英雄の剣と理合の剣
──ラトリスの視点
ソレが視界に映ったとき彼女の肌にビリッとした刺激がはしった。剣を鍛え、練りあげた実力者ゆえ、ソレの危険性を察することができる。否、彼女でなくとも、ソレの危険性などみればわかるだろう。雄弁なほど凶悪で邪悪な面構えをしていれば。
「あれは危ないやつだ。俺はやつをビッグマウスと呼んでいてだな──」
ラトリスは大きく目を見開く。
(海の七怪物だ……”無限喰らい懐蜘蛛”……。伝説級の怪物が闊歩してるなんて……覚悟はしていたけどこの島、やばすぎるわ)
こんな形で遭遇するには最悪以上の言葉が見つからないレベルの怪物だった。
古い遺跡や、戦場跡、森のもっとも深いところに生息している悪魔のような存在であり、十分な情報収集と討伐計画、人数と装備を整えて挑むべきとされている。人口1万人の都市をこの怪物1匹で滅ぼした伝説さえ残っているほど。
ラトリスはオウルとそっと押して、怪物へ一歩進みでる。腰の剣をぬきはなち、もふもふの耳をロケットみたいに後方へひきしぼる。これは彼女が集中するときの癖だった。
「先生、見ていてください、わたしの成長を」
(悪いタイミングだけど、良いタイミングだよね。無限喰らい懐蜘蛛なら4年前にひとりで討伐したことがある。それも相手の巣で。何カ月も討伐計画を練ったうえでの死闘だったけど。だからこそ要領も手の内もわかってる。ここはやつの巣でもないし、わたしはあの時よりずっと強くなってる。倒せる)
黒い怪物は埠頭の看板をなぎ倒しながら、駆けだした。
ラトリスは真正面から迎え討つ。
地を蹴ったあとには、彼女の脚力に耐えかねてひび割れた亀裂が広がる。常人を逸脱したパワーで弾かれた身体は、またたきのうちに怪物に接近、両手で握りしめた刃は、埠頭をバターのように裂きながら下段から斬りあげられる。
鋼刃のアッパーカットを喰らって大きな口を閉じざるを得ない蜘蛛。それどころかラトリスより遥かにおおきな巨躯がふわっと浮いた。信じられない光景だ。
砕けた地面と火花が散り、怪物の突進がとまり、ラトリスは直剣を構え直す。
オウルは冷汗をかきながら、激しい剣技に見入っていた。
(なんて力……まさしく
覚醒した魔力からくりだされる人間を越えた力。
それを剣に託し、解き放つ。英雄にだけ許された戦い方だ。
オウルのそれとはまったく違うやり方でもある。
ラトリスは手に伝わる強烈な痺れをねじふせる。彼女の周囲に赤い揺らめきがぽわりっと現れた。燃えるようなオーラだ。彼女がまとう魔力が、練りあげた剣気の影響を受けて属性をもったのだ。
(硬い。わたしが前戦った個体よりずっと。想定外だけど、大丈夫)
ラトリスには第二の刃があった。10代のときにすでに完成させ、今では大きく発展させた奥義が。彼女が武の道で見出した燃ゆる剣の名は────
「
ラトリスの赤い瞳が、砕くべき黒い甲殻をするどく睨む。
狙いは定めた。燃える魔力が刃を太陽のように輝かせた。
直後、太陽の一太刀は空間に一筆書きの赤い十文字を描きだした。輝く斬撃痕がその通り道にあった一切合切を、無慈悲に、不条理に、容赦なく断ち斬った。
英雄の破壊。あらがえる生物はいない。尋常なら。
火の粉舞うなか、汚い牙の生えそろった口がパカッと開いた。
「あっ……」
下顎と上顎はさきほどの燃える斬撃でおおきく破損しているが、そんなものお構いなしとでも言うようだ。ラトリスは己の浅慮を悔いた。
(あぁ、何してるんだろう、わたしは。見た目が同じだからって、前倒せたからって、敵を見誤った。ここはあのブラックカース島なんだわ。この蜘蛛……火を怖がらないし、今の斬撃で怯まない、わたしが戦ったやつよりずっと生命力がたかい)
張りきっていたこと。倒した経験があったこと。たいていの獣・怪物は火炎を恐れるという知識があったこと。それと積みあげてきた自信──そんなもの、この呪われた地獄の島では何の役にもたちはしない。
「くあぁあ!」
「こけえ!」
優しき動物たちの悲鳴。ハッとする。
ラトリスは視界にわりこんでくるオウルの姿に気づく。
美しい乙女の上半身は噛み千切られ、凄惨な光景がおとずれると思われた。
だが、間に割ってはいったオウルが運命を変えた。
彼は刀の先で蜘蛛の突進噛みつきを受け止めた。否、受け止めたのではない。逆だ。止めない。突進するエネルギーをまったく止めず、巧みに流れを変化させる。
彼はそうしてひき殺される運命にあったラトリスから蜘蛛をそらし、ひょいっと勢いそのままに埠頭の海側へと案内した。まるで暴れ牛の突進をいなしたかのような一見して、理解しにくい力の誘導でやりすごした。
ラトリスは息を呑み、ぴたりと固まった。
怪物は止まらない。埠頭をゴロゴロと横転しつつ、すぐに姿勢を立て直し、再び突っ込んでこようとする。
だが、思うように前に進めない。なぜならすでに右側面の脚3本が失われているからだ。
オウルは短く息を吐き、サッと近づく。
(4本飛ばしたつもりだけど、ちょっとミスったな。まあ十分か。魔法モードになる前にしばこう)
オウルは噴射される糸を刀でかるくいなし、軌道を変化させ、自分にあたらないようにし、蜘蛛の切断された口へ刀を深く刺しこんだ。
ラトリスの攻撃が傷つけた箇所へ、裂傷をえぐるように深々刺さった剣は、奥深くに到達し、息の根をとめた。オウルは刃をひねり、グッ! グッ! と押しこんでしっかりと怪物が死んだことを確認する。
ラトリスは忘れていた息をとりもどし、深く空気を吸いこんだ。
(健在どころか、以前よりもさらに増しているわ……先生の
それは英雄の剣ではない。
誰にもまねできない最高の師だけが辿りつた剣の境地だ。
ラトリスが畏怖畏敬の眼差しをむけ、頬を高揚とさせていた。
──オウル・アイボリーの視点
恥ずかしい。ラトリスの戦いぶりのあとでこんな小細工みたいな剣を披露することになるなんて。
俺は振りかえるのが気まずくて、何度も何度もグッ! グッ! とビッグマウスに剣を押し込んで「よし! ん! よし! よーし、死んだか? よーし!」と壊れちゃった人みたいに言葉をくりかえしていた。
彼女の剣、すごかった。昔よりおおきく成長していた。
あの頃からすでに俺より腕相撲は強かったし、火炎斬りとかいう俺の全然知らない新技もつくってたし、俺の使える剣技は全部使えていた。
今の戦い、まさしく脱帽だ。
見たか? ビッグマウスを押しかえしたんだぞ?
この硬い甲殻を剣で破壊してみせた! なんかピカッ! って光ってたし。
覚醒した魔力を解き放てないとあんな力は人間にはだせない。
ラトリス、あの子は間違いなく覚醒者であり、英雄になるべき子だった。
他方、俺は……今日にいたるまで、ついぞ魔力に覚醒していない。
魔力に次々覚醒していく弟子たちをみて俺は悟った。
この世界では魔力に覚醒することが、武で立身出世する最低条件なのだ。
丸太を簡単に叩ききれるような腕力のやつと、どう渡り合えばいい?
俺にはとてもそんなことはできない。丸太を斬るにはのこぎりでギコギコしないといけない。それが俺の常識だ。覚醒者とはちがうんだ。
では、弟子たちが力任せの脳筋だったかというと全然違う。
みんな剣の技術もすごかった。スポンジみたいにどんどん吸収していった。前世での剣道経験を加算していいなら元々10年分くらい剣の経験があった俺だが、そんな俺より技術の吸収速度はずっと早かったように思う。
そのことに気づいたとき、俺の剣の道は終わったのだ。
俺は剣の道を捨て、料理人になることになった。
おかげで充実した日々を送れた。
「オウル先生、流石です!」
「ん、あぁ」
ラトリスが話しかけてきた。
これ以上、グッ! グッ! してるわけにはいかない。
「まさしく神業! この世界に先生の右にでる剣士はいません!」
「ぁぁ、あはは、ラトリスは嬉しいことを言ってくれるな。ありがと」
この子は昔からこのオウル・アイボリー先生を褒めるのが上手いんだ。この子だけというわけでもないか。みんな俺を良いように言ってくれる。
「突進の力を受け流して、無限喰らい懐蜘蛛自身のちからで、足を斬ったのですね!」
ラトリスにはやはりバレてしまうか。恥ずかしい。
俺は自分のちからがないから、こういう方向性の剣を選ぶしかなかった。
防御して耐えるだけの足腰や体力がないから、力を逃がすことをずっとやってきた。怪物の分厚い脂肪や毛皮を断つ腕力がないから、落下のちからや、相手の突進力など受け流してちからのベクトルを返報させることで、攻撃を成立させる。
俺の剣は、いうなれば弱者の剣なのだ。
「あの一瞬でちからを跳ね返して、3本も足を斬って、完全に自由を奪うなんて! 7つの海を渡っても先生ほどの剣士は絶対にいないです!」
「そんな持ち上げられると困るけどな。ラトリスだって使えおうと思えば使えるわざなんだし」
道場の門下生はみんな履修済みの技だしな。
「わたしが? いや、できるわけが──」
「とりあえず、こいつが新鮮なうちに処理しないと」
「処理? 処理ってどういうことですか?」
「そりゃあもちろん、美味しくするためのだ」
「……オウル先生、まさかこの蜘蛛を」
「あぁそうとも。こいつは貴重なたんぱく源だ。余さずいただくぞ」
ビッグマウスは処理に時間がかかるが今からやれば、夕飯には間に合う。
さて、どんなメニューにしようか。久しぶりに弟子にふるまう飯だ。
そうだな、ラトリスには素材の味をぜひ楽しんでほしい。あれしかないか。
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