【完結】 秘島育ちのおっさんなんだが、外の世界に出たら最強英雄の師匠にされていた

ファンタスティック小説家

呪われた島

 血に濡れた死体が転がっている。

 温かい命がこぼれてアスファルトと空気に冷やされる。

 その顔も、体形も、周囲の景色さえ、見覚えがよくある。


 あぁ、俺だ。

 これ俺の死体じゃん。

 

 視線をすこしずらせば歪んだバンパーとへこんだガードレール。

 仕事の帰り、駅を降りて、家まであと徒歩5分で帰れるというところで、人を助けて……代わりに俺がトラックの突進を受けることになった。


 視界を動かす。

 破損したトラックの運転手は頭をおさえ、その近くで竹刀袋とスクールバッグをひっさげた女子高生が口元を押さえている。


 そっか。

 終わりか。

 こんな最後なのか。


 なにもなかったな。

 妻はおらず、子どももいない。

 というか彼女もできたことない。


 何か成し遂げたがあるとすれば、高校受験で偏差値63の地元じゃ自慢できる進学校にはいって親を喜ばせたことくらい。あとは高校時代の剣道で関東大会にいけたくらいかな。

 

 いまにして思えばあれがピークだったな。

 勉強も剣道も極めたわけじゃない。

 そこそこ頑張ったってくらいの成果。


 視界がいよいよ白く染まる。


 まあいいか。

 人間ひとり救ったんだ。

 それも未来ある若者をな。

 立派じゃないか、俺。

 父ちゃんも、母ちゃんも褒めてくれるって。


 視界が開ける。もしかして一瞬意識が飛んだだけで、また魂が肉体にひっこんだのか。そんな考えが一瞬よぎったが、目の前の光景を受けて、考えを改める。


 森だ。深い森が見える。草木が生い茂り、虫の鳴き声みたいなのが聞こえる。


「…………うぁ、ぁう?」


 視界の角度がおかしい。

 真上を向いている。固定視点だ。


 しばらくのち気づく。

 いろいろな思考が巡る。

 

 自分の皮膚より内側。

 その体積から察する。

 俺、赤ん坊なんじゃね、と。

 

 その時、変な生き物がぬっと顔をだした。

 こちらをのぞきこむその顔は、デカい犬みたいだが、カラフルすぎて恐い。


「う、ぅぅぅ」


 最悪だ。

 すげえ死にたくねえ。

 頼む、見逃してくれえ。


「ドッゴ、なにしてる」

「くああ!」

「んあ? なんだこりゃ、なんでこんなところにガキが……」


 カラフル犬の背後に恐い顔の男があらわれた。

 顔面傷だらけで、片目が真っ白になってる。

 あ、終わりです。ありがとうございました。


「こりゃあいけねえな。拾ってやらにゃ死んじまうじゃあねえか」


 恐い男が手を伸ばしてきて、俺を持ちあげた。



 ────ジリリリリン!!



「んあ?」


 俺はゆっくりを瞼を開ける。

 なんだ夢か。……ずいぶん懐かしい夢を見てたな。


「くあぁ! くああ!」

「ぁぁ、おはよう、ドッゴ」


 このカラフルで可愛らしい犬はドッゴ。

 アイボリー家の守護犬だ。道場とか、家とか、そこら辺を守っている。


 懐かしい夢をみようと、忙しい1日は待ってはくれない。

 

 森で義父に拾われて、もう何年だろう、18年? 19年? カレンダーがないので具体的には覚えてない。


 もうずいぶんと異世界にも慣れた。

 

「オウルぅぅぅう! 降りてこい! いつまで寝てる!」

「起きてる! 起きてるから、叫ばないで!」

「ドッゴ、オウルを起こせ!」

「起きてるってッ!」


 剣士の父に拾われ、ドッゴと3人で平和な毎日をおくっている。


「オウル、遅いぞッ! はやく道場の掃除をしろッ! 水を撒け! それが終わったら朝食とドッゴの散歩だ!」


 義父は口うるさい。

 拾われる人間を完全に間違えた。


「ドッゴ、いくぞ」

「くああ! くああ!」


 カラフル犬ドッゴとともに、道場をでる。

 散歩といえどリードはしない。

 うちのドッゴは賢いので。


 道場をでてすこし歩けば、港から青い海がのぞめる。

 俺が住むここは島だ。潮風と緑豊かな超ぉぉぉ……辺鄙な島だ。


 俺の所感では人口は1000人ギリギリいるかな? いやたぶんいない。

 特産はモンスターの素材と魚、と貝と真珠あたりかな。

 3カ月に1回来る商船が、いろいろ買い取っていく。外のものはそのタイミングではいってくる。逆を言えば、それ以外のタイミングだと外界との接触がない。


「ドッゴ、そうか、楽しいか」

「くあああ!」

「お散歩たのしいな」

「くぁぁあ~!」

「でもな、ドッゴ、俺はこんなところに収まる男じゃないんだぜ?」

「くぁあ?」

「悪いが、お前とは近いうちにお別れだ」

「くあああ!?」

「俺は次の商船にのって、大陸にいく。あるいはもっとデカい島でもいい。そこで剣で名をあげるんだ」


 こう言っちゃなんだが、俺は剣にけっこう才能があるらしい。

 あの口うるさい義父もその点は褒めてくれてる。

 20年くらい、この辺鄙な島で過ごしてきた。


 その間、何度も考える機会があった。

 こんな島で一生を終えてたまるか、とな。


「この島には老人が多すぎる。ここには夢がないよ」

「くああ!」

「剣の腕があれば、冒険者組合で名を売って、立身出世できる。騎士団とかいうところの門をたたいてもいい。前世でなにも成せなかったんだ。二度目のチャンスを与えられたからには、俺だってデカくなってみたいんだ」

「くあぁ~」

「悪いが、親父に死ぬまで面倒みてもらえ。俺はでていくからな」


 この先にどんな冒険が待っているのか。

 ワクワクする。



 ────ジリリリリ!!



「んあ?」


 あれ? 夢のなかで夢を見てたのか?

 これまた懐かしい夢だったな。


「くあああ~!」

「むにゃむにゃ、んん……あい、ぁい、おはよう、おはようドッゴ」


 二度目の人生がはじまりから、もうどれだけ経ったかは覚えてない。


「オウルぅぅぅぅうう! 起きろぉぉおお! いつまで寝とるんだぁ!」

「起きてる、起きてるよ、親父」

「ドッゴ、オウルを起こせ!」

「起きてるってばぁ」


 上着を着て、のっそり起きあがり、鏡のまえの無気力な男の顔をみる。

 

「オウル、遅いぞッ! はやく道場の掃除をしろッ! 水を撒け! それが終わったら食堂にいけ! ドッゴの散歩はわしがいく!」

「あいよ。親父」


 箒を手に道場をパタパタ。

 すっかり体に染みついた動き。

 目を閉じてても隅から隅まで掃ける。


「お、オウル先生、わたしが掃除します」

「ん。そうか、いつも悪いな」

「い、いえ! 全然、これくらい……! そ、その箒使わせてください」


 最近は掃除を弟子に任せることで、朝の仕事をひとつ楽できる身分になった。


 掃除を任せると、水撒きとか、そこら辺もやってくれるので、俺は食堂にいって、そっちの営業準備をする。アイボリー食堂。この俺、オウル・アイボリーの店だ。


「よし、行ってくるか」

「くああ!」

「ドッゴ、今日も頼むぞ」


 ドッゴとふたり、森にはいる。


「くあぁ~」

「いたな」


 俺は棍棒を片手に忍び歩きし、標的まで10mまで近づく。

 スリング──投石具──を用意する。くるくるくる──ここだァッ! 

 ごく原始的な投石装置により放たれた拳大の石が猪をノックアウトした。

 

「よしッ、思い知ったか、このオウル・アイボリーから逃げられる肉はいない」

「くああ~!」


 持ち帰った肉は、午前のうちに処理して、午後、道場で鍛錬した若者たちをはじめ、島民にぺろりと消費される。俺は調理に忙しい1日をおくる。


 これが俺の1日だ。

 

 え? 立身出世はどうしたのかって?

 商船にのって大陸にいく夢は?


 俺が聞きたい。

 

「はあ、疲れたぁ」


 アイボリー食堂を閉めながら、停泊している商船を見つめる。

 あの大きな船で旅立つことができたのなら……。


「オウル先生、夕ご飯もありがとございましたー!」

「先生、さようならー! ブラックニワトリ絶対に捕まえてきてね!」

「あいよ~はいよ~おつかれさーん、大丈夫だ、オウル先生に任せておけ」


 物事の要因はひとつではない。

 いろんな理由があって人生の軌道は描かれる。


「ドッゴは不死鳥犬フェニックス・ドッグじゃ。わしが死んだら、ちゃんとお前が面倒をみてやるんだぞ」


 理由1。

 ドッゴはクソ長生きらしいこと。

 義父よりも確実に長生きする。

 なのでちゃんと面倒を見てあげるやつがいないと可哀想だ。


「オウル先生、みてください! はぁああ! 火炎斬り!」


 理由2。

 なんか弟子がすごい技使ってる。

 なお俺はいっさい使えない。

 

「オウル先生、みてください、とうッ、岩砕きッ!」


 理由3。

 なんか弟子のパワーがすごい。

 腕相撲すると普通に負ける。

 まだ10代前半の子に。普通に負ける。


「オウル君のおかげで、いつもお肉助かってるわぁ」

「うちの子がいつもお世話になってます」


 理由4。

 島が俺を必要としてる。

 かつて義父が行っていた「森に入って豚を殴り殺してくる役目」をいまは二代目の俺がやるようになった。森のなか、獣を倒して、それを持って帰ってくるのはそこそこの狩猟能力がなければできないことだ。

 

「オウル先生、この前教えてもらった剣技、できるようになったよ!」

「すごいじゃないか。さすが天才だな」


 理由5。

 なんだかんだ充実してる。

 教え子の成長、満腹の子供たち。

 普通に幸せではある。

 

 人生は思い通りにはいかない。

 それが悪いわけじゃない。


 でも心残りはないわけでもない。

 俺は剣士として一流じゃないと察してる。

 島を出たって、どうせたかがしれてるとも察してる。


 だって弟子が才能ある子ばかりなんだ。

 少なくとも彼女ら彼らは、俺より剣で身をたてることに向いてる。


 だから食堂をはじめた。

 人に必要とされて、自分が満足できて。

 そうやって身の丈にあった幸せを手に入れるために。


 すべては順調だ。

 不満があるわけじゃないんだ。

 

 でも、なんか……ちいさくまとまっちゃったなって、たまに思うんだ。

 いろんな言い訳を探して、けっきょく何もしなかったんだって、心のどこかで、自分に対して「まあ、お前はその程度だよ」と失望してる気がするんだ。


「明日は早いんだ。もう寝よう」


 次の日から珍獣を捕まえるために島の反対側に向かった。

 前々から島民でさえまず足を踏み入れないエリアに興味があったのだ。

 噂ではそっちにはブラックニワトリと呼ばれるモンスターがいて、そいつの卵はとても美味しいらしい。義父が言ってた。嘘か本当かはわからない。


 町を出て1か月くらいは経っただろうか。

 俺はブラックニワトリを無事に捕獲することができた。

 

「よしよし、お前にはたくさん卵を産んでもらうぞ」

「こ、こけえ!」

「くあぁあ!」


 町に帰ってきた。


 道場の子供たちに「オウル先生すごーい! 本当のブラックニワトリだ!」「たまごいっぱい!」「先生が帰ってくるの待ってました!」と歓迎される妄想をしながら。


「うおお! オウル先生が帰ったぞ!」

「くああ!」

「こ、こけえ……」


 おかしいな。

 昼間だというのに、誰も道場にいない。

 

 探しまわった結果、町から人間がいなくなったとわかった。


 幻でも見てるのかと思いながら、家に帰ると、部屋で義父からの書置きを見つけた。


『ブラックカース島は呪われた。モンスターは凶暴化し、海は荒れ、もうじき潮のうねりはこの島に船さえ近寄らせなくなる。わしらはそうなる前にこの島を脱出せねばならん。商船団はもう出航する。オウルよ、お前がどこにいるのかわからない』


 2枚目の手紙をみる。


『もう時間だ。お前を探したが見つけられなかった。だが、お前なら死ぬことはない。その能力がある。いずれ迎えにいく。諦めるな。ドッゴを頼むぞ』


 手紙はそこで終わっていた。

 

 俺は立ち尽くす。


「くああ?」

「こけえ」


 しばらく言葉がでなかった。


 

 ──コケッコッケェェえええ!



「んあ?」


 騒がしい音に瞼を開ける。浅い眠りから今日も目覚めてしまった。

 なんだよ、夢か。これまたずいぶん懐かしい頃の夢だ。

 気持ちのよい夢だっただけに、目覚めてしまうのが残念だった。

 

「んあ~」

「くぁぁ~」

「こけええ~」


 義父に口うるさく言われなくなってもう長い。


 ベッドから起きて、部屋の壁に短剣で傷をつける。毎日、朝起きたらひとつマークをつける。


 この習慣はすでに10年モノである。

 窓の外を見やる。港に船は止まっていない。

 明日も明後日もあそこに船が来ることはないのだろう。これまでの10年と同じように。


「…………はぁ、終わりだよ、もう無理だ、もう耐えられない」


 誰もいない荒れ果てた道場。

 俺は刀を手に取り、ふりまわす。

 汗を流れる。飛び散る。喉がからからだ。


「はぁ、はぁ、はあ!」


 このまま体の水分すべてが抜け出て、干からびて死んでしまえばいい。


「はぁ……、はぁ、あぁあ! はぁ、はぁ」


 10時間以上、剣をふりまわし、夕暮れになる、腹も減った。死にそうだ。


「くぁあ〜……」


 ドッゴは口に水筒をくわえてやってきて、俺の渡そうとしてくる。


「こけえ」


 コッケは踏ん張って卵をひとつ産み落とす。


「…………ごめんな、先に逝こうとして。お水も卵もありがとな。俺、まだ生きれるよ」

「くああ~!」

「こけえ!」


 昨晩、焼いたパンと、怪物製ベーコンと目玉焼きを食べる。

 そうして1日が終わる。


「また1日生き延びたかぁ」

 

 こんな無意味な命を繋ぎながら、やがて俺は老いて死ぬのだろうな。

 事実、すでに俺はもう若くない。鏡に映る顔には中年のおっさんだ。


 前世で後悔したはずなのに、結局、納得できない終わり方をする。

 動けるチャンスはあったのに。やれるチャンスはあったはずなのに。


「あーあ、俺みたいなのじゃ、何度やり直したってダメってことなんかな~」

「くああ……」

「こけ」


 ある朝、俺はいつものように起床する。

 壁に傷をつける。またサバイバル生活最長記録更新だ。やったぜ。


「さーてと、今日は誰か迎えにきているかな!」

「くああ~!」

「こけえ!」


 チャレンジのお時間です。

 おや、向こうから船が一隻やってきますねえ。

 なかなか立派な船ですな。マストが2本もありますわ。


「……え?」

「くあぁあ!?」

「こ、こけえ!!」

「まじか、まじか! ちょ、待て待て待て! うおぁああああ!」


 俺は慌てて服を着て、家を飛びだし、港へ駆けた。



 ━━レバルデス世界貿易会社の視点



 レバルデス世界貿易会社は世界を繋ぐ偉大な会社である。

 7つの海にひろがる多くの島国はもちろん、大陸の大国たちすらこの強大な影響力をもつ商社を軽んじることはできない。


 そんな巨大なちからをもつ世界貿易会社には使命がある。

 航路を安全に保つことである。

 

 障害となるものはさまざまだ。

 海賊、季節、そして怪物。


 多くの要因を集積し、専門的に分析、航路や島やそこにある脅威を評価するのは世界貿易会社の大事な仕事である。


 発展した港都市ブルーコーストには、レバルデスの支社がある。

 この日、その支社で管轄エリアの島々に関する定期評価が行われていた。


「2か月まえより、評価済みの島は30も増えました。これは嬉しいニュースです」


 偉そうな男たちがならぶ円卓の一角に座する金色の髪の美しい女は、資料に視線を落としたまま数字を読みあげる。まだ若く、どこか幼さをもつ彼女だが、周囲がこの淑女を見るめは敬服の色をつよく宿している。


「喜ばしくないニュースもあります。管轄内の島々、航路、怪物、海賊の脅威度が上昇傾向にあることです」


 会議はいつもより緊張感をもっていた。

 

「ブラックカース島は依然として、脅威度リスクドラゴンを保っています。近海に近づかないように。航路は迂回するルートを使うようにお願いします」


 脅威度リスクは下から順に、ボアウルフベアオーガ鷲獅子グリフォン蛇王バジリスク禍狼フェンリルドラゴンと上昇する。

 脅威度リスクドラゴンというのは、考えうる限りの危険が詰め込まれた事象にたいして使われるリスク等級だ。つまり”マジで終わっている島”につけられる。


「だれもあんな島に近づきませんよ」

「あの島には特別な資源があるわけでもないしな」

「ブラックニワトリっていう珍獣がいるという噂は船長から聞いたことがあるが……」

「だからって、間違えても脅威度リスクドラゴンの島に上陸なんかしねえだろ」


 ブラックカース島。

 それは脅威度:竜を受けるもっともイカれた島の名前だ。

 かつては名もなき平和な島だったそこは、10年前より地獄と化した。


 上陸はまず不可能かつ、できても待つのは死のみ。

 近づくことすら百害あって一利なし。

 

「おしゃべりがすぎるようです」


 美しい女は目をつむりながら、厳粛な声でそう言った。

 円卓の男たちはしんと静まりかえる。


「ですが、間違えていません。あの島にはもうだれも住んでいない。置き去りにされた人間がいたとしても、すでに10年間外部からの接触は行われていません。生存者はゼロです。ブラックニワトリもついぞ見つかりませんでした。あの島はただただ、危険で、呪われていて、近づくべきではない……それだけの場所です」


 女はそう言い、会議を次の議題への進行させた。

 

 

 ──オウル・アイボリーの視点


 

 まるで期待していなかった。だってそうだろう。10年だぞ。10年間だれもやってこなかったんだ。ただ惰性で眺めるだけになっていた朝の港に、どうして船がやってくるだなんて思える。

 

 短剣を研いで、のびきった髭を剃って、髪をしばり多少なりとも身なりを整えた。


 うわ、クソきたねえおっさんだな、悪い、帰るわ! ──的な展開になったらさすがの俺も、命の恩人を斬り殺して船を奪うことになってしまうだろう。そうはなりたくない。


 港に駆けつける。

 帆船がずいーっと港にやってきた。

 

 遠目に見た通り、マストが2本の中量級の帆船。

 船体は赤茶けた色合いで温かみがある。


 船から身を乗りだし、だれかが手を振っている。

 俺はぼんやり眺めながら、なんとなく手をふりかえす。


 船が港にちかづこうとしたタイミングで、手を振っていた人影が手すりを蹴ってが跳躍した。

 俺はギョッとしながら、目の前に着地した影から一歩遠ざかり、癖で腰の刀に手を伸ばしかける。なんだこの危険人物は。


「うぅ、オウル先生、やっぱり生きてたんですね……っ」


 女は赤い髪をしていた。もふもふの耳を頭からはやし、もふもふの尻尾も生やしていた。腰には両刃の直剣を差している。しゃがんだ姿勢からすでに鋭い剣気を感じる。俺が無意識に武器に手を伸ばしたのは、目の前の女が実力者だからか。


 ん、待てよ、この赤毛、もふもふした耳と尻尾、見覚えがあるぞ。


「もしかしてラトリスか?」

「ふふ、覚えてくれてましたか……!」


 間違いない。道場に通ってた俺の一番弟子、狐族の少女だ。

 もう10年も会っていなかったんだ。一瞬わからなかった。よく考えればこの恐るべきもふもふ具合はラトリス以外にはありえない。


「オウル先生を助けにきました! 絶対に生きてると信じてました!」


 ラトリスはガバッと抱きついてきた。


「こんなに大きくなって、あの頃はこんなにちいさかったのに……っ」


 幸せな時間だった。これほど嬉しい涙を流したのは始めてかもしれない。

 ひとしきり泣くと、彼女が力強く抱擁していることが気になりはじめる。彼女はもう幼い子供じゃない。立派なレディだ。


 ラトリスはさらに頭を胸に押し当ててくる。ピクピク動くもふもふの耳が顎のしたあたりを攻撃してきてわずらわしい。ええい、くすぐったい。


「ラトリス、そろそろ手を離しても大丈夫か?」


 ラトリスは俺の胸におでこをこすりつけながら首を横にふる。

 正直、俺、もうおっさんなんだ。認めたくないが、たぶん臭いと思う。お願いだから離れたい。10年前のまだギリ青年っぽさのあった爽やか師範代のイメージを崩したくない。いや、いまさら何を格好つけるんだって話なんだけどさ。


「フガフガ、フガフガ……オウル先生の濃度100%の香り、これはあの頃、盗んでは嗅いでた青春の香り……」


 ラトリスはぼそぼそ言いながら、鼻息を荒くし、もふもふの尻尾をパタパタ動かす。


「なんだなんだ、ど、どうした!?」

「あぁ、いえ、発作です」

「発作……?」

「狐族では普通のことですね。たまにあるんです」

「へえ、そうなのか」


 たしかに狐族ってもふもふ耳とか尻尾が生えてるし、身体の構造もけっこう人間族と違いそうではあるもんな。思えば、記憶のなかのラトリスも俺の使ったタオルをもっていって、物陰で鼻息を荒くしてたことがあった気がする。


「とりあえず、腰を落ち着けよう。ラトリスは知らないかもしれないが、いまの体勢はあんまりよくない」

「わたしはまったく気にしませんよ、オウル先生?」


 キリッとした顔をするラトリス。


「いいや、よくない。この姿勢じゃ、怪物が奇襲をしかけてきたときに反撃ができない」


 すぐに腰の刀に手を伸ばせない。

 

「この島は、この埠頭でさえわりと怪物が歩いてることがあって……あっ」


 言ってる傍から、埠頭と陸地をつなぐ入り口に怪物がいた。


 八つの脚をもった蜘蛛みたいなやつだ。体長は8mを越える。胴体まるごと口なんじゃないかと思うほど、ぱかーっと開くクソデカい口と、ずらりと生えそろった牙は凶悪で、突っ込んできてはこちらを丸のみにしてこようとしてくる。あとちょっと糸を飛ばしたり、酸を吐き出したり、魔法とか使ってくる。この島ではそこそこ見るやつだ。


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