色のダウンジャケットを着た麟太郎と目があった。冬芽神社の巫女である深雪と打ち合わせをしていたらしい。直ぐ側には魁人の姿もある。
「一人で旅館で休んでいるのも退屈だからね。この様子だと予定通り開催を?」
「雪崩の影響で村長も不在だし、お偉方の参列は見送りになったが、儀式としての暖火の儀は予定通り行う。住民や観光客の観覧には特に制限も設けられていない」
永士が麟太郎に合流すると、それまで固い表情で打ち合わせをしていた深雪の表情が綻んだ。
「永士さん。お戻りになってたんですね」
「久しぶり深雪ちゃん。しばらく会わないうちにすっかり大人になったね」
「去年成人して、もう十九歳ですよ。そういう永士さんはあまり変わりませんね」
と言いながらも、気恥ずかしそうに笑う深雪にはまだ、少女の面影が残っている。永士が最後に会った時、深雪はまだ高校生だったが、卒業後は冬芽神社の巫女として、本格的に神社の仕事に携わっている。
「準備は順調かい?」
「篝の設置は終わったんですが、肝心の父がなかなか姿を現さなくて。四時にはこちらに合流する予定だったのですが」
「そういえば、純道さんの姿が見えないね。連絡はしたの?」
「スマホにかけたんですが、呼び出し音ばかりで一向に電話に出なくて。集中力を高めるために一人で拝殿に籠っているので、手元にスマホを置いていないのかも」
「神社の電話には?」
「そうですね。そっちにもかけてみましょう」
集中の邪魔をしてはいけないと遠慮していたが、定刻は過ぎたので問題はないだろう。深雪は早速スマホで発信しようとしたが。
「あれ? 圏外になってる」
さっきは相手の純道が出なかっただけで電話自体はかけれたのに、ほんの数分の間にスマホの通信状態が圏外に変わっていた。山間部の村とはいえ、普段から居住地周辺の通信状態は良好だ。深雪が真っ先に疑ったのはスマホ本体の不調だった。
「僕のスマホを貸すよ」
そう言って、永士は自分のスマホを取り出したが。
「おかしいな。僕のスマホも圏外だ」
「何だって?」
吃驚した麟太郎は自分のスマホを取り出し、魁人もそれに続いた。
「おいおい。俺のスマホもだ」
「僕もです。さっきまで普通に使えていたのに」
四人中四人のスマホが圏外の表示となっている。スマホ本体ではなく、通信環境そのものに問題が生じているようだ。
「キャリア側の問題なら時間が経てば解消するかもしれないが、もしも基地局のトラブルなら大事だぞ」
「確かに。基地局の問題だったら道路が寸断されている今、復旧は絶望的だ」
基地局の問題ならば、外部からの専門家を呼ばなければ改善は望めない。道路の寸断の解消も望めぬ今、それがいつになるのか見当もつかない。
「使えないものは仕方がない。神社には駐在所の固定電話で連絡しよう」
「そうですね」
携帯キャリア側の問題にしろ基地局の問題にしろ、自分達ではどうしようも出来ない問題だ。固定電話ならば生きているだろうと、永士は目の前の駐在所を指して冷静に提案した。
「すみません忍足さん。神社に連絡がしたいんですが、お電話をお借りできますか?」
普段村外にいる永士と魁人は忍足とほとんど面識がないので、顔見知りの深雪と麟太郎の二人が駐在所を訪ねた。
「それは構いませんが、どうしてまた?」
忍足は快く深雪に固定電話を貸し出すと、神妙な面持ちで同席する麟太郎に尋ねた。
「急に俺らのスマホが圏外になったんですよ。四人同時だったので、恐らく影響は村全体に及んでいるでしょう」
「それは大変だ。雪で基地局がやられたんでしょうか?」
「その可能性はありますね。まったく、雪崩による道路の寸断といい。何が起きて……」
言いかけた麟太郎の横で、深雪が奇妙な動きをする。一言も会話していないのに、受話器を置いてしまったのだ。
「深雪ちゃん?」
「電話が使えません」
「まさか、そんなはずは」
代わりに忍足が神社に電話を掛けようとしたが、そもそも発信することが出来なかった。その様子を見て、みるみる麟太郎の表情が青ざめていく。
「おいおい。固定電話もかよ」
「どこかで電話線が切れたのか? だとしてもこんなタイミングで……」
「だとすればネットもか。村全体で同様の事態が起きているなら、通信インフラは全滅だ」
携帯電話が使えないどころの騒ぎではない。固定電話やインターネットまでもが使用不可能となれば、村は唯一の陸路である道路だけではなく、外部と連絡を取る手段さえも失ったことになる。望みがあるとすれば衛星電話ぐらいだが、少なくとも麟太郎には心当たりはない。
「……まさか、本当に寒凍霊の仕業じゃないだろうな」
次々と襲い掛かる災厄の連続で、相巣村は一層孤立を深めている。村の人間なら誰もが知る、寒凍霊の伝承を想像せずにはいられなかった。
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