レモール島
ラトリスのほうはめっちゃ熱そうな鎖をふりまわしてる大男を相手してたが、見事に倒せたらしい。鎖の挙動がおかしかったし、あれが魔法の道具であることは疑いようがない。暗黒の秘宝の所有者だったのだろう。
俺のほうは脇役にふさわしい仕事をしておいた。
海賊といえど、剣術の心得をみなが修めているわけではなかった。なので単発式の銃を撃ち切れば、あとはただ剣を握ってるだけの素人も同然だった。戦力としてみればかつて道場にいた弟子たちとは比べ物にならないほど弱かった。
戦いが終わると、ふくよかな男が俺に話かけてきた。
「あんたら海賊か」
「そうなるな。あんたは?」
「俺がこの商船の船長だ。つまるところベンデッドに捕まって、怯えることしかできなかった無能というわけだ」
「まあ、あの恐そうな海賊じゃ下手に抵抗しなくて正解だったんじゃないか」
暴力をふるうことにまったく抵抗ないタイプだったようだし。
「あんたたちのおかげでどうにかなった。人助けしてくれる海賊もいるんだな」
「俺たちは人道的な海賊を目指しててな。悪党といっしょにしてもらっちゃこまる」
人助けをするというのは気分がよいことだ。適当にかっこうをつけていると、船長は感心したように顎髭をしごいた。
「そうかそうか、人道的な海賊か。それは面白いな。海賊のあんたにこんなことを言うのはおかしなことかもしれないが、なにか礼をさせてくれないか?」
奇妙なもので、俺たちは商船からお礼として食料と酒類をいくらか譲りうけた。
それで気をよくしたわけじゃないが、俺とラトリスは海賊船のほうに残っていた件の海賊ベンデッドの手下もしばいて、縛っておいてあげた。
放っておけば、この海賊たちはレバルデス世界貿易会社に連行されることになるとのこと。暗黒の秘宝を獲得するついでに海のゴミ掃除をしたと思えば気分が良い。
いただくものをいただいて商船を離れる。
海霧を突破すると、晴れやかな空と海が広がった。後部甲板から後ろを見れば、海上にクリームみたいな雲がこんもり盛られてるように見えた。
あれはリバースカース号が備えている魔法でつくりだされた霧だ。あれによりこの船は商船に最接近するまで気配をさとられることがなかった。魔法とはまこと便利なものだ。
「わあ、強力な魔法の道具なのです! 写真にとっておきましょう!」
「お姉ちゃん、触っちゃだめだよ」
セツとナツは甲板のうえに転がされた暗黒の秘宝に興味津々の様子だ。
ラトリスは宝箱をもってきて、暗黒の秘宝をすぐに収納した。
「暗黒の秘宝はその強大な闇のちからで人間の在り方を歪めてしまいます。強大な魔力を与える代わりに、思想や性格まで変えて暗黒に傾倒していくんです」
宝箱のなかの禍々しい鎖がこちらを惹きつけるように囁く声を放つ。
「声が聞こえるんだが」
「なんて言ってます?」
「『力が欲しいか? 我がそれを与えてやろう……』みたいなことだ」
「なるほど、いまはオウル先生を次の所有者として誘ってるみたいですね」
「これに乗るとまずいってわけか。人間が手にするべきじゃないって意味がわかった。いかにも身を亡ぼす呪いって感じだ」
ラトリスは宝箱の蓋をパタンッと閉じた。
途端、声はしなくなった。この箱には暗黒の力をおさえる機能があるらしい。
禍々しい鎖が船底の宝物庫に安置された。
すると、船が軋みはじめ、うなり声をあげる。
「リバースカース号の魔力が上昇してるみたいです。船が変形しきるまえなら、その進化にわたしたちの願望を載せれますよ。オウル先生、どうぞ、こちらへ」
後部甲板にのぼり、舵にそっと手を置く。
温かい魔力の波動を感じる。
ここに思いをのせるのか。
ラトリスに事前に言ってあった通りに、俺は水・食料の保存を願った。
やがて船は海上でその形を変えはじめた。
船体の木材が内側から膨れるようにべきべき割れていき、より強固に、より大きくなっていく。手すりや舵など。手で触れる箇所は艶がでてきて、マストはちょっと高くなって、帆が分裂して増えて、より複雑に効果的に風を掴めるようになる。
すべてがおさまった。
「す、すごいな……」
「えへへ、楽しまれたようでなによりです」
船内に入り、皆で積荷の位置調整がはじまった。船がデカくなった分、ところどころで不具合が起きてる。しっかり固定したつもりの荷物がずれてたりとか。
俺は新しく増設された調理場を発見した。
調理場の隣にはおおきな倉庫があり、そこはかなり肌寒かった。
「まさか冷蔵庫? 思ったよりデカいの用意してくれたな」
「それは時間倉庫でございます、ミスター・オウル」
背後から声をかけてきたのはゴーレム・ニンフムだった。
「扉を閉めると、この倉庫のなかは時間が停止いたします」
「それは……それはすごいな」
俺が期待していた以上にスピリチュアルな代物だった。
「ただし、時間を完全にとめるには船の魔力のほとんどを使います。それでもさほど止めることは叶いません。時間に関する魔法はおおくのリソースを使いますので。なので、必要な分だけ、時間の流れを遅らせてご利用いただきたく思います」
「あぁなるほど。これはご丁寧にどうも、ミス・ニンフム」
「わたくしのことはただニンフムとお呼びください。人間ではございませんので」
「ミス・ニンフムと呼ばれるのは嫌いなのか?」
「いえ。被造物たるわたくしに敬称は不要という意味でございます」
「わかった。考えた。それじゃあ、ミス・ニンフムと呼ぶことにするしよう」
「……。そうですか。では、ご自由にどうぞ、ミスター・オウル」
ミス・ニンフムは続いて調理場の説明もしてくれた。
こちらにも科学的な機能より、魔法的な機能が多く備わっていたが、おおむね俺が理解して利用できる範囲であった。まあかなり小規模なものだったが。できればもっとおおきい調理場が欲しかったが、文句を言っても仕方はあるまい。
「わあ! すごいすごいすごいのですっ! 見たことないものがいっぱい増えてるのです! 全部、撮っておきましょうっ!」
「ぴかぴかしてる」
「まさか、オウル先生が望んだものというのはキッチンと倉庫ですか?」
ラトリスと双子が調理場の入り口にたって目を輝かせていた。
「あぁ。俺もなにか役職がほしくてな。船旅で役立つこと技能なんてなにも備えてないが、メシを作ることなら、多少はできるんでな」
「オウル先生のごはんが船のうえでも食べれるなんて。えへへ、想像したらヨダレが……」
俺はただ乗ってるだけのおっさんから船舶調理師という役職をなれた。
それから数日後。
ブラックカース島を出発してから数えて1週間くらい。
リバースカース号は当初の目的地であったレモール島にたどり着いた。
「けっこうおおきい港じゃないか。ブラックカース島って言うほど辺境じゃなかったのか?」
秘境という感覚だったが、栄えてる街のひとつ隣くらいだったかもな。東京の隣の埼玉みたいなポジションのさ。
「おじいちゃん、それは違う」
ナツは眠たそうな目で見上げてくる。
「この船は超快速。並みの船ならここからブラックカースまで3週間はかかるよ」
「そっか。ナツは物知りだな。おじちゃん、あんまり学がないからわからなかったよ」
ちゃんとおじちゃんにアクセントを置くことを忘れない。
船長室に足を運ぶと、ラトリスが海図のうえに羅針盤を置いて、小難しそうな道具をひろげていた。
「どうだ、次の行き先はわかったか?」
「うーん、まだ何とも。針が定まらないみたいで」
海図のうえの羅針盤はくるくると回り続けている。
「メギストスが確実にいたブラックカースから10年前の闇の足跡にあわせて、追跡指針をはじめたのですが……このとおりです」
「ふむ。もしかしたら、全方位にその、なんだ、闇の足跡みたいなものがあるんじゃないのか?」
「全方位?」
ラトリスが食いついてくる。まるで賢者の言葉に耳を傾けるような真剣な眼差しで。しまった。すべての方向を示しているので、なんとなく口走っただけなのだが。
「なるほど、流石はオウル先生ですね」
「ぇ?」
「つまり、メギストスはこのレモール島に滞在してあちこち歩き回ったせいで、闇の痕跡も沈殿し、一定量とどまっていると。いまわたしたちはメギストスがのこした黒い靄の、その内側にいるから全方位に闇の魔力の反応があるということですね?」
「……。まあ、そういうことだな(訳:そうだったのか……)」
ラトリスはひとりでに魔法使いの言葉を思い出し、羅針盤の故障ではないと結論をだした。いわく羅針盤は今この地にある10年前の闇の魔力を探っている状態なのだと。羅針盤はいずれメギストスの足跡を定め示すだろう、と。
「オウル先生はいまだにわたしの道を光で示してくれるんですね」
どう考えてもラトリスひとりで答えにたどり着いてる気はする。
しかし、俺と言う人間は浅ましいもので、いまだに弟子の前でかっこよくいたがっているようで。だからだろう、「まあこれくらいはな」と澄ましてしまうのは。
ミス・ニンフムが船に残ってくれるとのことで、俺たちはそろって船を降りた。
「彼女ひとりで大丈夫か?」
「大丈夫ですとも、オウル先生。ニンフムはリバースカース号のうえにいる限り、世界のどんな凶悪海賊もあの船に手をだすことはできません」
ラトリスが言うのなら信じよう。
ブラックカースにあった港より遥かにおおきな埠頭には、何隻か大型の帆船が停泊していた。水夫たちは木箱と樽を、椅子と机代わりにしてカードで遊んでいる。
小型の船たちは帆船らと対を成すようにずらりと並び埠頭の一角を占領していて、そのまわりでは漁師たちは竿やら網やらを手慣れた所作でいじくっていた。
「ここがレモール島か」
「特産はレモンと羊毛らしいのです!」
「レモン? レモンか」
レモンと聞いた途端、ピンときた。大航海時代において恐れられた病気・壊血病があったという。社会の教科書が俺の記憶に刻んでくれた数少ない知識のひとつだ。医者でもないし、博識でもないので、それがいかなる原因で引き起こされるものか知らないが、解決策のほうは知っている。ビタミンCだ。それだけ知ってる。
リバースカース号の食を預かるものとして、ぜひ健康な食事をしてもらいたい。食べ物を工夫して避けられる病気なら、それは俺の管轄内と言えるだろう。
そういうわけで俺はひとまずレモンを手に入れることにした。
やってきたのはひとがたくさんいる市場だった。
市場。ブラックカースのそれとはけた違いの規模だった。
今朝獲れたのだろう新鮮な魚が並び、果物がさまざまと籠に盛られている。
生産されているのは別にレモンだけではなさそうだ。
時間倉庫があるので、保存性能だけで食を選ぶ時代にわかれを告げることができる。俺はわくわくした心持ちで物色をはじめる。
なお、お財布はラトリスから貰っている。リバースカース号の資金状況はまだいくばくか余裕があるとのこと。
「オウル先生、どうぞこれでお好きな食材を買ってください」
尻尾をふられながらラトリスにそう言われた。
しかし、いざシルバーを受け取って、弟子の金で好き勝手買い物するとなると、なんだろう、自立してる娘に金の融通をせびってるダメな父親の気分になる。
「久しぶりに貨幣経済にもどってきたな……俺、上手に買い物できるかな」
わりと不安もあった。
なにせブラックカース島には貨幣経済がなかった。
貨幣を使うのは商船が寄港した時くらいで島の内部では物々交換が基本だった。
思いだせ、前世じゃ資本主義世界で立派に生きてただろう。
まずは相場を調べよう。市場をぐるっとまわってみて、物の値段を知るのだ。
大事なリバースカース号の航海資金だ。ぼったくられないように慎重にな。
ひとりで市場をほっつき歩き、さまざまな店の店主に「これはなんていう果物だ?」「こっちはなんていう魚なんだ?」と質問だけして、冷やかしては嫌な顔をされるということを何度も繰りかえし、そろそろ実際に買い物しようか──そんなことを思った矢先の出来事だった。
「きゃぁああ!」
悲鳴が聞こえた。市場に緊張感が走る。人々が騒いで逃げる騒動の中心地、粗野な男たちがサーベルやら短銃やらを手にし、声を荒げていた。
暴力の香りを放つ男たちのまえ、ひとりの少女がムッとした顔で面とむかっている。スラっと背の高い少女だった。豊かな膨らみのうえにペンダントをさげている。亜麻色の髪は陽光をあびて明るくひかり、整った顔立ちはまるで怯む様子はない。
ただ、彼女がどれだけ威勢よくいようとも、使い古された帯剣ベルトに立派な剣をさげていようとも、たぶん今は喧嘩をしないほうがいいだろう。
なぜって? だって彼女はいまギプスをしていて、片腕がふさがっているのだから。たぶん腕を骨折してるんだろう。片腕じゃあの大きな剣はふりまわせない。
「あんたたち、私の目が黒いうちはそんな不道徳なマネ許さないよ!」
少女は威勢よく叫ぶ。
「そっちがぶつかったんだから、おばあちゃんにちゃんと謝りなよ!」
ん、どうやらあの少女はかたわらで怯えた表情でへたりこんでる老婆をかばっているようだ。
「てめえ、生意気な口をききやがって生娘が!」
「俺たちがだれたかわかってんのか? んぁあ?」
「兄貴、ちょうどいいですぜ、この女、剥いちまいましょうぜ」
「そうだな。俺たちゃ海賊、アンブラ海で震えあがらせるウブラー海賊だぜ。おおっと、名を聞いていまさら怖気づいたって遅いぜえ? この俺たちに逆らうやつは、しっかりと見せしめにするのが俺たちのやり方でなぁそりゃもう──」
粗野な男が言い終わるまえに、その脳天は叩き潰されていた。少女が抜剣した幅広の剣腹──クレイモアによって。ハリセンでツッコミいれたみたいになってるが……抜剣速度、振りあげてから降ろす速度、イカれてる。信じられない怪力だ。
「ぶはぁ!」
しゃべってる途中でぶっ叩かれたせいだろう。ぺらぺら話してたリーダー格の男は、舌を噛んで、大量に吐血し、白目を剥いて、崩れ落ちた。すごく痛そうだ。
少女は片手でふりおろしたクレイモアを地面につきたて「ふん!」と鼻を鳴らす。
俺はそのさまに既視感を覚えた。その横顔、声、所作、シチュエーション。
あぁ、そういえばあの子もこんな風に島で悪党をしばいていたような──。
「あんたらがウブラー海賊なんだ。ふーん、だったら話ははやいね! 私はクウォン、今の目標はウブラーを壊滅させること! かかってこい、全滅させてやる!」
「このクソ女、いきなり兄貴になにしやがる!?」
「イカれるのか!?」
「後悔させてやるッ! てめえらやっちまえ!」
少女と海賊たちの乱闘がはじまる。市場の者たちは悲鳴とともに逃げ惑う。銃声と刃がぶつけあわされる音が響きわたる。皆が騒動の中心地から離れるなか、俺は刀に手を伸ばし、すぐさま少女のもと駆けた。
「助太刀しよう」
「ん! おじさんありがと! 助かるよ!」
乱闘に飛びこみ、ふたりで海賊をしばき倒した。
商船での戦いから、海賊とは『武器をもった素人』だと見聞を得ていたが、この男たちにも例外なく、ただ力任せにサーベルを叩きつけてくるだけだった。
それなら軟弱であろうと剣に打ち込んできた俺に倒せない道理はない。
「ふうー、片付いたね。いやあ、おじさん助かったよ! すごく強いんだね!」
「まあ多少は戦えるさ」
少女は笑顔でこちらへふりかえり、キラキラとした汗を手で拭う。
俺を見る彼女の顔が、みるみるうちに神妙になり、やがて眼を見開いた。
「久しぶりだな、クウォン」
「うわああ!? えええええ!? ど、どうして生きて、えええ!?」
驚愕に顔を崩す少女──アイボリー道場でもっとも強かった弟子・クウォンは、一歩、二歩と後ずさり、口をおさえて大声で叫んだ。
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