第12話 氷鬼

「真柴さん。後ろの車って、さっき基地局の近くに停まってたやつですよね?」


 基地局からの帰路につく中、石切はバックミラー越しに軽自動車の姿を確認した。石切は特に危機感なく、誰が乗っているのだろうと興味津々な様子だったが、運転する真柴は最悪の事態に表情が青ざめ、ハンドルを握る手は冬道の振動とは異なる震えを伴っていた。気付かれずに村まで戻りたかったが、どうやら基地局に到着した時点で目をつけられてしまっていたらしい。


「そういえば運転手の帽子、何だか見覚えがあるような。だけどそんなはずは……」


 ここに来て石切が初めて怪訝な表情を浮かべた。運転手の人相までははっきりとは分からなかったが、目深に被った赤いキャップは目を引く。着ている黒いジャンパーにも既視感があるが、それは本来そこにいるはずのない人物の特徴であった。


「真柴さん。あの運転手、森尾さんに似ている気がするんですけど、まさかそんなわけないですよね?」


 森尾匡吉は二週間前に、車の事故で亡くなった男性だ。村道を走行中、森尾の運転する軽自動車はスリップを起こしてガードレールを突き破り、そのまま林へと激突。打ち所が悪く、搬送先の病院で死亡が確認された。享年六十九歳だった。赤いキャップと黒いジャンパーの組み合わせは生前の森尾の特徴と一致するし、あまり親交のなかった石切の記憶はうろ覚えだが、乗っていた車も白い軽自動車だったような気がする。


「似ているんじゃない。あれは間違いなく森尾のとっちゃんだよ……ずっとバックミラー越しに見定めてた。姿形はもちろん、車のナンバーまで一致してやがる」


 運転を始めてからの長い沈黙を破り、真柴が重い口を開いた。森尾だけではない、事故で廃車になり、とっくに処分されているはずの軽自動車までもが、当時を再現した姿のまま復活を遂げている。


「な、何言ってるんですか。森尾さんなら事故で亡くなったでしょう?」

「この村ではそれが起こり得るんだよ。五十年に一度、この日だけはな!」


 普段は寡黙で冗談も言わない真柴が語気を強めている。まだ半信半疑ながらも、何かとんでもないことが起きているという空気だけは石切もひしひしと感じていた。


「森尾のとっちゃんは蘇っちまったんだよ。氷鬼としてな。基地局の凍結もきっと奴の仕業だ」

「氷鬼って、寒凍霊伝説の?」

「伝説なんかじゃねえ。五十年前にも――頭を下げろ石切!」


 言いかけて突然、真柴が叫ぶ。反射的に石切は頭を下げた。次の瞬間、後方からハンドボールサイズの氷のつぶてが飛来。二人の乗る車の後部ガラスを破壊すると、運転席と助手席の間を通過し、フロントガラスまで突き破る。衝撃でガラスは粉々となり、破片が二人の太腿にも落ちてきた。


「真柴さん。い、今のは一体……」


 恐怖に引き攣った顔で運転席の真柴に視線を向けた石切は、さらなる衝撃の光景に絶句する。真柴は左腕から激しく出血し、白いジャンパーが鮮血に染まっていた。氷の礫が左腕を抉っていったのだ。真柴は激痛に顔を顰めながら、右手だけで運転を続けている。


「真柴さん……酷い怪我だ」

「……こいつは、いよいよピンチかもな」


 突然、真柴が急ブレーキを踏んだ。


「真柴さん。何を」

「お前はここから走って村に迎え。このことを団長の荒砥さんや役場の韮沢に伝えろ。森尾が氷鬼として蘇ったと言えば全部伝わる」

「真柴さんは?」


 困惑しながらも、石切は真柴の指示に従いシートベルトを外した。


「車で体当たりして食い止める。村に氷鬼を侵入させるわけにはいかない」

「駄目ですよそんな怪我で。真柴さんを置いてはいけない」

「いいから行け! 誰かがこのことを伝えないと取り返しのつかないことになる!」


 真柴の目にはすでに覚悟が据わっていた。もう梃子でも己を曲げることはないだろう。激しく葛藤しながらも、石切は車のドアを開けた。


「……死なないでくださいよ。真柴さん」


 真柴は何も応えなかった。車を降りた石切は一度も振り返らず、村へ向かって足場の悪い冬道を急ぐ。


「……柄にもなく格好つけちまったな。平凡なおっさんを気取ってきた俺らしくもない」


 真柴は激痛を堪えながらギアをバックに入れた。相手は車で襲ってくるのだ。車で立ち向かわなければ、石切を逃がせない。バックミラー越しには、こちらの様子を伺うかのように車を一度停車させた森尾の姿が見える。


「可哀想に。当時を知る世代として、あんたも氷鬼になっちまうのは不本意だったよな」


 六十九歳だった森尾は五十年前は十九歳。若手として当時の災厄に最前線で立ち向かった人間の一人だ。健在だったならきっと、当時を知る経験者として共に災厄に立ち向かう未来もあっただろう。こうして相対することになってしまったことが残念でならない。


「これでようやく、悪夢を見ずに済みそうだぜ」


 結末がどうであれ、もう自分は悪夢にうなされることはないのだろうと、この時ばかりは腕の痛みも忘れて真柴は安堵していた。滞りなく暖火の儀が執り行われれば、村の被害は最小限に留まる。ここで氷鬼を足止めすることにはきっと意味があるはずだ。


「村には行かせないぞ氷鬼!」


 真柴はアクセルを踏み込みバック走行で、森尾の運転する軽自動車目掛けて突っ込んだ。冬芽宮司は別の氷鬼、閑林道夫によってすでに殺害されており、暖火の儀の開催が絶望的であることを、真柴は終ぞ知ることはなかった。

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