第25話 己のルーツ
「先生。最後かもしれないので、もう一つ質問してもいいですか?」
「最後だなんて……」
言いかけて、克己は言葉を引っ込めた。安易に気休めの言葉をかけるのは生者の驕りだ。永士の未来を変えてやる力は、残念ながら克己にはない。
「すまない。続けてくれ」
襟を正し、続きを促したが。
「僕の父親は伊予札先生ですか?」
突然の爆弾発言に克己は思わず吹き出し、そのままむせてしまった。
「大丈夫ですか?」
「君が突然とんでもないことを言うからだ。どうしてそういう話になる?」
「最後なので、僕の父親が誰なのかを知っておきたいと思いまして。今までは言い出せませんでしたが、僕はずっと伊予札院長がそうなのではと考えていました。母と親しかったのはもちろん。母が亡くなってからもよく僕を訪ねてきてくれていたし、そういうことなのかと」
「……まあ確かに、君の目線だと私が疑わしいのは事実か」
一度咳払いをすると、伊予札院長は過去を懐かしむように天井を見上げた。
「結論から言うが、私は君の父親ではない。私の子供は魁人一人だけだ。認知だけではなく、遺伝子的な意味でもね。確かに冬美さんは私の初恋の相手だったが、それは中学時代の話だ。告白して玉砕したのをきっかけに、真の意味で友人関係になれたと思っている。大学時代には後に結婚することになる妻について、冬美さんに恋愛相談に乗ってもらったぐらいだ」
克己の説明に、永士は一つ胸のつかえが取れた。一度告白したことがあるという、青春時代の思い出や、奥さんとの馴れ初めに関する話題を、大人の男性が赤面しながら口にしているのだ。その言葉は素直に受け止めることが出来た。
「冬美さんの死後、君の元をよく訪れていたのも、生前の冬美さんからお願いされていたからだ。もちろん私個人の感情としても、友人の息子である君が健やかに成長することを願い、見守っていたよ。多忙を極め、しばらくは村に戻れない時期が続いていたが、その間も先代である父から君の状況は定期的に教えてもらっていたし、正式にこの病院を継ぎ、元気な姿の君と再会した時は心底嬉しかったものだよ」
「僕も幼いなり伊予札先生のことは覚えていました。再会した時は懐かしい気持ちで嬉しくなりましたよ」
早くに母親を亡くし、家族は祖父一人だけ。そんな永士にとって克己は、親戚のおじさんのような親しみある存在だった。当時を懐かしみ、お互いに自然と笑みが零れる。こんな話を出来るのもこれがきっと最後だ。それを直感しているからこそ、悲しむのではなく笑わなければいけない。
「先生と母の関係性は分かりました。だけどだったら結局、僕の父親は何者なんですか?」
「残念ながら、私もそれは存じ上げない。冬美さんに尋ねたこともあるが、ただ一言、『父親はいない』とだけ」
「本当にそれだけですか?」
「君は大人だ。当事者である冬美さんも亡くなっているし、このような状況で隠し立てはしないさ。本当に何も知らないんだ」
「そうですか……それなら仕方がない」
自分の父親は誰だったのか。冬美や太助が永士に何も情報を残さなかった以上、父親である男性は好ましくない人物だったのかもしれない。それでも人生最後の時間だし、どんな真実であっても自らのルーツを知りたかったのだが、克己も知らないとなると、永士にはもうそれを知る術はない。父親は存在しないものだと割り切るしかない。
「そういえば永士くん。私からも一つ聞いてもいいかな」
「何でしょうか」
「魁人を見ていないか? 病室で休ませていた深雪さんの姿も見えないから、二人でどこかへ向かったんだと思う」
「僕は見ていませんが、二人一緒なら冬芽神社ですかね」
「正義感の深雪さんのことだ。寒凍霊への対抗策を探しにいったのかもしれない」
克己は顔色こそ変えないが、落ち着かない様子で貧乏ゆすりをしている。病院長としての責務と、今すぐ息子を探しにいきたい父親としての感情の間で揺れ動いているのだろう。
「僕が冬芽神社の様子を見てきます。今一番自由に動けるのは僕ですから」
「ありがとう。永士くん」
「頭を上げてください。僕にとっても魁人くんは弟みたいなものですから」
どちらにせよ。氷鬼と化している可能性のある魁人とは一度、しっかりと話しをしなければと思っていた。もしも魁人がまだ氷鬼である自覚をしていないのなら、残酷でもその事実を伝えなくてはいけないし、その上で家族である克己と再会させる場も設けるべきだろう。
「入れ違いになっても困る。僕は早速、冬芽神社に向かうことにします……お世話になりました。伊予札先生」
「……君とはこれでお別れなのか?」
忙しなく院長室のドアノブに手をかけた永士の背中を、克己が呼び止めた。
「僕はそう覚悟しています。自我を持っていようとも、僕は氷鬼ですからね。この夜がどんな終わりを迎えるとしても、ハッピーエンドを望むのは難しいでしょう」
「……安易に気休めの言葉をかけるべきでないことは分かっている。だがそれでも、君は小説家だ。どうかバットエンドではなく、ハッピーエンドを想像して行動してもらいたい。医師として、君の母親の友人としての、これは私の願いだよ」
「善処はします。ありがとう、伊予札先生」
去り際に、一瞬だけ振り返った永士は微笑みを浮かべていた。その笑顔は生前の母、冬美の面影を感じさせるものだった。
「永士くんの父親か……」
一人残された院長室で、克己は呟く。
永士に伝えた言葉は真実だ。話せることは全て伝えたし、永士の父親が何者なのかは本当に知らない。だが、一つだけ気にかかっていることはある。「父親はいない」と冬美は言った。一般的に考えてこれは、相手の男性とは良好な関係ではなく、父親はいないものとして、一人で我が子を育てていく覚悟の表れと捉えるのが自然だろう。
だが、その時の冬美の様子はあまりにも淡々としていて、単に事実だけを述べているような印象を受けた。また、冬美は自分の父親である太助にも同様の発言をし、太助も最後まで永士の父親が誰なのかを知らなかったようである。幼馴染とはいえ、身内ではない克己には告げられないかもしれない。だが実の父親にもそれを説明していない。重い話題ではあるが、冬美は決して家族への説明を避ける人ではないと、克己は幼馴染として確信している。しかし、そこから導き出される結論はあまりにも異質だ。
「……まさか、言葉通りということはないと思うが」
冬美の発言には表も裏もない。言葉通り本当に父親など存在しないのではないか? 馬鹿げていると思いながらも、克己はその可能性は完全には排除しきれずにいた。寒凍霊の因子がもたらす不可思議な現象の数々を考えればあるいは……。
「流石に考えすぎか」
克己は頭を振って思考を払った。もしもそうだったなら、斜森永士という青年に対してあまりにも救いがなさすぎる。
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