最終話 東風氷解

「永士くんの新刊。もうすぐ発売だね」

「ようやく心の整理もついてきたところだ。読むには丁度いいタイミングかもな」


 二月下旬。麟太郎と六花は麟太郎の運転する車で青森市内を目指していた。

 惨劇の夜から一カ月。相巣村の混乱は少しずつだが収束を見せつつあった。悪霊が各所で雪害を引き起こし、氷鬼という異形の存在によって多数の住民や観光客が殺害された。このような事実を発表するわけにはいかず、表向きは雪崩によって交通網が寸断されたところに局地的な寒波が襲来し、一部では停電が発生。多数の死者が発生したという扱いになっている。


 相巣村という小さな自治体に、単独で情報を操作するような力はない。事態を知った「怪奇事象特別対策室かいきじしょうとくべつたいさくしつ」という政府の特務機関の介入によって、混乱は最小限に抑えられた。麟太郎も当事者の一人としてエージェントからの聞き取りを受け、その際に説明を受けたが、寒凍霊のような超常的な存在や異形の怪物によって事件が引き起こされた事例は各地で発生しており、その都度、「怪奇事象特別対策室」が出動し、社会的混乱を避けるために事後処理に当たっているのだという。


 すでに事態は麟太郎の手を離れ、仮設の村役場での通常勤務に戻っているが、韮沢ら上層部は現在も「怪奇事象特別対策室」と綿密に連携し、事後処理に全力を注いでいる。役場で姿を見かけない日も多いが、先日顔を合わせた時、多忙を極める韮沢は当面は引退できそうにないと苦笑していた。複雑な心境を、忙しさが誤魔化してくれているようだ。


 一方で、村の今後は決して明るいとは言い難い。真実をぼかしているとはいえ、村で多数の死者が出たことは周知の事実だ。村役場や公民館といった公共施設は大きな被害を受け、観光の基幹だったスキー場は再開の目途が立たずに閉鎖状態。悲劇から一カ月とまだ日が浅いこともあり、村はとても観光客を呼べる状態ではなく、最小限の被害で済んだ万年雪旅館も休業状態が続いている。


 今回の出来事をきっかけに村を離れる者も増えるだろうし、スキー場の再建も難しい。相巣村の過疎化はさらに進んでいくだろう。それでも、二十代とまだ若い二人は、決して村を離れようとは思わなかった。親友が守り抜いた故郷だ。この村を大切にしていきたい。この村を自分たちの手で守っていきたい。二人の意志は一致していた。


「着いたぞ。いい時間だな」

「もう手続きは終わってるかな」


 麟太郎の運転する車は青森市内の総合病院へと到着した。車を駐車場に停め、二人は病院のロビーへと向かった。


「いたいた」


 相手の姿を見つけて、麟太郎と六花は二人の元へ合流した。


「六花さん。麟太郎さん。態々ありがとうございます。今手続きが終わったところですよ」

「魁人。退院おめてでとう。荷物を預かるよ」

「すみません。麟太郎さん」

「まだ病み上がりなんだから気にするな」


 付き添いの深雪の後ろに立っていた伊予札魁人から、麟太郎は笑顔で荷物を預かった。氷の人形ではない。生身の肉体を持つ魁人はこの日、無事に入院していた青森市内の病院からの退院を迎えていた。本当なら父親である克己が迎えに来る予定だったのだが、相巣村唯一の病院の医師は多忙だ。急患の対応にあたることになり、予定の空いていた麟太郎と六花が魁人の迎えを引き受けた形だった。


 災厄の夜が明け、相巣村を孤立させていた雪崩は、災害派遣要請を受けた陸上自衛隊の出動により解消された。その際雪崩に巻き込まれた路線バスが発見され、中からは運転手の根来幹洋、大学生の番井信彦、権藤紘一、瀧美鈴の遺体が発見。そして、低温状態で心肺停止状態となった伊予札魁人を救出。青森市内の病院に運ばれた魁人はそこから奇跡的に蘇生し、後遺症もなく順調に回復を果たした。


 永士のように寒凍霊の因子を持っていないはずなのに、氷鬼の魁人がどうして寒凍霊の支配を受けなかったのか。その理由は魁人の肉体がまだ死んではいなかったからだ。魁人は仮死状態のまま、いわば魂だけが氷の人形に宿った形だった。本質は生者であるが故、寒凍霊の支配を完全に受けることもなかった。ある意味で魁人は、永士以上にイレギュラーな存在だったといえるだろう。寒凍霊が消滅したことで、魁人の氷の体は消滅したがその結果、魂は無事に本来の生身の肉体へと戻った。


「こうして生きているのが今でも不思議です。永士さんのおかげですね」


 雪崩に飲み込まれる直前、永士が自分を庇ってくれたことを魁人は覚えていた。永士が庇ってくれた分の隙間がエアポケットの役割を果たし、それが魁人の生存へと繋がった。永士の勇気が一人の少年を救ったのだ。


 バスの中から発見されたのは、魁人を含めて五人。残る二人、永士と風花は未だに発見されていない。二人は行方不明として扱われており、人気ミステリー作家である永士が消息不明となったことが、世間では大きな騒ぎとなっている。風花も行方不明となっていることから、騒ぎに乗じて何らかの理由で、二人が駆け落ちしたのではという憶測まで飛び交う始末だ。明確な自我を残したまま氷鬼と化した永士と、雪崩によって人間としては死に、寒凍霊の器となった風花。二人の身に何が起きたのかを知るのをここにいる四人と、村の中の限られた人間だけだ。終ぞ永士は目的地を告げなかったので、その行方については誰も知らない。


「そろそろ行こうか」


 四人は病院を後にし、麟太郎の車へと乗り込んだ。


「そういえば魁人くん。永士くんの新刊のタイトルは聞いた?」

「はい。入院中に最新情報を見ました。これですよね」


 魁人はスマホに、斜森永士こと吹雪涼の新刊の情報を表示した。タイトルと書影はすでに公表されている。


「永士らしいタイトルだよな。もちろん、原稿は大分前に完成してたんだろうけど」


 最近になってタイトルの意味を知った麟太郎が微笑む。

 新刊のタイトルは「東風氷解はるかぜこおりをとく」。季節を表す七十二候の一つで、春風が吹きはじめ、氷をとかすという意味を持つ。吹雪涼初の、人が死なないミステリーで、雪解けを思わせる心温かいストーリであると紹介されている。




 了

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