第10話 怪しい車

 深雪、永士、麟太郎、魁人の四人は徒歩で冬芽神社を目指していた。電話が使えないのなら、直接宮司を神社に迎えにいく他ない。時間を忘れて集中しているだけならいいが、万が一急病にでもなっていたら大変だ。


 あの後、連絡係として財務部管財課職員の帯野おびの光輝こうきが中央広場へとやってきたが、麟太郎に伝えられた指示はやはり、暖火の儀の開催を優先せよというものだった。通信インフラの復旧も暖火の儀でどうにかしようというのか? 甚だ疑問だったが、指示を伝えに来た帯野は麟太郎よりもさらに若い世代で、事情には明るくない。その場では疑問は飲み込んだ。


 電話が使えなくなった今、何か事件や事故が起きれば直接駐在所に人が訪ねてくる可能性があるので、忍足は駐在所に待機。直接何かが出来るわけではないが、携帯の基地局は、消防団員が近くまで向かって状況を確認する運びとなった。公共機関以外では、雪崩で帰宅困難に陥ったスキー客の一部を、万年雪旅館で受け入れる準備が進んでいる。帰宅困難者がロッジの収容人数を越えていたので、ありがたい対応だった。


「永士、魁人は分かるが、どうしてお前まで?」


 永士と麟太郎の少し前を、魁人と深雪が肩を並べて歩いている。年齢が近い二人は昔から仲が良く、特に魁人は女性としても深雪を意識している節がある。表向きは気丈に振る舞いながらも、連絡の取れなくなっている父親を心配している深雪を元気づけようと、健気に前向きな話を繰り返している。そんな魁人が深雪に同行するのは分かるが、都内に生活基盤を持ち、祭事の関係者でもない永士までも同行してくるのは麟太郎には意外だった。他意はないが、万年雪旅館に宿泊しているお客様でもあるので、宿でゆっくりしていてもバチは当たらない。


「そういえば、麟太郎にはまだ話してなかったね。次回の暖火の儀を見届けろというのが、爺ちゃんの遺言でね」

「太助爺さんがそんなことを」


 葬儀の席でも永士はそんな話は一度もしなかった。麟太郎もこれが初耳だ。


「地域の大事な伝統とはいえ、あの時の爺ちゃんの様子はあまりにも鬼気迫っていてね。そこまでさせる暖火の儀とは一体何なのか。この三年間ずっと独自に調べてきた。純道さんからも、改めて詳しく話を聞きたいと思っていたところだよ」


「あの大らかな太助爺さんがか。前回の暖火の儀を体験している世代や少し下の世代は、暖火の儀の開催に並々ならぬ情熱を持っているようだ。おじのムネさんや役場のお偉方は、この雪害の中にあっても暖火の儀の開催を何よりも優先すべしと考えている。せめて理由を教えてくれれば、俺だって余計なことを考えずに仕事に集中出来るのに」


「悪戯に内緒にするような人達じゃない。何か理由があるんだろう」

「理由って?」

「想像することしか出来ないけど、あまりにも筆舌に尽くしがたいのかもしれない。例えば説明したところで、到底信じてもらえないようなね」


 麟太郎が足取りが鈍り、永士が半歩先を行った。


「お前のその口振り。まるで五十年前に本当に寒凍霊が出現したように聞こえるぜ」

「そう怖い顔をするなよ。言っただろう。単なる想像だよ」


 微笑みを浮かべながらも、永士は想像の内容自体は否定しなかった。


「永士の想像だから怖いんだよ。お前の想像力は俺の遥か上にある」

「想像は想像でしかないよ。少し肩に力が入り過ぎじゃないか?」

「そうだな。少し気が立っていたのかもしれない」


 単なる想像に何を感情的になっているのか。冷静になり、麟太郎は電源を入れ直すように頭を振った。寒凍霊なんて存在しない。度重なる災害には辟易としているが、それはあくまでも不運の連続に過ぎない。全てはきっと、科学的に説明のつく事象だ。


 ※※※


 通信網の障害を受けて、消防団所属の石切いしきり高成たかなり真柴ましば喜代治きよはるの二人は車で、村の外れにある基地局を訪れていた。三十五歳の石切と五十五歳の真柴は普段、同じ村外の工場に勤務しており、消防団、職場共に先輩後輩の関係にあたる。休日なので暖火の儀の開催まで家でのんびりとしていようしていた矢先、雪崩の発生によって招集を受け、通信障害の原因に基地局の異常が疑われたため、様子を確認するために派遣された。


「真柴さん。普通ならこんなことにはならないですよね?」

「ああ。今年の冬も確かに厳しいが、もっと酷い年はいくらでもあった。それが今回に限ってこんな」


 少し離れた位置にある基地局の設備の様子を車から伺った二人は、その現実離れした光景に愕然とする。専門家ではない二人でも、一目見て分かるような基地局の異常がそこには存在していた。基地局の設備全体が氷山かと見紛う程の厚い氷によって凍りついていたのである。雪国育ちの二人から見てもそれは異様で、自然現象というよりも最早、パニック映画や特撮作品における、町が凍り付く描写を画面越しに見ているかのような、あまりにも現実感のない光景だった。


 今年も厳冬には違いないが、ここ数日は散発的な降雪はあっても猛烈に吹雪くようなことはなく、気温も氷点下こそ下回っているが、それだって例年と大差ない。基地局が凍り付き機能不全を起こしたのはこれが初めてだが、現在の気候上限でそれが起こったとするなら、過去に何度も同様の出来事が起きていなければ辻褄が合わない。


「……ガキの頃の悪夢で終わっててくれよ。まったく」

「真柴さん。今何て?」

「何でもない。それよりも伝達のために早く戻るぞ。あの有様じゃ俺らに出来ることは――」


 言いかけて、運転席の真柴は基地局の近くに一台の白い軽自動車が停車しているのを見つけた。降り積もった雪の白に溶け込んでいたことと、凍り付いた基地局の存在感に圧倒され、初見では気づかなかった。


「様子が気になって、誰か先に見にきてたのか? けどタイヤ痕も足跡もないしな」


 助手席の石切が小首をかしげる。基地局周辺は新雪に覆われ、自分達の乗っている車のタイヤ痕以外は確認出来ないし、遠めだが、軽自動車周辺にも足跡など、誰かが乗り降りした形跡は見られない。その一方で軽自動車の屋根にはさほど雪は積もっておらず、まるで今し方到着したかのような印象だ。軽自動車はあまりにも不自然にその場に存在していた。


「俺、ちょっと様子を見てきます」

「やめておけ。誰も乗ってなさそうだし、俺らの仕事は基地局の状況の確認だけだ」

「真柴さんがそう言うなら」


 ドアを開けかけた石切を真柴は引き留めた。先輩の言葉に反論はせず、石切は外に出るのを止めた。早くこの場を立ち去ろうと、真柴は元きた道を引き返すために車を切り返した。


 ――あの車。まさかな……。


「真柴さん。何だか顔色悪いですよ? 風邪でも引きました」

「何でもない。早くこのことを報告するぞ」


 石切は気づかなかったようだが、真柴は車体の錆具合などの特徴に見覚えがあった。だがそれは絶対にあり得ないことだ。ナンバーを確認すれば確信出来たが、それを確かめたらもう引き返すことが出来ないような気がして躊躇われた。仮に最悪の事態が発生しているにしても、暖火の儀さえ成功すれば全ては丸く収まる。五十年前、当時五歳の時に見た悪夢が再び繰り返されないことを、真柴は切に願った。


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