魔族
聖暦1430年9月9日、レ・アンブラ王国最南の港湾都市ブルーコーストに突如として暗黒の船が出現する。
出現後間もなく同船による壊滅的な無差別砲撃がはじまる。攻撃は沿岸要塞を中心に広域にわたっておよび、ブルーコースト沿岸部は蹂躙されはじめた。
暗黒の船出現時、騎士団長レイニは市庁舎にいた。朝から都市長ウィゴ・ブルームにより呼び出されて、ラトリスを基地内にかくまっていることについて苦言をていされていたのだ。不毛な問答と拘束はすでに数時間におよんでいた。
その真意が騎士団トップを市庁舎に釘付けにしているうちに、シャルロッテ率いる海賊狩りによるホーンドホエール基地の強制捜査をおこなうことにあろうとは、レイニをしてまったく想定していなかった。
「都市治安維持隊総員でもってあの海賊船を迎え討て! 舐めたマネをしたツケを必ず払わせろッ!」
都市長の一声で兵士たちが出動していく。
「迎撃準備できてる艦は全部出て、あの船にこれ以上好き勝手させないで」
レイニは付き添いのポー副団長へ指示を飛ばした。
ポーはいかめしい顔でうなづき、一礼して足早に出ていこうとする。
「待て、まだ話は終わっていないぞ、レイニ団長殿! ポー副団長も止まれ!」
ウィゴ・ブルームの怒声が響き渡った。
「角鯨の騎士団がブルーコーストで戦闘行動をとる場合、都市長である私の指揮下にはいってもらわねばならん! これは都市法に明記されている内容で、陛下との約束ごとだ!」
王の兵である騎士団が、貴族の領地にこれだけの戦力と基地を有することができているのは、執行能力の制約があるからであった。少なくともブルーコースト内での大規模な軍事力をもちいた戦闘行動は勝手にはおこなえない。
「そんなこと言ってる場合じゃない」
「いいや、緊急時であろうと秩序をもって動くのが軍隊だ。あの戦列艦を動かしたいのだろうが、ならば都市最高指揮官である私の指揮を待ってもらおうか、レイニ団長殿」
ウィゴはニヤリと笑む。彼には良い考えがあったのだ。独善的な良い考えが。
(私の言うことを聞かない軍事力がこの都市にあることがずっと気に喰わなかったんだ。角鯨の騎士団のなかでも特にこのクソ生娘の態度は目に余る。これは良い機会だ。王国海軍の無能を市井に印象づけよう。ブルーコーストをあの海賊船から守るのは、都市治安維持隊でなくてはいけない。王国海軍の地位を揺るがすためには、民意が必要だ。やつらに動かれてたまるか)
「勝手なマネは謹んでもらおうか、騎士の方々」
「それはこっちのセリフ。あなたは都市を守りたいんじゃないの」
「この都市は私の都市だ。領地の防衛は、領主の兵でおこなう。騎士の方々は古臭い習慣にでものっとって茶菓子でも楽しんでいるといい」
(都市治安維持隊は沿岸要塞をそなえている。向こうの大砲が届くならこちらの大砲も届くというものだ。海賊なぞ私たちだけで返り討ちにしてくれる。なにより、最悪の場合は、シャルロッテ船長率いるギレルド王子の駆逐号がある。あの最強の狩猟艦で木っ端みじんにしてもらえばいい)
攻撃開始より間もなく、都市長ウィゴ・ブルームは都市治安維持隊を動員し沿岸砲による反撃を開始した。しかし、その時にはすでに沿岸要塞は各部の崩落により、その機能を十分に発揮できなかった。暗黒の船の砲撃は非常に強力なものだった。
都市治安維持隊の砲兵たちが台場で悠長に砲弾をこめている間に、バカスカと黒い船から撃たれては、台場も要塞も破壊される。ウィゴとレイニたちはそんなさまを市庁舎の見晴らしのよいベランダから眺めていることしかできない。
「クソッ! どうなっているんだッ! 沿岸砲を食らわせてやればいいだけの簡単な話だろう! なんでそれができないのだ、無能どもめッ!」
「台場が破壊されてる。あれではカノン砲を適切な位置から放てない。それに練度が足りてない。あなたの兵士はこの都市を襲われた時の演習を十分に積んでいないみたい。これじゃすべてを破壊されてしまうよ」
「黙れッ! ブルーコーストは私の都市だッ!」
「ん、普通に黙らない。ウィゴ、あなたはわかってない。あれはただの海賊じゃない。暗黒の船だ。こんなことをしていては本当にすべてを奪われてしまうよ」
「連絡兵! レバルデスに応援要請をだせ! 武装帆船による攻撃行動の許可を彼らにあたえろ!」
レイニはちいさくため息をつき「ん、まずいかも」と、海上を鋭い目つきで睨みつける。黒い船から小舟がおろされようとしているのだ。
(上陸してくるつもりだ。普通に考えれば正気の沙汰じゃない。一隻の戦力で都市を制圧できるわけがない。でも、相手は暗黒の船と魔族。彼らにはそれができる)
「ん、ポー、潮時だ」
「ですが、団長……その都市長はマヌケですよ(小声)」
「それじゃあ、こうしよう」
ちょうど流れ弾が市庁舎に直撃した。
ウィゴは「うあぁあああ!?」と悲鳴をあげ、頭を伏せる。
砲弾は隣の隣の部屋に命中しただけだ。
レイニは「やっ」と、ウィゴの首裏に手刀を喰らわせた。
「ん、これは困った。最高指揮官は気を失ってしまったみたい」
「指揮権の順位が戻ってきましたね。すぐに戦列艦を動かします」
「さっきこっそりシマエナガを飛ばしておいた。基地で出撃準備ができてるはず」
「いつの間に? こういう時は流石に頼りになりますね」
「そっちはお願いする」
「団長は?」
「上陸するやつらを押さえてみる」
(あれが本当に暗黒の船なら、もっとも恐るべきはあの紫炎を吐く火砲たちではない。その船員たちのほうだ)
「わかりました。お気をつけて」
「ん、気をつける」
レイニはマントをバサッとひるがえし、剣帯ベルトに差してあるロングソードを一本抜き放つと、それを握りながら、ベランダを飛び降りた。けっこうな高さがあるが、彼女の身体は不思議にも自由落下とは思えないほどふわりと降下した。
逃げ惑う市民と、流れてくる砲弾が街を破壊するなか、逃げる人波を避けて、港へと駆ける。見晴らしのよい位置までくると、指を立て、海上に浮かんでいる暗黒の船のスケールを図る。そして、ぽかんッと口を開けて呆けてしまった。
(大きすぎる……四層甲板、砲門は片舷側だけで……90門以上……)
大砲の数はそのまま船の戦闘能力を意味する。
レイニの脳裏に比較でよぎったのは、自分の船、角鯨の騎士団の旗艦リ・ブルーホーン号の武装だ。カノン砲16門と半カノン砲28門。合計44門。それがレイニの船の武装のすべてだ。レ・アンブラ王国海軍一等戦列艦としては標準的である。
「ん、納得。どうりで襲われた船が木っ端微塵になるんだ」
規格外という言葉がこれほどふさわしい船はない。
人類の尺度であの船は設計されていないのだ。
暗黒の船が鈍い炸裂音とともに、紫の炎を吹いた。
再び砲弾の雨が街にふりそそぎ「なんでも良いからぶっ壊す」と言いたげに、あらゆる建造物へ破壊の波を伝播させていく。
「うああぁ! こっちに弾が飛んでくるぞぉぉ────!」
悲鳴の地点へレイニは駆け、飛んできた砲弾を、魔力を纏ったロングソードの刃で受け流し、軌道をずらし、悲鳴をあげて駆けている市民たちの避難経路を守った。
「あぁ、ぁあ! 騎士様、ありがとうございます……!」
「ん、はやく避難して」
レイニは沿岸部へ向き直り、銃声が爆発音が絶え間なく響いている戦場へ急いだ。
小舟が港に到着する。
それを最初に迎え撃ったのは都市治安維持隊だった。
彼らも接近に気が付いていちはやく沿岸部を固めにきたのだ。
「なんだあれは……」
都市治安維持隊を率いる青年、兵士長クルドは顔をしかめる。
小舟で上陸してきたそいつらは、人間ではなかったのだ。
大きな体躯をもつ個体や、異常発達した部位をもつ個体が多い。なかにもとても痩躯な個体もいる。それらは各々異なる容姿をしているが、共通点として、邪悪な角があり、黒く濡れたような肌をもち、醜くおぞましい顔立ちをしていた。
これは半世紀以上ぶりの人と魔族の邂逅であった。
「気色の悪い怪物どもめ、人間の都市に攻めいろうなど身の程をわきまえろ!」
長銃隊数十名が狙いをつけて、上陸直後の魔族をいっせいに撃った。
鉛玉の雨がふりそそぐ。魔族たちがバタバタと倒れた。
クルドはしてやったりと鼻を鳴らす。
その表情はすぐに曇ることになった。
魔族たちはのそのそ立ちあがったのだ。
銃弾の衝撃力で倒れただけのようだ。命を奪えてはいない。
生命力は人間のそれではない。
「クダラン」
痩躯の魔族は人の言葉ではき捨て、次に人では聞き取れない鳴き声を発すると、上陸した魔族たちはいっせいに走りだした。牙の不揃いな口から汚いよだれを吐きながら恐ろしい鳴き声をあげ、ドスンドスンと駆けてくる。
「抜剣! 怪物どもを迎え討て!」
兵士たちはサーベルを手に挑んだ。
その結果は悲惨であった。
魔族たちの装備は武骨な剣と盾が標準的だった。斧やフレイルを備えている者も珍しくない。腕が複数ある個体は、手の数だけ武器をたずさえている。彼らの大振りな武器は人間の兵士をいともたやすく破壊した。
兵士長クルドは攻撃をかいくぐり、魔族の前衛の腹へサーベルを深く突き刺す。
「ブルジュルル、ヴォォォオ!」
黒い涎を吐きながら、クルドは力任せに手ではらいのけられ、宙を舞った。
「化け物め……!」
「ブァイガボオル」
その時、身の毛もよだつだみ声が聞こえた。痩躯の魔族は燃え盛る火球を放り投げ、都市治安維持隊の前線をふっとばして穴を空けてしまう。
「馬鹿な! 魔法だと……!?」
「兵士長、後続きます!」
暗黒の船からどんどん上陸してくる小舟。敵の数もどんどん増えていく。
「こいつらは危険すぎます! 我々では止められません!」
このままでは壊滅どころか全滅までありえる。
その時「伏せろ!」と後方から声が響いた。
兵士たちが伏せると、銃弾の雨が魔族をとらえる。
「そいつらは魔族だ。白兵戦をしかけるのは愚かなことだ」
白髪の初老は言って、帽子のつばから鋭い目線を通す。彼の背後では白い制服の精強な兵士たちが銃列をいれかえている。レバルデスの兵である。
クルド率いる都市治安維持隊は救世主にすがりつくように、這うようにレバルデスの強靭な部隊のもとまでさがった。
「近寄らせるな、撃てぇいッ!」
レバルデスの兵士たちは多重的に長銃隊を展開し、弾幕の隙間をつくらない。
「なんなんだ、あの化け物たちは……っ、あんたらあれを知ってるのか?」
「あれは魔族と呼ばれていた古い敵だ。先天的に魔力をあつかえる」
「先天的に、魔力を……そんなデタラめな……!」
「都市長の兵だな。死にたくなければ、銃に弾をこめておけ」
レバルデスの銃頼りの戦術は効果を発揮した。
魔族の前衛たちはタフであり、銃を受けても死なないし、盾や武器で銃弾を防いでもいるが、それでも前へ進む速度が鈍重になった。
絶え間なく放たれる銃弾すべてを防ぐことはできない。
確実にダメージは蓄積する。倒れて動かなくなってる個体もちらほらいる。
十分な装備と優秀に統率された兵士ならば魔族に対抗できる。
レバルデスの兵士たちが「俺たちならやれる」と、期待を抱きはじめた頃、燃え盛る火球がほうりこまれた。「ファイアボールだ! 回避ィ!」と、指揮官が叫び、レバルデスの兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げだした。
優秀に統率されているのは、また魔族も同じだったのだ。
次々と上陸してくる魔族の後方、指揮をとっているのは痩躯の魔族だ。
「魔力ヲモタヌ、弱者ドモガ。スリ潰セ」
痩躯の魔族──魔族の指揮官スバラ・コロは効果的に魔法を放った。
優秀に統率されたレバルデスの隊列に穴をあけ、彼らが重たそうに押してもってきた大砲が、魔族の前衛をふっとばせば、そのお返しするように大砲を魔法で破壊した。
魔法を使うのはスバラ・コロだけではない。
魔力とは魔族にとっては珍しいものではないのだ。
彼の周囲には後方から魔法支援するための個体がぞくぞく上陸しており、前衛への火力支援がどんどん高まっていく。
「後ろの細いやつが指揮官だ、やつを撃て」
当然、人間の武装はそこを狙うが、指揮官は棒立ちしているわけではなく、弾が飛んで来れば、それに反応し、回避してしまう。
レバルデスの指揮官は、後退に次ぐ後退をしながら、耐えしのごうとする。
戦うほどに兵士たちには魔族の恐ろしさが上塗りされていく。
(まさかここまでとは……。強靭な肉体、治癒能力、そして魔力……話には聞いていたが、人間ではこんなにも太刀打ちできないのか?)
荒れ果てた街で兵士は次々と倒れていく。
砕かれ無惨に死ぬもの、四肢を千切られるもの、喰われるもの、刃で両断されるもの、魔法の炎に焼かれ悲鳴をあげて焼死するもの──悪夢のような戦場だ。
そこへ一筋の光が差しこんだ。
ぴゅん。それは空より飛来すると、前衛の魔族の喉仏を正面から穿った。
天から降ってくるには物騒すぎる輝くロングソードは、獲物を穿つなり、血を噴出させ、次の瞬間にはぺキぺキと音を立てながら血と肉を凍結させていく。
ふわりと戦場に舞い降りた美しい女は、そのマントをはためかせ、剣帯ベルトに差してある5本のロングソードを手を使わずに抜いた。
浮遊する剣たちは意思をもっているように、宙を泳ぎ、姫を守る近衛兵のように周囲を取りかこみ、うち4本はくるっと旋回するなり、ぴゅんぴゅん! っと鋭く放たれ、一本につき一匹ずつ、前衛の魔族を貫いた。
感嘆の声が兵士たちからあがった。
兵士たちは英雄の神業に刮目する。
クルドはあれほど恨めしいと思った姿に思わず見惚れた。レバルデスの指揮官は、憐れな魔族と舞い落ちる氷の欠片を生みだした美しい剣士の横顔に目を釘付けにされた。
「ん、ちょっと遅刻した」
戦闘開始から15分後。
角鯨の騎士団団長”飛剣のレイニ”が沿岸部にて戦闘に加わった。
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