第8話 疑念

 会議後。警察官の忍足はパトカーの助手席に麟太郎を乗せて駐在所へと向かっていた。中央広場は駐在所の目の前なので、暖火の儀の準備の進捗状況を確認に向かう麟太郎をついでに乗せた形だ。


「芹沢さん。さっきの会議、何だか妙な雰囲気でしたね」


 会議の場では発言が難しかったが、年齢が近く日頃から交流のある麟太郎と一対一だったので、忍足は会議中に覚えた違和感を麟太郎に吐露した。


「ええ。韮沢部長をはじめ、お偉方は雪崩被害に適切に対応しているのに、優先順位の低そうに見える暖火の儀の開催に関してだけは強硬的だ。荒砥さんまで向こう側だったし」

「荒砥さんって消防団長ですよね。あの方とは親しいんですか?」


「荒砥さん。俺はムネさんって呼んでますけど、あの人は俺の母方のおじなんです。身内としてのムネさんのことはよく知っていますけど、だからこそしっくりこない。ムネさんは元レスキュー隊員で、定年退職後も故郷の相巣村で消防団を指揮して村の防災活動に尽力してきた奇特な方です。祭事は後回しでいい。今は人命優先で災害対応を何よりも優先すべきだと、俺のよく知るムネさんならそう言うはずだ」


「そんな人までもが、あくまでも祭事の開催を最優先としている。暖火の儀とは一体何なんでしょうか」


「俺にもよく分からなくなってきました。決して伝統を軽んじるつもりはないし、俺だって開催に全力を尽くして来たが、俺の中ではあくまでも、周期の長い珍しい行事ぐらいの感覚だった。だけど、韮沢部長や荒砥さんのあの一貫した態度には、開催を願っているだけではなく、どこか執念や責務のようなものさえ感じられた。まるであの祭事を本来の意味で捉えているかのようだ」


「自分は詳しくは知りませんが確か、悪霊のもたらす災厄から村を守るための儀式でしたよね?」


 ハンドルを握る忍足は、半信半疑といった様子で苦笑いを浮かべていた。麟太郎の言うように、決して地域の伝統を軽んじるつもりはないが、だからといって忍足自身は迷信深くはないし、村の出身ではないので感情移入もしづらかった。


「まさか、雪崩の原因が寒凍霊にあると思っているわけではないとは思うが」


 口ではそう言いながらも、先程の韮沢総務部長の発言が頭から離れない。韮沢は暖火の儀の開催継続を、総務部長としてではなく、災害対策本部長としての指示だと言った。それは暖火の儀が災害対策に直結すると言っているのと同義だ。村の住人としては、寒凍霊の存在を想起せずにはいられない。


「五十年前。暖火の儀で何かあったのか?」


 暖火の儀の開催を熱望しているのは五十代以上。前回の暖火の儀を実体験として知っている世代が中心だ。もしも彼らの意志を強固にする何かが起きたとすれば、それは五十年前に行われた、前回の暖火の儀以外には考えられなかった。


「着きましたよ」

「乗せてくれてありがとうございました」


 答えを得られぬもどかしい空気感の中、パトカーが駐在所前に到着し、麟太郎は助手席から降りた。


「自分は何が起きても対処出来るよう、駐在所で待機しています。何かあればいつでもお呼びください」

「これ以上、何も起こらないことを祈っていますよ」


 麟太郎は苦笑交じりに忍足と別れ、直ぐ側の村の中央広場へと向かった。


「あと二時間半か」


 腕時計を確認すると、現在の時刻は午後三時半を過ぎたところ。暖火の儀の開始は午後六時を予定している。中央広場では、暖火の儀を執り行う冬芽神社の関係者と村の有志一同が協力して、儀式に使う大量の鉄の籠、かがりを、広場を取り囲むように設置を進めている。現場の指揮を執っているのは冬芽神社の娘で巫女でもある冬芽とうが深雪みゆきだ。まだ準備段階なので、巫女服ではなく、シャンパンゴールド色のダウンジャケットにデニムを合わせたカジュアルな装いだ。儀式の中核を担う深雪の父、宮司の冬芽純道は現在、儀式のために冬芽神社で集中力を高めており、この場には不在だった。まだ十九歳の深雪は指示出しに不慣れなようで、何度も手順を確認しつつ関係者と連携している。その中には積極的に作業を手伝う伊予札魁人の姿もあった。


「やると決めたからには、無事に開催しないとな」


 準備の様子を見て、麟太郎はこれまでの疑念を一度横に置き、自分の仕事に集中することにした。村の中央広場で行われる行事なので、整備部計画課の職員として、昨年から暖火の儀の開催に向けて動いてきた。それが延期になったり中止になるのは麟太郎とて不本意だ。


「深雪ちゃん。直ぐに合流出来なくて申し訳ない。雪崩の発生で混乱は生じているが、村役場としても、暖火の儀は予定通り開催して問題ないとの判断が出たよ」


 深雪に韮沢総務部長の指示を伝えると、麟太郎は暖火の儀の準備作業に合流した。


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