2-6 我らの土地とかけ離れている
好きな人と一つになるというのは、好き合った者同士の願望らしい。
今のボクが云うのも何だけれども、そんな気持ちになる前に物理的に一つの生物になった者には、かような甘酸っぱい途中過程が無くて今ひとつぴんと来なかった。
というか、期待して見ていた映画なのに配給会社のロゴマークの後、唐突にエンディングのスタッフロールだけを見せられている気分だ。肝心な部分は全てオミット。「ご感想は」などと言われてもそんなモノが湧いて出てくる筈もない。
しかし気持ちが湧いて出て来なくてもなんとなく分るような気がするのは、一つの身体に同居して混ざり合っているからだろうか。でもそれはただの結果であって、感情で共感出来たというコトじゃあない。大事なのはお互いに積み重ねる時間、二人で育む日常だろう。
返せ戻せと言いたかった。そもそも、ふたり一緒に下校してそれでお終いというのはあんまりじゃないのか?
確かに、あそこでぺっちゃんこになったままそれで終了、よりは遙かに幸運だとは思うけれど。それでもやはり釈然としない。悶々とする。割り切れない。
俺はしばらく何もせずに
だがわたしは「ジッとして居たくない」と言って自分自身を駆り立てた。悩んでいても始まらないし、考えなきゃ為らないのはこれからのコトだろうと思うからだ。
別にムリクリ外に出なくともいいじゃないか。
家に籠もっていたら気持ちまで暗くなっちゃうわ。
時折俺とわたしはせめぎ合った。そして自分会議の後に妥結点を見いだして、しかるべく行動するのが今のボクだった。ホンモノの彼氏彼女たちもこんな具合に、日常の子細、色々なコトを話し合ったり語り合ったりするのだろうか。
しかし然りとて、今すぐナニかやるべきコトがある訳じゃない。なので日中は町中をブラブラと徘徊することにした。
もちろん夕飯と明日の朝の食材や、日用雑貨の買い出しも兼ねてである。花粉舞い散るこの季節、外出が苦行だという花子の代替わりだった。この程度で彼女の恩義に報えているとは思ってないけれど、多少なりとも役に立てるのならきちんとやっておきたかった。
「卯月さんは、自分の家の周りに幾つマンホールがあるのか御存知ですか」
昨日の問答の後に花子はそんな質問をしてきた。知らない、と答えたら「電柱の本数でも良いですよ」と言うのだがやはり返した答えは同じだ。そりゃそうだろう、普通は数えたりなんかしないものだ。
「身近にあるもの、見慣れているものでも気に留めなければハッキリと意識しません。意味がありませんからね。ソレを利用して連中は、ヒトたちの生活日常風景の中に潜り込んでいるのですよ」
「へえ。そういうもの?」
「はい。ちなみに、この町には様々な種類のマンホールが有りますが、彼らが作った彼ら専用のものがたくさん在ります。たといお役人やマンホールの管理に携わっている方々でも、自分の仕事範疇外、管轄外のモノには目にも暮れませんからね」
じゃあ、あの白い手が出てたヤツがその一つなのだろうか。そう言ったら、既存の穴に潜んで居るモノも居るので一概には言えない、覗くくらいならどうというコトは無いが入ったりはしない方が良いと言われた。
「ですので、卯月さんは基本的にマンホールにはノータッチで居て下さい。うっかり入り込んで迷ったりしたら出てこれなくなっちゃいますよ。出てきたモノも見て見ぬ振りということでお願いします。
マンホール世界は重なり合った多元宇宙ですからね。
それはパイの生地よりも濃密に折り重なっていて、入り口を見失ったらそれっきりの深い底なしの淵です。行ったきり帰って来れなく為ったモノも少なくないのです」
怖いですよねぇ、と言って「ふおぉおお~ん」と不安を煽る効果音が聞えた。またしても彼女のスマホからだった。ホントに好きだな、ソレ。
しかしマンホール世界って何だよ。造ったのがお役所の土木課だか企業だか知らないけれど、あれはただのコンクリート製の地下道。人類が設置した施設だったと思うけど。
「まぁその辺りも擬態というか、適応の一種ですよ。彼らとて好んで目立ちたい訳じゃありません。お互い不干渉で平穏に共存出来るのなら、それに越した事はないではありませんか」
分るような分らないような。それに作ったということは、あの細い蛇みたいな手を持つ連中が鉄筋だのコンクリートだのを駆使して、大規模な土木工事をやらかしたということなのだろうか。材料はどうやって、とか、どのようにして穴掘ったのか、とか解せぬ疑問が次から次へと湧いてくる。
「深く考えたら負けです」
そんなコトをぬかすが勝ち負けの問題じゃ無いと思う。
だが入らない方がイイと言うのなら、その言葉に従うのが賢明だろう。タゲンウチュウ云々は兎も角、猫ぐらいの大きさのドブネズミの集団や、ご家庭から逃げ出した巨大アナコンダや掌サイズの毒蜘蛛の群れなどに襲われるのは御免被りたい。君子危うきに近寄らずとも云うし。
そんな訳でマンホールの件は「そういうモノだ」ということで、深く追求するのは止めた。
でもしかし何だ。普段ちょっとお目にかかれない状況を目の当たりにすると、少なからず好奇心を刺激されてしまうものなのである。
歩く外の天気は良かった。
よく晴れているけれど空は薄雲が張っていて、日差しはさほど強くない。風はちょっと強めだった。
花子に言わせれば今の風向きは最低最悪で、山の尾根を超える花粉がダイレクトに町へ降り注いでいるのだという。でも幸いというか何というか、ボクにはてんで関係ない。ただうらうらとした春の日差しの中でののんびりとした散歩、もとい、町内巡回の最中であった。
強めの風に麦わら帽子が飛ばされないよう、片手で押さえながら単線の小さな踏切を越え、脇の路地に入った。線路脇の黄色い花が風に揺れている。名前も知らないけれど悪くない光景だなと思った。でもそこでボクはぴたりと足を止めた。
このまま真っ直ぐ歩いて、三つほど交差点を越えれば花子の家はもうすぐソコである。散歩のお土産がてら、途中のコンビニで買ったアイスが溶けない程度のささやかな距離だ。今日はちょっと暑いからちょっと食べたくなったのだ。
急ぐ必要はないけれど、ボンヤリと突っ立っていない方がきっと良い。
しかし立ち止まってしまったのには訳がある。目の前では道端のマンホールが開いて、何処かで見たような見慣れないナニかが、ぞろぞろと這い出て来るところだったからだ。
ソレはみな衣服を着ていた。
厚手の布で出来たシャツやズボンの上から、金属製と思しき胸当てとか兜とかを身に着け、手にはそれぞれ槍だの剣などを持っていた。
一言で云えば中世の兵士を思わせる格好だ。そして彼らは一人残らず小柄で真っ黒で毛むくじゃらで、黒っぽい目に尖った鼻先、そして口元に牙を生やしているのである。
背丈はボクの腰にも満たない。一番背の高いヤツでもヘソよりもちょっと上くらいだろうか。彼らは次から次へと這い出してきて、辺りを見回しては「おおう」とか「うおおおう」とか感服したような奇声を発しているのである。
「やむを得ず入り込んだあの石造りの狭道より出でてみれば、かような新天地へと出ずるとは。これぞ正に神のお導き」
一際立派な鎧を身に着けたモノがそんな台詞を口にした。
喋った、と驚くと同時にその言葉が日本語であることが更に吃驚だった。元々の声質なのか当人がそうなのか。甲高くてキイキイとした声音であったが、間違いなくヒトの言葉だった。
唖然として立ち尽くしていたら、きょろきょろと気ぜわしく辺りを見回していた一人がボクを見つけ、「何奴」と誰何して槍を向けた。その途端数人が駆け寄ってきて、あっという間に取り囲まれてしまったのである。
そしていま、ボクの喉元にはぎらぎらと輝く槍の穂先が突き当てられていた。
「怪しいヤツ。ここでナニをやっている」
動物めいた顔つきの毛むくじゃらな一人に詰問されて困った。ナニと言われてもボクはただ散歩を、いやいや日常定例業務である町内巡回をしていただけなのである。どう返事をしようかと迷っていると、「待て」という声があった。
「槍を引け。見ればサルヒトの娘ではないか。手荒な真似をするでない」
あの立派な鎧の人物だった。人間の装いをした動物が二本足で立っているという風情なのだが、何処かで見たような顔つきだ。しかしそれが何という動物だったのか思い出すことは出来なかった。
小熊にも見えるがどちらかと言うと犬に近いと思った。開けた口の中から覗く牙は思いの他に立派だし。
「見慣れぬ風体よな。我はサムスギカナワンより以北、シバレールの地を治めるシーバレッテン伯爵の家臣スイトンの子、トンジル子爵である。娘よ、兵が驚かせてすまなんだ。
一つ訊ねたいのだが此処は如何なる名の者が治める地か。そして何という名の町なのか教えてもらえぬか」
「サムス、シバ・・・・え、何だって?」
無礼な、何という口の利き方か娘、と声が上がった。だが名乗ったその御仁は片手を上げてそれを制すると「冗長であったか」と呟き「トンジル子爵でよい」と言い直した。
「ト、トンジル子爵さん?」
「左様。して、此処は?」
「え、ええと、此処は日本です。首相は山田、そしてこの町は三日月町といいます」
「ニ、ニホン。それにシュショーとは如何なる階位か。領主とは異なるのか?ミカヅキ町というのも聞かぬ名だ。町の様子といい我らが住まう地とは似ても似つかぬ。それにこの気温、とても真冬とは思えぬ陽気よ。
娘、サムスギカナワンの名に聞き覚えはないか」
知らないと首を左右に振ったら「そうか、やはりな」と目を伏せた。
そしてこの土地の様子だの、気候はどんな案配なのかだの、人々はどれ程住んで居るのかだの様々な質問を重ねてきた。取敢えずボクは当たり障りのない範囲で答え、ざっくりとした町の概要を説明する羽目になったのである。
「どうやら此の地は我らの土地とかけ離れておるらしい」
一通り説明を終えると、そう言って彼は吐息をついた。
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