千眼のアラノイア

 オウルが見せた妙技をまえに、多くの魔族は恐れを抱いていた。

 脆弱な人間風情が、魔族のなかでもとりたてて高い魔力を誇る”万力の甲板長ドントリル”に戦いで優ったなど誰が信じられるだろうか。


 船員たちを恐れさせたのは、理解不能な現象が起こったことも原因だった。

 わからなかったのだ。あれだけ注目していたのに、なんで自分たちの恐れていた甲板長が、ふりおろしたはずの己の棍棒で、自分の頭を吹き飛ばしてしまったのか。


 自殺などではない。あの人間がやったのだ。それはわかる。

 でも、なにをしたのかはわからなかった。


 いっそ魔力を使ってくれればよかった。なのに魔族たちは眼前のこのオウル・アイボリーから魔力を使った気配を感じられなかった。

 

 ゆえに甲板には得体のしれない恐怖だけが残された。


(なんだか動きが鈍いな。まぁいい。御しやすいのならそれに越したことはない)


 オウルは刀を縦横無尽に振るい、10匹ばかりの魔族を斬り捨てたのち、ついに船尾楼の近くまでたどり着いた。


 オウルの前に大きな体躯をもつ2匹の魔族がたちはだかった。

 

 1匹は人型で、虚ろに窪んだ眼穴をもち、頭蓋からは内から破るように吐出した結晶が角のように生えているドクロの魔族だ。体躯はオウルの倍はあり、手には人間の骨に呪いで鍛えた吐き気をもよおすほど邪悪な大剣を握りしめている。

 もう1匹はボロボロの布を何重にも着込んでいる双子頭の蛇人だ。手には錆びた金属製のスタッフを地面に立たせてもっている。


(こっちの蛇は魔法使いか? ミス・ニンフムの言ってた霧払いの犯人かもな)


 ふたりはドントリルと同じ特等船員であった。


 参謀”楔の魔法使いゴルブディク”は手をかかげ、周囲に魔力の力場をつくりはじめる。骸骨の剣士”死刃のファージ”は呪われた大剣に緑の炎を宿していく。


 暗黒の船が誇る特大の戦力がオウルにぶつかろうとした、その時だった。

 

「俺ガ殺ス。手ヲ出スナ」


 その声が聞こえた瞬間、空気が一変した。

 心の隙間に入り込んでくるような不思議な声。

 ひたすらにどす黒いタールのように侵蝕してくる。


 オウルは眉根をひそめ、ふたりの特等船員、その後ろをみやる。重たい足音がズシンズシンと甲板を軋ませ、船員たちは恐れるように脇にはけて道を開けていく。


 ぎょろっとした無数の眼球が矮小な人間を見下ろす。

 千眼のアラノイアは自らの手でオウルを始末することにしたようだ。

 

「オ前タチ他ニアタレ」


 特等船員ふたりはオウルへ警戒しながら、周囲の船員たちへ声を飛ばし、ラトリスとクウォンの鎮圧へと向かっていった。


「オカシナモノダ、魔力ヲ感ジナイ」


 魔力の扱いに長けた者は、他者の魔力をはかる術にも秀でるため、たいていの生物の強さなど、アラノイアの目には一発でわかってしまう。それが魔族だろうと、人間であろうと怪物であろうと変わりはない。


「まあ、それはそうだろ。魔力にはついぞ恵まれなかった身だ」


 アラノイアは思う。世にはさまざまな摂理が働いているが、こと生物対生物の生死をかけた闘争においては、見えるものに勝敗をわける情報は集約される。それが戦士として、長年を生きてきた者としての経験則からくるシンプルな結論だ。


 多くの場合、戦いは体格・力で決まる。

 次に武器の有無。状況などが加えられる。

 技が命を助け、命を奪うこともある。


 実際のところ後ろの要素はそこまで想定外を引き起こさない。

 もっとも想定外を起こしやすい変数は魔力である。

 魔力は偉大なちからだ。無限の可能性がある。


 しかし、アラノイアにとってはそれさえ視覚情報にすぎない。

 なのにまだ眼前の人間の剣士の実力を正確に判断できない。


 ゆえに歴戦の戦士は興味をもった。

 何故、この人間は己の右腕を屠ることができたか、を。


「デハ、ドウヤッテ、ドントリルヲ殺シタ」

「知りたいのか。なら秘密だ」

「ソウカ。面白イ」

「それはよかった」

「数百年生キ、戦イ繰リ返シテキタガ、オ前ノヨウナ人間ハ初メテダ」

「数百年……? そんな生きてるのか?」


 オウルは表情を変えて、不安そうに口元に手をあてる。


「なあ、ひとつ提案なんだか、俺たちいま会話できてるよな? あんたちょっと、尋常じゃないくらい強そうだし、暗黒の魔塊を渡してもらって手打ちすることとか……いやそもそも、魔族と人間の和平をここで考えるというのはどうだ」

「ワザワザ何ヲシニ乗リ込ンデ来タノカト思エバ」


 アラノイアは口をぐわっと裂けさせるように開くと、喉奥に手を突っ込み、体内からドクンドクンと胎動する名状しがたい肉種をとりだした。禍々しく黒く濡れたそれの表面には苦悶の激情をうかべる顔が浮きあがっている。


「あぁっと…………それが暗黒の魔塊か?」

「コレハ至宝、『聖ナル肉杯』ダ」


 オウルは微妙そうな顔をしながら、羅針盤の振動を頼りに『聖ナル肉杯』が探し物だと理解する。気分悪そうにしつつ「やっぱり、いらないかも」とこぼす。


「良カロウ。コレヲ賭ケテ力試シヲシヨウデハナイカ」

「あの、やっぱり、本当に大丈夫。気を使わなくていいぞ。そこまでキモイと思わなかった」

「オ前ノ秘密、暴イテクレヨウ」


 アラノイアは口元を吊り上げ、愉快そうに言うと『聖ナル肉杯』を握りつぶし、一振りのつるぎに変質させ、緑の火炎を瞬時に纏わせて大上段から斬りつけた。


「話を聞かない野郎だな」

 

 オウルは身をひるがえし、攻撃を紙一重で回避する。

 肉杯のつるぎが甲板に深々と割りこみ、ベキベキと亀裂が走った。

 衝撃波は伝播し、オウルの軽い身体は数メートルも弾き飛ばされた。


(さっきのやつといいこいつといい、暴力の権化だな。体格の時点で膂力に絶対的な差があるのに高い魔力も備えているときた)


 ゴロゴロと甲板を転がるオウルへ、緑炎を宿す巨剣がふられる。

 体躯に見合わない素早さは、見る者を委縮させた。オウルもビクッとして、アラノイアの迅速すぎる攻撃速度と、その足運びに驚愕する。


「剣技も修めてるのかよ」

「アァア──。スバシコイ奴メ。秘密ヲ味合ワセロ、ハハハッ!」


 楽しげに行われる一方的な攻撃。

 オウルはかろうじて回避しつづける。

 さらには魔法まで使うようで、オウルとアラノイアを囲むように緑の火炎のカーテンを展開し、獲物を逃げられないようにしてしまう。


 緑炎のカーテンに近づきすぎると、燃え盛る悪鬼が手を伸ばして、オウルを火のなかにひきずりこもうとしてきた。もうこのリングから逃げられないようだ。


(魔法も達者なのかよ)


 オウルには二つの不安があった。


 不安の一つ目は魔族という存在への危惧だ。

 

(魔族は知性の低い怪物とはちがう。人間よりデカい船をつくり、より強力な火薬や武器を備える文明力をもっている。つまりわりと人類の上位互換。そのうえでこいつは何百年も生き戦ってる。知性、膂力、魔力、剣技、魔法──すべてを備えた完全な生命体だ。さっきのデカブツはわかりやすかったから勝てたが……)


 オウルは剣士の自分に自信をもっていなかった。ゆえにたびたび自分の剣への疑いが生まれる。こうしたことはブラックカース島でもしばしばあった。


 不安の二つ目はアラノイアの異質すぎる大剣だ。

 その刃渡りは5m近くあり、緑の火炎を纏い、しっとり濡れているようで、柔らかくブヨブヨした皮のように見えるため、硬いのか柔らかいのかすら不明だ。

 人類の武器は鋼でつくられているため、オウルの剣技も当然そうしたものを想定している。万力の甲板長ドントリルの振るっていた金属質の棍棒とちがい、アラノイアのそれはオウルの見識の範疇を越えていた。


 理合とは繊細ゆえに、こうしたことが度々問題になる。

 力の伝わり方、受け流し方、それらは極短い接触時間で処理しなければいけない情報であり、未知の材質、慣れない力の伝達などがあると、技を失敗しやすい。


 これが人間台の相手なら、計算の狂いを取り返すことはできる。

 いまオウルが相手にしているのは、サイズからして規格外。

 武器も規格外だ。なんか変な炎も纏っている。


 受け流しひとつにしても、ミスしたら確実に一撃死するだろう。

 さしもの達人オウル・アイボリーもビビっていた。


(まぁ逃げられないし、やるしかねえんだけどさ)


 アラノイアは剣を引き絞り、突きを繰りだす。

 肉杯のつるぎはオウルの剣に触れた途端、滑走し、アラノイアのコントロールを外れ、甲板に数メートルに及ぶ傷をつけた。それに引っ張られるようにアラノイアは一歩つんのめるように踏みだす。


(ナンダ……?)


 たしかに剣で刺突を行ったが、そんなに深くまで突きこんでいない。だというのに、身体が剣に引っ張られた。アラノイアは剣を手元に引き戻し、一瞬感じた奇妙な体験を反芻する。身体が己のものではなくなった。初めての体験だった。


「意外と硬いのな」


 オウルは納得した風に言い──ダッと駆けだした。

 一直線にアラノイアへ向かってくる。


 アラノイアは心のうちに浮かんだ奇妙な感覚の正体を探ろうとしていたが、それを掴むまえに、接近してくるコバエの対応をしなくてはいけなかった。


 久方ぶりに自分が戦う舞台が整った。敵が船に乗り込んでくることなどまずない。兵を使う地位になって久しいが、戦士は己の手で血潮を得ることに高ぶり覚えるものだ。目の前の人間はさらなる興奮をもたらしてくれるだろう。


 そういう心意気から、正面の戦いを受けて立つことにした。強靭な腕で肉杯のつるぎをふりあげながら、もう片方の手に魔力だけで編まれた大剣を握りこむ。


 千の敵を屠りし古の魔法”アラノイアの魔法剣”が抜錨された。大きすぎる双剣が、足元の雑草を勢いよく刈る鎌のように、乱舞されオウルへ襲いかかった。


 高速の二連撃がオウルをとらえた。──かに見えた。オウルは甲板のうえを背中で滑り避けると、キュッと靴底で急停止し、膝立ちになり、魔力製の大剣が過ぎ去ったあとにつづいてくる実態のある剣の攻撃をつかまえる。

 

 二連撃の隙間──わずか0,2秒をとらえた受け流し。


 アラノイアの千の眼は見開かれる。瞳は震え、ゆっくりと自身の胸に深々と突き刺さった肉杯のつるぎを見下ろす。口から黒い血がゴボゴボと沸きあがる。

 

 黒い血だまりが池をつくり、甲板を濡らす。

 アラノイアは崩れ落ち、衝撃とともに船尾楼にもたれた。


 千の眼はその瞬間を目撃していた。


 肉杯のつるぎは地面すれすれのオウルを、果実の皮を剥くように低空飛行して襲いかかった。しかし、オウルの剣に触れた瞬間、魔法のように急に角度を変えて、跳ねあがったのだ。アラノイアは反応できなかった。想定外だったうえに、その瞬間、自分の身体が自分でコントロールできなくなっていたのだ。

 

 そうして自身の魔力により、致命の魔法を付与されていた剣は、柄握る手をそのままにアラノイアの右鎖骨を上から斬りこんで、根元まで胸に突き刺したのである。

 

 アラノイアは絶命するなかで、最後までどうして自分が負けたのか、その深き真相にたどり着くことはなかった。わかったのは、自分の知らない力が、目には見えない恐ろしい強さが、眼前の矮小な人間にはあるということだけだった。

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