嵐の前

 ホーンドホエール基地での日々は充実したものだった。

 朝、昼、夜と基地の食堂で温かい飯を食うことができたし、酒も飲み放題みたいなものだった。もちろん、節度をもってはいたが、夕食後にワイン2本を抱えて部屋にもどっても全然怒られることはない。天国なのかな、ここは。


 もちろん、食って飲んでばかりではない。


 海兵たちとの訓練にまざって、身体を鍛えなおすこともできた。

 そこで思った。自分の体力のなさに。リバースカース号で運動とトレーニングはしているつもりだったが、海兵たちの日々のものに比べれば、お遊戯みたいなものだったとわからされる。ちょっと意識がかわった。


 あとは剣術指南役としての役目もしっかりこなした。

 若い衆との手合わせは何回やったかわからない。

 

「アイボリー殿、もう一本よろしくお願いします!」

「まだやるのか……?(訳:疲れた)」

「はい! ぜひお願いします!」


 あのアーノンとかいう最初噛みついてきた女性海兵は、やたら熱心で、正直付き合うのがいっぱいいっぱいなほどだった。彼女だけじゃない。多くの海兵は俺の剣術に興味を抱いたらしく──アーノンが俺の剣がいかにすばらしいかを誇張して仲間たちに語っていたせいだと思われる──、訓練の時間は生徒たちが熱心すぎて、手合わせの整理券が配られたくらいだ。


「先生の剣術は本物だ」

「アイボリー殿は魔法をつかっているのか?」

「あれほどの実力者が辺境の島にいたなんて信じられん……」

「でも、レイニ団長の師匠というのも納得ではあるよな。化け物みたいな実力者の師が、普通のわけがないんだ」


 リバースカースへの物資積み込みもすでに大方終わった。

 あとは出港日の直前に、食料まわりを積めるだけでよい。


「ラトリス、羅針盤はどうだ」

「指針の揺れもほとんどなくなってきましたね。次の目的地もわかったかなと」

「それはよかった。メギストスの次なる行き先がわかれば俺たちも動ける」


 ホーンドホエール基地にやってきて2週間後。

 魔法使いの羅針盤の指針は定まった。


「でも、なんだか妙なんですよねぇ」

「なにがだ?」

「指針の魔力を10年前のものから現在のものを示すように変えると、揺れがずいぶん強くなるんです。小刻みに振動してて力を感じるというか」

「この街に暗黒の秘宝があるってことか?」

「そうではないみたいなんです。まだ遠いみたいなんですけど……近づいてきてる。って言うんですかね、この感じは」


 移動する闇の力、か。


「どこかの海賊がもっている暗黒の秘宝に針がひっぱられているのかもしれないな」

「それもそうですね。今の時代、海は呪いで溢れていますから」


 羅針盤が指針を定めたことを伝えるために、その日、俺はレイニを探していた。

 彼女のオフィスをたずねると中から話し声がしてくる。


「黒い船がアンブラ海に出没しているようでして────」

「またその話。まだ尻尾を掴めないんだ────」

「船が破壊されている報告が半年で7件以上────」

「その報告が本当ならあるいはやつらが────」


 聞き耳をたてるつもりはなかったので、10秒ほど扉のまえで迷いつつも、結局はノックをすることを選んだ。


「ん、オウル先生」


 レイニは話し相手の海兵に「この話はまたあとで」といって部屋を退出させた。

 

「邪魔しちゃったな」

「んーん。大したことじゃないから平気だよ」

「そうか? ちょっと部屋のまえで声が聞こえちゃって……まじで、俺の要件のほうこそたいしたやつじゃないから、気にしなくていいんだが」


 パーティはやるんだけど、今夜空いてる? って聞くだけだし。なんなら明日でも、明後日でも、さして問題はない。


「オウル先生はさ、船が木端微塵にされるときってどんな時だと思う」

「木っ端みじん? それは……なんだろう。衝突した時とかか?」

「大砲で、だよ」

「大砲で木っ端みじんになるのか?」


 航海や海戦に詳しいわけじゃないが、ラトリスがたまに話してくれる船に関するトピックによれば、大砲にそこまでの攻撃力はないと言っていた気がする。


「けっこう頑張らないと無理かも」

「だよな。第一、船を壊しちゃうなんてもったいないんじゃないか? 海賊だって略奪はしたり、人を殺したりはしても、船を破壊することはないだろ」


 船は巨大な財産だ。動く金塊なのだ。俺にもわかる。


「だよね。でも、最近は流行ってるみたい」

「そうなのか。変な話だな」

「ん、変な話だよね」


 レイニいわく、大破した船の残骸と黒い船が、この海を騒がせているのだという。もちろん、船員もみんな殺されているという。正体は掴めないまま、海賊よりも野蛮な行為として、レバルデスも王国海軍も捜索を進めているらしい。


「でもね、歴史を紐解けばこういうことをする黒い船はあったんだ」

「恐いやつらがいたもんだな。海賊なのか?」

「海賊じゃないよ。人間ですらない」

「え?」


 肌がひりっとする。


「七つの海の外側、第八の海から『暗黒の船』に乗ってきたの。乗組員たちは異形でね。魔族って呼ばれてたらしい。でも、もう半世紀以上も昔にいなくなったんだ」

「異形か。恐いな。でも、いなくなったっていうなら今更、現れる道理もないか?」

「ん、だから違うとは思うんだけどね」


 レイニは机のうえの紙束をまとめ、トントンと綺麗に整えた。



 ──ウィゴ・ブルームの視点



 2週間前、ブルーコースト都市長ウィゴ・ブルームは市庁舎の日当たりのよいオフィスで、マグカップを壁に投げつけて激昂していた。


「馬鹿めがっ! 取り逃がしただと!? あのクソ狐をようやくひねりつぶすチャンスがやってきたというのに!」


 都市治安維持隊の兵士長クルドは目をふせ、嵐が過ぎ去るのを待っていた。

 ウィゴがここまで怒れるのには理由がある。6年前、この街でレバルデス世界貿易会社の倉庫が爆破された。当時からブルーコースト商人ギルドの長であったウィゴは、事件によっておおきな煽りを受け、交易量の減少、労働者たちの忠誠心の低下、レバルデスからの信頼失墜とさんざんな目にあっていた。


(俺たち資本家が、歯車としてしか使えないカスどもに居場所を与えてやっているのに、あの狐娘はなにもわかっていなかった。もふもふのラトリスは雑魚どもに同情し、無知から正義を気取り、めちゃくちゃにしてそのまま逃げやがった。6年前の雪辱、ここではらさでおくべきか!)


「ウィゴ様、それがですね、王国海軍のレイニ騎士団長が彼らを拘束していまして」

「海軍だと? あの生娘か。余計なことを。やつらはいつもでしゃばってきやがる。だが、行方がわからないよりはマシか。騎士団にいるのなら引き渡しを要請すればよい」


 すっかり暗くなった夜更け、兵士長クルドはウィゴが書いた要請状を手にして、ホーンドホエール基地を訪れていた。


「都市長ウィゴ・ブルームの要請だ。団長に会わせてもらおう」


 基地の入り口でクルドは見張りの騎士に要請状をみせる。


「残念ながら、団長はいらっしゃらない」

「なんだと? この要請状をみろ。都市長から団長へ宛てたものだ」

「そうは言われてもいないのだから仕方だろ。こっちで渡しておこうか?」


 クルドは不機嫌に「けっこうだ」ときっぱり言う。騎士は「あっそう」といって、手をひらひらふって「帰り道はあっちですよ」と夜道を示した。


(俺を誰だと思ってやがる。門前払いだと? 騎士どもめ。本当にムカつくやつらだ。俺はギルドからお前らよりいい給料もらってるっていうのに)


「お前たち、顔はしっかり覚えたからな。こんな扱いしてただで済むと思うなよ」

「偉そうに、このガキ。あんたらのとこの馬鹿商人が逃がしたキマエラの処理、うちでしりぬぐいしてやったんだぜ? まずは感謝状でもくれよ」

「レバルデスの腰巾着がよ。生意気言うなよ。さっさと家に帰ってクソして寝ろ」


 騎士たちに「しっしっ」と追い払われる。

 クルドは目元をピクピクさせながら、怒りをおさえこみ帰路につく。


 角鯨の騎士団は由緒正しい歴史ある騎士団だ。

 王名で海軍組織として編成された彼らには格がある。レバルデスとの密接なかかわりによって栄えた商人ギルドであろうと、都市治安維持隊の身分はブルーコーストの金持ちから給料をもらってるだけの傭兵にすぎない。騎士たちとは身分がちがう。


 クルドは1週間に渡ってホーンドホエール基地をたずねたが、敷地内に足一歩踏み入れさせてはもらえなかった。その間に、もふもふのラトリスがブルーコーストに現れたニュースは街中にひろがっていた。


「もふもふのラトリスが帰ってきたのか!」

「ラトリス、あの時、俺たちをたすけてくれた海賊か?」

「商人ギルドは血眼になってさがしてるらしいぜ」

「そりゃそうだろう、都市長は貿易会社の機嫌をとるのに必死だ」

「交易所でド派手に暴れたらしいぜ。治安維持隊総出でかかってももふもふの尻尾を掴むことすらできなかったって話だ」


 労働者たちのあいだでは、かつての恩人ラトリスの帰還を喜ぶものもいれば、恐れるものもいた。前者はラトリスの貿易会社倉庫爆破事件の恩恵を受けたものたち、後者は生活の余裕のある中流上流の者たちだ。


「海賊をかくまった者は、絞首台おくりだ! いいか、このなかにもしもふもふのラトリスの居場所を知るものがいればすみやかに名乗りでよ!」


 都市治安維持隊はホーンドホエール基地にもふもふ海賊の構成員がいることを疑いつつも、そのまわりへの警戒もおこたらなかった。

 6年前の事件から、労働者たちも疑ってかかったのはそのためだ。

 

「ウィゴ様、騎士どもは基地内にどうしても我々を入れたくないようです」

「もふもふのラトリスをさばく手柄を自分たちで確保したいというわけか。くだらん。今更メンツを守るのに必死か?」


 都市長ウィゴはクルドの報告を受け、苛立ちげに机を打つ。

 

「仕方あるまい。都市治安維持隊だけで身柄の引き渡しをさせたかったが。前時代的な権威主義者どもには、新しい力を受け入れてもらわないといけないようだ」

 

 ウィゴは窓辺の止まり木で「ちーちーちー」と鳴くシマエナガから手紙を受け取り、その内容を確認する。そしてニヤリと笑みを深めた。


「素晴らしいタイミングだ」

「どうされたのですか」

「ギレルド王子の駆逐号からシマエナガ便が届いたぞ」


 緊張感が漂う。クルドは知っていた。その船がレバルデス世界貿易会社の狩猟艦であることを。”海賊たちの悪夢”が乗船している船であることを。


「もふもふのラトリスがいることを郵便でお伝えした。すでにブルーコーストに向かっている、とお返事があった。あのお方がいれば騎士団とてもふもふのラトリスの引き渡しを拒むことなどできまい」

 

 ウィゴがシマエナガ郵便を受け取った1週間後、ブルーコーストに白き船が帰港した。高々と天へ伸びる巨大な3本のマストには、純白の雲のような帆が張り、清廉潔白な白い船体は、ほかの帆船よりも一回りも二回りも大きい。


 その船の名こそ、ギレルド王子の駆逐号。

 レバルデス世界貿易会社の狩猟艦であり、同社の利益を守るため海の無法者たちを追いかけまわし、地獄送りにする海賊狩りたちの移動要塞だ。


 兵士長クルドをはじめとしたブルーコースト都市治安維持隊は、狩猟艦が帰港し、船員たちがおりてくるの出迎えた。


 巨大な帆船が埠頭に停泊し、タラップがかかるなり、輝かしい金髪をなびかせる美女がおりてくる。純白の制服に深くかぶった三角帽子。腰にはハンティングソードを差している。制服は都市治安維持隊のもとと色合いこそ似ているが、それはどちらかというと治安維持隊のほうが、レバルデスの海賊狩りたちに寄せているためだ。


 その白は潔白の証明であり、偉大な使命に従事する表れでもある。

 金髪の美女の背後、屈強な男がぞろぞろとついてまわる。

 ひと目みて精強な海賊狩りだとわかる風貌だ。覇気がちがう。


「お待ちしておりました。シャルロッテ様。レモール島からの長旅ご苦労さまであります」

「労いどうも。で、ラトリスはどこに」


 すぐさま本題に入ったその美女──海賊狩りを率いるシャルロッテは情報を仕入れるなり、帰ってきたその足でホーンドホエール基地へと向かった。

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