焼けつく鎖のベンデッド

 懸賞金。それはレバルデス世界貿易会社が無法者の首にかける報酬だ。

 賞金稼ぎたちにとっては飯のタネであり、海賊にとってはステータスであり、民にとっては逆らうべきじゃない危険人物を見分ける指標である。


「船長、こいつらどうします」

「海に捨てとけ」

「や、やめて、やめてくれぇ! 武器は捨てただろうがぁっ!」


 いま、レバルデス世界貿易会社の商船はとある海賊たちに捕まっていた。

 そして商船に搭乗していた同社治安維持部執行科の護衛たちは、海賊に恐れ、武装を解除のち、身ぐるみをはがされしまったのだ。


「命は、命は助けてくれるんだろうが!? それがあんたらのルールのはずだ!?」

「腰抜けが、そんな甘い覚悟で海にでるんじゃねえよ」


 水兵たちは次々と海に突き落とされていった。

 そのさまを商船の一般乗組員たちは震えながら見ていた。

 この海賊に逆らえば、次に海に落ちるのは彼らだろう。


 海賊への一般的な対処は1つだけだ。

 無抵抗。そうすれば生きられる可能性は高い。

 彼らが用があるのは金になる積荷だからだ。


「なんてやつらだ……」

「レバルデスの水兵はなにしてんだよ、クソの役にもたたねえじゃねえか……」


 青ざめた顔をする商人たちは、自分たちの積荷が奪われるのを見守るしかない。

 

「体に巻き付いた鎖、あの焼け跡……高額懸賞金をかけられてるやつだ。焼けつく鎖ベッドデッタだか、そんな名前だったような……」

「ベンデッド? ベンデッドだ、ウブラー艦隊の海賊船長。どうりで手慣れてるわけだ……最悪だな。こりゃ俺たち死ぬかもな」


「積み込みまでどれくらいかかる」

「もう3時間ほどかと」

「いいだろう、それまで俺は楽しむとしよう。おい、そこの女、こっちにこい」


 海賊船長ベンデッドは商人の横にいた身なりの良い女を気に入ったようだった。


「いや……っ、私は……」

「こっちに来い」


 変わらないトーンでベンデッドはそういう。

 彼にはわかっていた。

 自分の言葉にこめられた力のほどが。

 それによって弱者を言うこと聞かせることができると。

 すべてを理解しているのだ。


 それでも女はとうてい前へ進みでるつもりにはならない。


 銃声がした。ベンデッドは躊躇なく、女の隣にいた身なりの良い商人を撃った。苦痛の声が響き渡り、乗員たちは悲鳴をあげた。


 女を無理やり攫うことは簡単だ。

 でもそれではつまらない。


 ベンデッドは過程を楽しむ。

 相手に屈服させ、自主的に行動をおこさせる。

 それこそが強い者に許された愉悦だと知っていた。


 強い者が弱い者から奪う。

 多くの弱者にとって都合が悪いルールは、海のうえではまだまだ健在なのだ。

 

 女が肩を震えさせ、泣きじゃくりながら、ベンデッドのもとに歩み寄った。

 

「船長、霧がきますぜ」


 ベンデッドの右腕、海賊たちの副船長は恐る恐る声をかける。ベンデッドは不機嫌そうながらも「霧?」とたずねかえした。


「霧なんざ、さほど気にすることじゃねえだろ」

「そうなんですが……かなり濃くて。まるで壁みたいですぜ」


 ベンデッドにとって、レモール島近海は良く知った海だった。現在、略奪しているこの航路も、季節と時間を考えれば、問題になるほどの霧がでることは少ない。

 

 副船長がわざわざ伝えてきたことを気にかけ、一応、商船の後部甲板へのぼり、向こうの海を確認する。

 

 たしかに白い濃い海霧がかなりの速度でせまってきていた。

 まるで獲物をみつけた鮫のように、まっすぐ、素早く。


「別にただの霧だ。気にすることたぁねえ。商船のやつらに帆をたたませろ。流されたら面倒だ」


 やがて商船と海賊船は深い霧にのまれた。

 日差しは制限され、昼間なのに薄暗く感じられる。

 水蒸気は冷たく、肌に水滴をつくる。


 ベンデッドは口ではああいったが、状況に言い知れぬ不気味さを感じていた。

 言葉でうまく表現はできない。これは理屈ではない。船乗りの勘だ。


(海にでて20年……こんなことは初めてだ)


 最初の異変は船影であった。

 それは濃霧の向こうからヌッと現れたのだ。


「船だとぉ!?」


 海賊船がひっついている商船の、その反対側に船体をこすりつけるほどの近さで急激に近づいてくる。商船よりだいぶ背が低いそれは信じられない速度であり、あっという間に商船の横に船体をつけた。


「てめえら、武器をもてぇ!」


 直観的にこれがなんらかの攻撃だと気づいたベンデッドの勘は正しかった。

 謎の船影が右舷にくっついた途端、ヤード──マストについてる横向きの柱──のうえを目にもとまらぬ速さで駆ける人影たちが飛び込んできた。


 ぴょんっと軽快に商船に乗り移ってくる。

 2名だ。女と男。片方は若く、片方が中年。


 自信満々の表情と鋭い目つきをする女のほうが周囲をぐるりと見渡す。

 神妙な顔をする中年男のほうは、のっそりとしてて舐めるような視線をくばる。


 女の視線がベンデッドで止まった。彼女は手に羅針盤をもっており、それを見ながら、2回ほど見比べて、パチッとフタを閉じた。


「てめえら、いきなり乗り込んできやがって、何者だ、どういう了見でそんな目立ちたがる?」

「あんたが暗黒の秘宝をもってるみたいだね。それくれない?」

 

 いきなり現れて言うセリフにしては、あまりにも不躾で単刀直入だった。

 

「てめえ、馬鹿か? 死にてえのか?」


 ベンデッドの沸点に触れるには十分すぎる態度だった。


 体に巻き付いた鎖がひとりでに動きだし、赤く焼け付くように熱をおびる。炉からとりだしたばかりの鋼のように、赤く、燃え、肉を焼く音がジューッと響く。

 ベンデッドは鎖を手で握り、先端についた鋭利な杭の重さをたしかめるように揺らしはじめた。


「俺がだれたかわかってないみたいだな、獣の女。面が良いから今、謝るなら可愛がってやるぞ」

「それはいいや」

「じゃあ死ねよ。てめえら、こいつらを殺せッ!」


 ベンデッドは叫んだ。

 女は腰の銃を抜き放ち、空へ向けて発砲した。

 悲鳴があがる。商船の乗客たちは逃げまどい、頭をおさえて伏せる。

 

(これでやりやすいや)


 銃声は戦いに慣れてる者と、そうでない者を見分ける手っ取り早い方法だ。

 

 ベンデッドの手下は20名以上。

 それに対し乗り込んできた敵はたったの2名だ。

 

(馬鹿なのか、無謀なのか、頭が悪いのか……あるいはそれだけの実力者だとでも?)


 ベンデッドは鎖の回転を瞬間的にはやめ、死の加速を得た先端を放りなげた。

 女は身をかわす。女の背後へ抜けていく鎖杭の先端。


 女は撃ち切った銃を放り捨て、腰の剣を抜き放つ。

 どこからともなく女へ発砲される。彼女たちは甲板の真ん中にいる。

 周囲にいるベンデッドの仲間は、あらゆる方向から彼女たちを狙える。

 

 とはいえ、短銃の精度などたかがしれている。

 5回鳴った銃声、すべてが女にはあたらず甲板を傷つけるだけに終わる。

 

 6回目の銃声、それにだけ女は反応を示し、剣で弾丸をいなした。

 

 赤熱をおびる鎖が、意思をもった蛇のごとく、女に襲いかかる。

 女は剣で叩き斬ろうとする。鎖を断たんとする剣撃は、ベンデッドの身体にまきついた鎖へと伝わり、その衝撃力に彼は思わずつんのめって姿勢を崩しかける。


「んぁあ!? なんだ、この女の怪力はァ……!?」

「斬れない、か。やっぱり、強大な魔法道具にちがいないや」


 女の最初の狙いは鎖を叩き斬って、ベンデッドの攻撃能力を奪うことだった。

 だが、それは不可能だと悟る。


 女の意識がベンデッドへ向いた。

 ベンデッドは鎖へ己の意思を反映させ、女の足首へ巻き付かせる。

 

「どうだ、焼ける痛みを味わうぁあ!?」


 呪われた鎖が巻き付くなり、女は剣を深々と甲板に突き刺し、体幹を十分に固定すると、思いきり宙を蹴った。馬が後ろ足で後方の脅威をふっとばすみたいに。


 鎖を通じて繋がっていたベンデッドの足は、甲板から離れて、マストのうえのほうまで浮きあがり、背中をぶつけて、自由落下してくる。


 落下途中のベンデッドへ、女は追撃の蹴りをお見舞いする。

 二回りも大きい海賊は、船長室の壁に背中をぶつけ、口から血の塊をはいた。


「ごはァ、ァ! この、クソあま、ぁり、えねえ……ッ」

「その呪われた道具はあんたみたいな三下がもつには過ぎた力だよ。いや、人間である以上、こんな闇のちからにまともに触れるべきじゃないんだ」

「てめえら、こいつを殺せぇ、ぇ……! なにしてやがる、役立たずどもがぁ!」


 戦いがはじまった直後から、ベンデッドを支援する火力がまったくなかった。

 彼とてこの海でそれなりに名をはせる海賊だ。彼我の実力差をわからぬほど愚かではない。この女海賊がやばいことは薄っすら感じていたが、それでも20名上いる手下たちを込みで考えれば、十分に圧殺できるはずだった。


 なぜだ。

 どうして誰も手伝わない。

 数の暴力があれば勝てた戦いだったはずなのに。

 

 ベンデッドは、脂汗と涙と血をだらだら垂らしながら、周囲をみやる。

 そして気づいた。仲間たちが誰一人残ってないことに。

 みんな甲板に転がっている。


 向こうで銃声が鳴り、そして剣が振られた。

 最後の手下が倒される瞬間であった。

 

 中年男は剣を片手に、頭の後ろをかきながら、神妙そうな顔をしている。

 冴えない顔の、なんでない普通の中年男だ。覇気もないし、凄みもない。

 でも、そいつは確かに……ベンデッドが女海賊をひとり相手にしてる間に、彼の手下のすべてを無力化していた。

 

(馬鹿げて、る、ふざけんな……なんだ、あいつは……ッ、やばいのは、こっちの女だけじゃねえとでも……っ)


「ッ、待てよ、そうか、思い出したぞ、そのもふもふの耳と尻尾……お前は……お前が、ぁの、女海賊、ラトリス、だったのか……ッ!?」


 強い者が弱い者から奪う。

 多くの弱者にとって都合が悪いルールは、海のうえではまだまだ健在なのだ。

 そしてルールは時に、奪う側だった強い者にすら、無慈悲に平等に適用される。


 2週間後、商船と海賊船はアンブラ海最大の港ブルーコーストに帰港した。


 レバルデス世界貿易会社の治安維持部が、賞金首海賊”焼けつく鎖のベンデッド”の身柄を拘束したという話は、新聞となって報じられた。


 当の本人が彼のランドマークである暗黒の秘宝をもっていなかったので、身元は疑われたが、それでも裏どりをすれば彼が件の海賊であることは明白だった。


「間違いない、この海賊旗、ウブラー艦隊の2番艦ですね。証言からしてもユーゴラス・ウブラーの右腕、焼けつく鎖のベンデッドで間違いないでしょう」

「懸賞金2000万シルバーの極悪海賊をしばいて去っていったとな……なんとも興味深いですな」


 拿捕した海賊船を見上げながら、白い制服を着込んだ男たちが話していた。

 彼らはレバルデスの治安維持部執行科の者たち──いわゆる海賊狩りたちだ。


「目撃者の話じゃ、ふたり組だったらしい。片方は女で、面が良くて、もふもふした耳と尻尾があったっていう。そして赤毛だったとか」

「それってまさか……あの”もふもふのラトリス”のことなんじゃ?」

「本人も名乗ってたみたいだし、ほぼ間違いないらしい」

「まじかよ。なるほど、だったら納得だ。しかし、あの”もふもふのラトリス”が仲間を連れてるなんて……彼女は孤高の海賊だったと記憶してるけどな」

「妙な話だが、目撃者の話じゃラトリスは仲間のおっさんのことを『先生』と呼んでたとか」

「先生? そんなにすごいやつなのか?」

「いや、まじで普通のおっさんだったらしい。特に存在感はなかったとか」

「はぁ。まあ、海賊に襲われ、海賊同士のいざこざに巻き込まれ、そんなパニック状態の証言なんざ、あんまり真に受けても仕方ない。人間なんていうのは、たいてい自身の経験をおおげさに話すもんなんだからな」


 話題の大部分は7つの海を股にかけた伝説の女海賊”もふもふのラトリス”が戻ってきたことだったが、その影で密かに彼女の仲間、通称”普通のおっさん”の噂も、海賊狩りたちの内でちいさな話題となっていた。

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