第一幕(その一)生き返ったら死体だった件

 夢の中で夢と知っていても夢に翻弄される体験は何度かあった。明晰夢とかいうらしい。詳しくは知らないけれど。

 真夜中に目が覚めて金縛りにあったとか、胸の上に重たくて得体の知れないモノが乗っているとか、絶対にソコに居るハズがないモノを見たとか、そういう非現実的な体験も同様。中途半端に目が覚めて、夢と現実とをキチンと区別出来ていない状態だとかなんとか。

 だからいま自分が体験しているコトも、そういった世の中の常識に沿った何某かの特別な状態なんじゃないかなと思っている。だってそうでも無ければ、いま目の前で起きているコトがまるで説明出来ないからだ。フツーに考えたってこんなコトが現実である筈が無い、否、あってたまるかと思っている。

 だってだって、このボクが実はもう既に死んでいて、この変わり果てたこの身体は目の前に居る幼気な少女の手によって造り上げられたクリーチャーだなんて。何処をどう言い繕おうとも正気の沙汰では無いからだ。だからこんなコトがホントである筈がないのである。

「そうは言われましても現実なのですから仕方がありません」

 けんもほろろも無くてアッサリきっぱり言い切られ、ボクは咄嗟に二の句を告げる事が出来なかった。

「嘘だっ」

「嘘じゃないです」

 違うと云えば違わないと返ってくる。打てば響くという言葉があるけれど、こういう場面じゃ不穏当だと思った。まるでテニスか卓球のラリーみたいだ。即断即決鉄壁不動、躊躇う素振りすらなかった。

 だいたい初対面の相手に面と向って間髪なく駄目出しってどういうコトだよ。些かなりとも相手を慮る配慮があって然るべきだろう。礼を失していると思った。

 だから意地になった。言われて黙ってしまったら相手の言い分を受け容れたコトになるからだ。しかもこんな中学生くらいの女の子相手に言い負かされるなどと、なけなしの自尊心にも傷が付く。勢い込んで反駁しようとしたら「落ち着いて下さい」と言われた。くしゅん、と小さなクシャミも聞えた。

「信じたくない気持ちは良く判ります。でも先ずは今までの経緯を説明させて下さい。その後に改めて質問を受け付けたいと思います」

 落ち着いた口調で湯気立つカップを差し出され、ことりと目の前のテーブルに置かれた。いつの間に用意したのだろう。鼻腔をくすぐる珈琲の香りがした。

 そんな大人な対応に鼻白み、ボクは椅子から浮かした腰を再び下に降ろした。急に恥ずかしくなったからだ。「お砂糖とミルクは?」と訊かれて、要りません、と答えた。

 俺はブラックしか飲まないから。

 いいえ、わたしはミルクとお砂糖たっぷりのカフェオレをよく飲んでいた。

 頭の中で二つ分の自分の声を聞き、ちょっとだけ首を傾げた。どちらも確かにボクの声、ボクの記憶だったからだ。

「事の始まりは二ヶ月ほど前にまで遡ります」

 ふと浮かんだ違和感は彼女の語りで一旦お預けとなった。


 昼休み、校庭の片隅で俺は一人の女子に告白をした。

 クラスメイトの山川静子さんだ。快活で運動神経がよく気配りの出来る子で、入学した時から気になっていた。最初は憧れ程度だったのだけれども、幾度となく話す機会に恵まれた。繰り返す内にゆっくりと気持ちが募っていった。やがて気になって気になって仕方がなくなって、その挙げ句に悶々とした日々を過ごすようになった。寝ても覚めても、というヤツだ。だが、何時までも中途半端なまま引きずるのも趣味じゃない。だからいっそひと思いにと踏み切ったのだ。

 玉砕覚悟だったのだが、二つ返事でOKをもらったのは望外の出来事だった。彼女もまた以前から俺の事を気になっていたのだと、そう打ち明けてくれたことも嬉しかった。そして告白したその日にお互い同じくらいの時間に部活動が終わるということで、一緒に帰る約束をし、肩を並べて下校したのだ。

 俺は浮かれていて、今となっては何を話したのか憶えていない。山川さんが、告白してくれて嬉しかった。わたしにはそんな勇気が無かったから。と気恥ずかしげに笑んでいたのをよく憶えている。

 努めて平静を気取っていたが多分成功してはいなかったろう。だが全然構わなかった。俺の隣で彼女が楽しそうに微笑んでくれている、それだけで十分だった。

 夕刻の路地は随分と傾いだ太陽が、オレンジの光で電柱だの一軒家だの影を地面に焼き付けていた。何時もの見慣れた通学路だった。ソコでいきなり彼女が大声を上げたのだ。いったいどうしたのか、と振り返った。

 だがしかしそのまま。俺の記憶は唐突に途切れてしまったのである。


 わたしがクラスメイトの男子に告白されたのは、とある昼休みの事だった。

 その日はよく晴れていて、人気の無い部室棟の裏に呼び出された時には非道く落ち着かない気分だった。でも決して不快だった訳じゃない。むしろその逆だ。その男の子の名前は村田貴文くん。口数が少なくてぶっきらぼうに見えるけれど、優しくて機知に富んだひとだ。

 実はある時からずっと気になって居た。だから告白されたときには少なからず吃驚した。付き合って欲しいと言われて、二つ返事でOKした。だって願ってもない申し込みだったからだ。ひょっとすると授業の合間とかに盗み見ていたりした事もバレていたのかもしれない。それを思えば恥ずかったけれど、逆にソレが切っ掛けだったりしたのなら結果オーライだなとも思った。

 告白されたその日に一緒に帰る約束をして、ドキドキしながら待ち合わせの場所で待った。彼の姿が見えたとき、大声を出さなかった自分を褒めてやりたいと思った。ふわふわと足元が頼りなくて、いまこの瞬間が夢なんじゃないかと思った。だって彼とこうやって一緒に帰るなんて、昨日までは予想だにしていなかったのだから。

 帰り道は途中まで一緒だけれども、次の次の曲がり角で別れなきゃならない。さよならと言って、それぞれに自分の家に帰らなきゃならない。曲がり角がやって来なきゃいいのに。ずっとこの夕暮れの路地を歩き続けることが出来たらいいのに。そう思った。

 そんな莫迦なことを考えていたから、きっとバチが当たったのだ。話し掛けようとして顔を向けた彼の後ろから、大きなダンプカーが忽然と姿を現し、差し迫って来ていたからだ。こんな軽自動車すら通り抜けるのが難しい住宅地の路地にどうやって?

 まるで家や塀をすり抜けて来たかのようだ。

 逃げて、と叫んで彼を突き飛ばした所までは憶えている。我ながら凄い反射神経だと思った。バレー部で鍛えた反応速度は伊達じゃないのだ。

 でも、わたしが思い出せるのはソコまでだった。

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